482 三年生の教室で
時々ボクたちの教室にやって来ては、しれっとクラスメイトたちに混ざっている河上先輩とは違って、木之崎先輩とは本当に久しぶりの会話だった。
あれは確か夏休み前のことだったはずなので、かれこれ三カ月ぶりということになるみたいね。
「あ、呼び止めちゃってごめんね。わざわざ上級生の教室なんていう居心地の悪い場所にやって来たんだから、急ぎの用があったんでしょう?」
過去にそうした経験があったのかな。こちらの心情を的確に言い当ててくる木之崎先輩です。
こういう気遣いができることもあって、河上先輩たちの代の生徒会ではフォロー役として、いなくてはならない存在だったという話だ。
「いえいえ、急ぎということではないんですけど。前々から河上先輩に「遊びにおいで」と誘われていまして……」
「ああ、詩乃の我が儘に付き合ってくれたってことね。でも、それなら多分入れ違いになっているわね」
そうなんですか?と問い返しながら、詩乃って誰?ああ、河上先輩のお名前だ!という脳内会話を経て、彼女が今ボクたちの教室へと向かっていると知る。
「河上先輩も何か私に御用があったんでしょうか?」
「用っていうか、この前のことを詳しく聞きたかったみたいよ」
「この前?」
何だろう?気が付けばクラスメイトに混じっているということが多いので、改めて彼女に説明しなくてはいけない出来事があったようには思えなかった。
小首を傾げてボクが本気で悩んでいると、「え?嘘、マジで?」「いやいや、さすがにあれはフリだろ」などなど周囲からいくつもの声が聞こえてくる。
あの、それ明らかにボクの呟きに対するものですよね。教室に入った時点でチラチラと盗み見るようにされていた――良い意味でなのか、それとも悪い意味でだったのかはともかくとして――ので、興味を持たれているのだろうということは感じていた。
が、まさかここまで反応を示されるとは思ってもいなかったよ。木之崎先輩の言ではないけれど、ぼそぼそと小声で話し合われるのはとてもとても居心地が悪いです。
「ごめんね、三峰さん。他の連中のことは気にしなくていいから」
苦い顔になってしまった木之崎先輩に、小さく頷くことで納得したと伝える。まあ、実際問題そうするより他に方法もないことだしねえ。
「私たちの学年だと基本的に噂で聞いただけだから、皆よく分かっていないのよ。後でしっかりと言い聞かせておくから」
「は、はあ……」
噂って、なんじゃらほい?とか、何をどうやって言い聞かせるの?と疑問は尽きないけれど、それを尋ねると何だかとても面倒なことになってしまいそうな気配がしたので、曖昧に答えてスルーすることにしますです。
リアルでは時間巻き戻しなんてできないからね。君子危うきに近寄らず、三十六計逃げるに如かず、を基本原則にして生きていきたいと思います。
もっとも、そうそう上手くはいかないのだろうけれど。
「詩乃が何を聞きたがっていたのか、ということに話を戻すわね」
おっと!そう言えばそういう話をしていたのでした。わざわざボクたちの教室にまでやってくるくらいだから重大な話のはず……、あれ?割といつも他愛のないお喋りをしていたような気がする。
最近はクラスメイトたちも河上先輩が混じっていることを半分当たり前のように思っていた節もあるし……。
「この間のテストの初日だったかしら。ほら、野良犬に襲われていた二年生たちを助けたでしょう」
「ああ、あれですか。そんな事もありましたね」
テスト期間中であったことに始まり、助けられた形となった当人たちがお礼を言いに来てくれたこと、先生たちから事情聴取を受けたこと等から、ボクの中ではすっかり過去の出来事として処理されていた。
が、そうした諸々の事情から話題としては学校中に広がっていたのでした。
あれ?でもクラスメイトたちに混じって河上先輩からも色々と質問攻めにされたような記憶が……?まあ、詳しいことは本人が帰って来てから聞けばいいかな。
「普通は人助けをしたといって得意がるか、それともトラウマになって怖がるかするところよ」
「うーん……。今から思い出してみても特に怖いとは思わなかったですね。途中で割って入ったからかな」
「そ、そうなのね」
あれ?先輩たちの顔が微妙に引きつっているような?
これは話題を変える方が得策かもしれないですぞ。
「それに人助けなら木之崎先輩の方がたくさんしているじゃないですか。色々な委員会や学生会からの相談に乗ってあげているって聞いていますよ」
相談役とかブレインという感じでカッコイイと思います。
そんな極めて好意的な心情で告げた訳だけれど、何故だか彼女の顔には驚きと羞恥が同居していた。
「誰からそのことを!?……って、一人しかいなかったか。詩乃のやつ、勝手に人のことを話しのネタにしたわね」
お、おおう……。木之崎先輩の背後から立ち上る怒りの炎で、背後の景色が陽炎のように揺らいで見えるよ……。
もちろん比喩的表現な訳ですが。
それにしても河上先輩、まさか御本人の許可を取らずに話をしていたなんて……。これはフォローのしようがないですわ……。
「ま、まあ私のことはいいのよ」
木之崎先輩がそう言った瞬間、ボクと先輩のクラスメイトの人たちは全員揃って同じことを考えたはず。「あ、誤魔化した」と。
「怖いと思わなかったっていうのは驚きね。捕まっていたのをこっそり見に行った友達から聞いたけど、結構大型の犬種だったんでしょう。犬好きのその子でも唸られたり吠えられたりしたら怖いと言っていたわよ」
あらら。結局話題が戻って来てしまったね。
「確かに大きくはありましたね」
とはいえ、『OAW』で自分より大きいサイズの魔物はそれなりに見慣れているからね。ブラックドラゴンさんともなると、頭だけでボクよりも大きいかもしれないくらいだ。
「それと、箒を構えた時の姿がとても様になっていた、なんて話も聞いたわよ。三峰さんってどこの部活にも入っていなかったわよね?学校とは別に何か武道でも習っているの?」
「いえいえ。優雅で気ままな帰宅部なのはその通りですけど、習い事の類は何もやっていませんよ」
そんな風に答えながら内心では、ゲーム内で一時習っただけの付け焼き刃な仕草でも、それっぽく見えてしまうのかと驚いていた。
「ですから、河上先輩からも一言口添えして欲しいんです。そうすればきっとその気になってくれるはずです!」
「……何度も言っているように、私は彼女に何かを命じられる立場ではないし、仮にそうだとしても命じるつもりはないから」
ふいに教室の外――まあ、ここは三階なので必然的に廊下となる訳ですが――から言い争う声が聞こえてくる。しかもその片方はどうやらボクの尋ね人である河上先輩その人のようで……。




