604 宿題と晩御飯
心配ないと思ってもらえるように平然としていたのだけれど、逆にそれが不安を誘ってしまったらしい。
「倒すだけなら、って簡単に言うが、本当に分かっているのか?領主と、場合によってはその一族を丸々権力の座から引きずり下ろすことになるんだ。魔物を倒すのとは訳が違うんだぞ?」
と、普段は決して見せないしかめっ面でリシウさんから問い質されることになってしまった。
「もちろん分かっておりますとも。あ、矢面にはボクたちが立つけど、ちょっとしたお手伝いくらいはお願いしても大丈夫かな?」
「それは、まあ、構わないが」
言質取れました!「ありがとう」とニコリと笑顔で返すと、今さら訝しげな顔になるリシウさん。
一方部下の人たちはというと「頭痛が痛い……」と言わんばかりに、額に手を当てたりこめかみを揉みほぐしたりしていたのだった。
ああ、これは後でお説教コースだね。まあ、碌に確認も取らずに安易に了承してしまった罰だわね。
ボクとしても、まさか二つ返事で戻ってくるとは思ってもみなかったので。
未だリシウさんは気が付いていないようだけれど、今の一言はボクたちの仕事内容がアホ領主たちを倒すだけであることを認めたということでもあったからだ。
もちろん、言葉尻だけを捉えて揚げ足を取るかのような、こすっからいやり方であるのは自覚しています。それでも、そう捉えられてしまうこと自体が失態なのだ。
その上今回は、あちらに訂正する間や条件を付けさせる暇も与えずにボクが感謝の言葉を述べてしまった。
これにより口約束ではあるものの、契約は成立してしまったことになるのだった。
「ご愁傷さまでございます」
「え?何で俺、拝まれてるんだ?」
おっと、いけない。ついついリアルの調子でなむなむしてしまった。
「なんでもないよ。こっちの話しだから気にしないで。それじゃあ、手伝いが必要になったらまた声を掛けるから、よろしくお願いします」
用件は済んだので、さっさと撤収しますですよ。
これ以上話しているとぼろが出てしまいそうだったこともあるが、それ以上にやることが目白押しで今すぐからでも動く必要があるからね。
リアルで翌日。先生たちからのありがたいお話が続く終業式に続いて、冬休みの宿題をたんまりと持たされるという苦行が終わり、クラスメイトたちと「良いお年を」と言い合いながら学校を出る。
冬至が終わったばかりで日が短い時分とはいえ、まだまだ夕暮れには早い時間帯のはずだったのだが、分厚い雲が空一面を覆っていたせいで屋外でも薄暗く感じられるほどだ。
しかも太陽の光を遮るだけに飽き足らず、下界に湿度の高い空気を送り込んできていた。この調子でいくと雨、もしくは雪になってしまうかもしれない。
これは急いで帰った方が色々と安全そうだわね。
厚手の制服の下が汗ばむくらいの勢いで自転車のペダルをこいで自宅へと帰り着く。
部屋着に着替えて、ようやっと人心地つけた気分だ。
今年は曜日の巡り合わせが悪かったとかなんとかで、授業日数確保のため終業式の日程が例年よりもずれ込んでしまったのだとか。
しかも、さっきも言ったように大量の宿題をお土産として持たされたこともあって、長期休暇の開始の喜びがすっかり半減してしまっていた。
こんな時こそゲームで気分転換を!……とはいかないのが残念なところでして。
仕方がないのでお手紙書いた、ではなく、憂鬱の元凶である冬休みの宿題をやっつけていくことにしましょうか。
しかし、ボクのやる気君はご主人様より先だって年末年始の旅行へと出かけてしまった後だ。このまま漫然と机に向かったところで頭が働かず、時間を無駄にするだけの可能性が高い。
がっつりと思考をしなくてはいけない小論文などは論外だし、些細な計算間違いや表記間違いのようなケアレスミスを起こし易いから数学や英語なども避ける方が無難かな。
初手から消去法という後ろ向きな選択だが、手間がかかり単調な作業になりがちな漢字の書き取りから手を付けるとしましょうか。
さらに、ゲーム的な要素を取り入れることでモチベーションの低下を防ぐことにする。
今回は……、そうだね、タイムアタック風なことをやってみましょうか。ルールは単純で、制限時間内にどれだけ多くの漢字を書くことができるのかに挑戦する、というもの。
一回の時間は短めにして、挑戦回数を多くするやり方で進めてみよう。
携帯端末のタイマーをセットしまして……。
いざ、スタート!
気が付けば窓の外は完全に暗くなっていて、お母さんが晩御飯の準備をしているのか、いい匂いが漂ってきていた。
「うああ……。意識したら急にお腹が空いてきたあ……」
机の端には休憩の時にでも食べようと思っていた菓子パンが置かれたままになっていた。
その代わりと言っては何だけれど、漢字の書き取りの宿題は全て終わってしまうという、想定していた以上の成果を上げていた。
どうやら今回のやり方はボクの精神状態と上手く噛み合ったらしい。
これまでの経験上、同じやり方をしても全然はかどらなかったこともあったからね。スタートダッシュには十分な出来栄えとなったと言えそうだ。
「あ、ダメ。これ結構まずいやつ」
きゅるる、と可愛らしく――ここ重要!――お腹が鳴った瞬間、体の中から姿勢を保つための柱を抜かれてしまったかのような脱力感に襲われてしまう。
カロリーが!圧倒的にカロリーが足りていないよ!?
少しでも空腹度を下げようと机の菓子パンに手を伸ばしたその時、ボクの鼻が一際芳しい香りを嗅ぎつけた。
「こ、この匂いは、……カレー!?」
いや、『OAW』の本編世界でもあるまいし、食べようと思えばいつでも食べられるのだけれど。
それでも、お家のカレーは特別と言いますか、これも一つのおふくろの味ということなのかな。ルーなんてスパイスを独自に配合した訳でもなく、市販の固形のものを使っているくらいなのにね。
「くっ……!これは我慢するべきなのか。ああ、でも、お腹空いたよう。ひもじいよう」
うわあ……。脳内でカレー対菓子パンの仁義なき戦いが行われているよ……。
十数分に及ぶ激闘を制したのはカレーで、直後に階下から聞こえてきた「ご飯できたわよ」というお母さんの声に、ボクは足取り軽く食卓へと向かったのだった。
カレーはカレーでもドライカレーだったことを知ってボクが微妙に落ち込むことになるのは、この一分後のこととなる。




