695 名を刻む
既に述べてきた通り、今回の魔物の増援は明らかに時機を逸していた。
そうした時流を読む能力に欠けていたと言ってしまえばそれまでなのだけれど、それでもなお攻めてきたということは、この時でなくてはいけない理由があったからだと考える方が妥当ではないかな。
それではその理由とは何か?
まあ、十中八九ボクたちが捕らえた実行犯の三人組が目当てだろうね。その身柄を奪還するつもりなのか、はたまたボクたちや侯爵様たちもろとも亡き者にしようとしているのかは不明だけれど。
ともあれ、計らずしもボクが予想した展開に近い状況となってしまった訳です。
「侯爵様たちまでが一緒にいるのを見て、自分に都合よく解釈するのか、それとも狙いがバレていることに気が付くのか。そのどちらかでこの襲撃をたくらんだ人物の評価が分かれるところだね」
そしてその件の人物だけれど、相変わらず草むらの陰に隠れたままだった。
「うーん……。〔警戒〕の通りであれば隠れているのは一人だけ、ということになるよね?」
「はい。わたしが確認できているのも一人だけです」
「リュカリュカ様方に同じです」
ネイトに続いてボクの言葉に同意を示してくれたのは、なんと侍女さんたちだった。
「……ああ、なるほど。いくらおびき寄せるために必要なこととはいえ、侯爵様が護衛なしで出歩けるはずがありませんよね」
思い返してみれば、これまでの魔物との戦いでも彼女たちは顔色を変えてはいなかった。
文官たちが取り乱すことはなくてもやや顔を青ざめていたにもかかわらず、だ。
つまりですね、彼女たちはジェミニ侯爵の身の回りの世話をすると同時に、いざというときには主人を守る最後の盾となるべく戦闘訓練を積んだ人たちだったのだ。
もっとも本職とは違って、その体を張って侯爵を守ったり敵に取り付いて逃げる時間を稼いだりするのが関の山だろうけれどね。
「あのやり取りだけでこの者たちの隠された役割を見抜くか」
「どうせ侯爵様の命令だったんですよね」
いくら非常事態だからと言って、一時的な味方でしかない相手に独断で教えられるような内容ではない。恐らくは、ボクたちが後ろを気にしないで全力で戦いに臨めるように配慮してくれたのだろうと思う。
「いずれにしても敵は一人だけというのは間違いないようだ。頭脳だけではなく、戦いの腕の方も英雄たちの弟子に相応しいものであることを見せてもらいたいものだ」
反射的に「はい」と言いそうになったところで、侯爵の台詞の中に妙な言葉が含まれていたことに気づく。
「あの、なんだか聞き馴染みのないものが混ざっていたように聞こえたんですけど。具体的には『英雄たちの弟子』だとかなんとか」
「まさかクンビーラの冒険者協会支部の支部長が『泣く鬼も張り倒す』のデュラン氏だったとは、知った時には私も肝をつぶしたよ。しかも相方のディラン氏が逗留しているだけではなく、揃ってとある若手冒険者たちを鍛え上げているというのだからな」
いえ、あの二人に教わるよりも、ゾイさんやサイティーさんたちから教わることの方がよほど多かったのですが。
そんな反論を挟む余裕もなく、侯爵の話は続く。
「さらに、彼の有名な『放浪の高司祭』とまで知遇を得ているというじゃないか。これまでも私はタカ派とは距離を置いていたが、一気に穏健派側へと傾いてしまったよ」
要するに、同じような情報を得て似たようなことを考えている人間は多いので、それらしい力量を示して見せないと、後々不味いことになるかもしれない、らしいです。
「正直なところ様々な意味でブラックドラゴンは大き過ぎて、その脅威を具体的に想像することが難しいのだよ。リュカリュカ君たちには分かり易い壁としてその存在を明らかにしてもらいたいのだ」
やられた。ジェミニ侯爵は最初からそのつもりでボクたちにアクエリオスへの同行を言いつけたのだろう。
仮にタカ派その他もろもろの勢力からの妨害がなかった場合でも、首都で何らかの形で今と似たようなことをやらされていた可能性が高い。
「なに、自分たちの意見が唯一絶対に正しいと思い込んでいる頭の固いタカ派貴族なら、ストレイキャッツを呼び出してやれば一発で大人しくなるだろうとも」
「それはとっても溜飲が下がりそうなのでぜひともやらせて欲しいところですが、できることならそれだけで終わらせて欲しかったです」
「残念ながら、我が国の民にもタカ派貴族のような考えを持つ者は少なくないのだよ。大国であることに誇りを持つなとは言わないが、だからと言って他国をないがしろにして良いというものではない。武力で支配してしまえ、といった短絡的な思考など以ての外だ」
タカ派が熱心な活動をしていることで、クンビーラを落とすことが百年前の『三国戦争』以来の悲願だと勘違いしている民衆もいるのだとか。
「今回君たちがもたらしてくれた、ブラックドラゴンがクンビーラの守護竜となったことについても、民たちの間に広がり浸透するには、まだまだ時間を要することだろう。それまでの間、無謀な行動をいさめることができるだけの口実がわが国には必要なのだ」
その口実として、冒険者や『七神教』関係者だけではなく一般人にもその名を知られている、ディランとデュランの『泣く鬼も張り倒す』コンビや、クシア高司祭と親しいボクたちに白羽の矢が立てられたのだった。
「そろそろ覚悟を決めるべきですわ」
「ミルファ?」
「ブラックドラゴン様とのこと一つだけを取っても、あなたは既にクンビーラでは英雄扱いされていましてよ」
持ち上げられるのを好まないという性格も同時に広まっているため、ボクの耳には入らないように注意してくれていたらしい。
「それに、顔と名前を売っておくのも悪いことばかりではありませんよ」
「ネイト……」
「ジェミニ侯爵閣下に表に立って頂きましたが、タマちゃんズをテイムしている以上いずれは『冒険者協会』の本部にリュカリュカが関与していたことがバレてしまうでしょう。その際、単なる一冒険者ではあちらにとっての都合が良いように、余計な横やりを入れてくるかもしれません」
有名になっておけば、それらを防ぐ一助になるかもしれないという。
ミルファもネイトも、ボクが知らないところで、いや、知ろうともしなかったところで色々と考えてくれていたのだった。




