688 ようやく安全圏
もう一波乱起きる、その予想は正しかったとも言え、間違っていたとも言える。
正しかったのは波乱が起きたこと、間違っていたのはその回数だ。結局その後も一回どころか三回も魔物の群れとの戦闘が発生した。
最後の一回などは宿場町から目と鼻の先の距離で襲われたため、そちらに魔物が向かわないよう余分な動作を必要としたくらいだ。
ようやく安全圏に到着した時には、戦闘を行っていた面子だけではなく、侯爵を筆頭に守られていた人たちも精神的な疲労でぐったりとしていた。
「よく頑張ってくれた。皆の働きのお陰でこうして無事に辿り着くことができた。だが、場合によっては明日も今日と同じかそれ以上の戦いの連続となるかもしれない。どうかしっかりと休息を取っておくように。そうそう、本日の見事な戦いぶりの褒美という訳ではないが、酒の手配をしておいた。少量ではあるがその分高い酒だから、きっと満足してもらえるだろう」
侯爵の言葉に冒険者たちだけでなく、部下の人たちからも笑い声が漏れる。任務中や依頼中ということで禁酒状態だったようだから、この配慮はことさら嬉しいものだったみたいだ。
まあ、お酒を飲めないボクたちには関係のない話なのですが!
別に未成年扱いされているということではなく、この辺りはリアル準拠となっているので二十歳未満は飲酒や喫煙ができなくなっているのよね。仕方のないことだし、特別お酒を飲んでみたいという欲求がある訳でもないので問題はないです。
だけど代わりのご褒美は欲しいと思ってしまうのもまた事実でありまして。
「リュカリュカ君たちには酒の代わりに食べ物を追加できるよう伝えておこう。テイムモンスターたちが食べる分も必要になっているようだからな」
そんな気持ちが顔に出てしまっていたようで、侯爵さんは粋な取り計らいをしてくれたのだった。
そんな彼だが、休むことなく執事さんと護衛隊長だけを連れて宿から出て行ってしまった。侍女さんの話によると、この町の管理担当者との面会の約束を取り付けていたらしく、魔物の発生状況について確認して、お互いの情報を擦り合わすつもりなのだとか。
「……それって、侯爵様みたいな一番上の人がする仕事じゃないですよね?」
どちらかと言えば部下の人たちがやるべきことだよね?
「ほほう、なかなか鋭いな。その通りだ。実際これまでは我々が交代でその役を熟していた」
答えてくれたのは侍女さんではなく、同行している三人の文官の内、最も年配の人だった。
「しかし、今回は連続して発生した魔物の襲来を問い合わせる意味もあるのだよ。誤魔化されたり後回しにされたりしても困るのでな。そうした対応を取ることができないように閣下自らが出向いて下さることになったのだよ」
身分を考えれば呼び出すことだってできたはずなのに、わざわざ出向いて行ったのは他領であることに配慮したのと同時に、担当者の自尊心をくすぐるという目的もありそうだ。
「ささいな行動一つに、様々な意味が込められていますのね」
確かにその通りなのだけれど、ボクたちパーティーメンバーの中で最もそうした事情に精通しているはずのミルファ――忘れがちだけれど、クンビーラ領主血族という立派な大貴族の御令嬢でございます――が一番感心しているというのはいかがなものでせうかね。
ポンコツお嬢様のことはともかくとして、侯爵様たちの話し合いは芳しくないものとなるのではないかと思っていた。
理由は簡単。そもそも魔物の大量発生など発生していないからだ。
「何故、そう思うのかね?」
「だって、この宿場町の人たちに怯えた様子がありませんから」
「だが、門番の者たちは険しい顔をしていたぞ?」
「ああ。俺たちにまで「災難だったな」とか言ってきたくらいだ。あれは相当ピリピリしていたはずだぜ」
護衛隊の武官の一人に続いて、冒険者の一人も入口の兵士たちの異常具合について話してくれた。
ちなみにその時、ボクたちは与えられた馬車の中へと戻っていました。
「それはそうですよ。だって町のすぐ目の前で馬車の隊列が十体以上の魔物に襲われていたんですから、警戒するのは当然です。それと、確か馬車にはジェミニ侯爵の紋章が刻まれているんですよね?国の重鎮にもしも万が一何かがあったらと、気が気じゃなかったと思いますよ」
ボクの説明になるほどと頷く皆さん。武官の人たちに至っては彼らの立場に自分を置き換えて想像してしまった人もいるようで、数人が顔を青ざめさせていた。
「という訳で、この宿場町の管理担当者が知っている魔物の集団襲撃事件は、その一件だけだと思います」
「つまり、リュカリュカちゃんはこのピスケス領内で魔物が大量発生しているんじゃなくて、私たちというか……、侯爵様、が魔物に狙われていると考えているのかしら?」
女性冒険者のお姉様が声量を落としながら尋ねてくる。
「イエス。その予想で十中八九間違いないと思います。犯人はもちろん例の人たちでしょう」
タカ派やその背後にいるのかもしれない第三者の作戦をドンガラガッシャンと台無しにしたボクたちもまた、ついでに狙われているかもしれないけれど。
いずれにしても目の上のたんこぶ状態であるジェミニ侯爵を亡き者にする、というのが一番の目的であることは間違いないだろうね。
「まさか、魔物の襲撃という形でならば言い逃れができると思っているのか……?」
文官の一人の呟きに侯爵関係者が一斉に疑問符を頭上に飛ばす。
まあ、ね。対立が続いている現状においてジェミニ侯爵に危険が及んだ場合、いの一番に疑われるのはタカ派に所属するお貴族様方だ。
しかも今はストレイキャッツをけしかけてきた一件――前科と言い換えてもいいね――のこともあって、元首である大公からも厳しい眼で見られていることは間違いない。
当然追及も生半可なものでは終わらないだろうし、無関係を装ったところで事が露見してしまう確率は高いのだ。
普通であれば「悔しいが後の雄飛のために今は雌伏すべき時!」とか何とか言って、形ばかりでも大人しくして不利な状況が過ぎ去るのを待つなりするところだよね。
「ストレイキャッツはあちらにとっても本当に奥の手だったのかもしれませんわね」
「それを防がれてしまったどころか対策を公にされてしまったことで、進退窮まってしまったと捉えたということでしょうか?」
「なるほど。追い詰められてしまったことで、せめて長年の仇敵であるジェミニ侯爵に一泡吹かせようと考えた、と」
人間、余裕がなくなると思考も感情的かつ短絡化していくものだからねえ。
ミルファとネイトそしてボクの予想に、一行は納得と同時に嫌悪の表情を浮かべていたのだった。




