169 リュカリュカという一石による波紋 その1(雑談回)
リュカリュカがメイションへとやって来た次の日のことだ。
東の大通り、通称『食道楽』の中にある酒場『休肝日』では、一人の女性が急ピッチで次々と酒を飲み干し続けていた。一部の酒豪や蟒蛇などと呼ばれるような連中を除けば、悪酔いをしない、肝臓に負担をかけることもないVRならではの光景であるといえる。
その様子に情報の匂いを嗅ぎ取ったフローレンスは、そっと耳をそばだててみるのだった。
「うあー……、失敗したー」
「せっかく酔っぱらうことなくお酒の味を楽しめるんだから、少しは味わって飲みなさいよ」
「そんな気分にはなれないのー」
「……これならリアルの方でさっさと酔い潰した方が良かったのかしら?でもこの子、絡み酒だから下手に飲ませると性質が悪いのよね」
「うー……。一人でぶつぶつ言ってないで慰めてよー。私たち親友でしょー」
「今この瞬間に親友認定を解除したくなっているけどね」
「酷い!傷心の私に追い打ちをかけるだなんて!」
「はいはい。それじゃあ、せめてその傷心の理由を教えてちょうだいな。そうでないと慰めもフォローも叱る事もできないじゃない」
「……し、叱られたくないし」
「なに?叱られるようなことなの?」
「そ、そんなことはない、はず……」
「そっぽ向いて誤魔化そうとしない。さあ、キリキリ白状してもらいましょうか」
「どうして急にそんなに乗り気になっているのよ!?」
「どうせまた露店で何かやらかしたんでしょう」
「またって何よ。そんなに何度も失敗してない」
「私に助けてって泣きついてきたメールの数、この場で教えてあげましょうか?」
「ごめんなさい勘弁してください」
「それに、うちの店の軒先を貸しているってことで、私の方に文句がくるかもしれないんだから、気になるのは当然の話でしょうが」
「ぐふうっ!……全くもって正論でございます」
「よろしい。理解したなら、キリキリ吐きなさい」
「えーとね、実は昨日、露店を覗きに来てくれた人にあの癖が出ちゃって……」
「割といつもの事よね。それで?」
「え?いや、その扱いはおかしくない?というか、そんなに頻繁には――」
「いいから続きを話せ」
「……はい。とりあえずそれは謝って許してもらった訳だけど、なんとその子、そんなことがあったのに新作の人形を二体も買ってくれたのよ!」
「あら、おめでとう。ようやく初めてのお客さんを捕まえられたのね」
「えへへ。ありがとう。まあ、私が捕まえたというよりはあの子の方から手を差し伸べてもらったようなものなんだけど」
「それでも第一歩を踏み出せたのだから問題ないじゃない。……問題ない、のよね?」
「そ、それが……。やり取りをしている内に感極まっちゃって、商品を押し付けるようにして逃げてきちゃったの……」
「はあ!?何やっているのよ!?」
「だって仕方ないじゃない!「こんな可愛らしい人形を作っている人が誰かを欺くような事をするはずがない」なんて嬉しいことを言ってくれたんだもん!」
「仕方ない訳あるか!それにいい歳して「もん」とか言うな!」
「いい歳なのはお互い様でしょ!」
「…………」
「…………」
「この話は不毛なことにしかならないから止めておきましょう」
「その点については同意する」
「で、相手の物になったということは、取引自体は行ったのよね?いくらで売ったの?」
「一体につき一万デナー」
「二体だから二万か。確かあれって、素材から厳選して気合いを入れて作っていたやつだったわよね。人形としてだけ見れば高いけれど、諸々を換算すればそれなりに妥当な金額というところかしら。うちに置いたとしても、手間賃を含めてそのくらいの値段にはなりそうか」
「これまであなたのところで売ってもらってきた実績があるから、今回は直売ではあるけれど極端に値を下げることはしなかったの。それにどうせ値下げ交渉をしてくると思っていたから」
「それなり以上の値段の品物は値引き交渉に応じるっていうのが、この街で店を出しているプレイヤーの間では暗黙の了解みたいになっているものね。……でもその言い方からすると、件のお客さんはすぐに支払おうとしたの?」
「そうなのよ。少し値引きをするか、それとも代わりに人形用の小物でもつけてあげようかなと考えていたところに、いきなり金貨二枚をポンと出してきてさ。危なっかしく思えて、騙されていないか疑うべきだと忠告したら、逆に「あなたに騙す理由がない」って諭されちゃって……」
「ああ。それでぐらついているところに、さっきの台詞が飛んできたと。あなたみたいな一本気で職人気質な性格なら絆されもするか……」
「別に絆された訳じゃないし……」
「はいはい。それで、感動したあなたは何を押し付けてきたの?」
「……師匠から独り立ちの餞別代りにもらった『魂分けの魔水晶』の内の二つ」
「師匠クラスのNPC謹製品とか、使い道はともかく現状では超一級品のアイテムじゃない……」
「でも、値段的には釣り合いが取れているのよ」
「それは基本的な値段だけでしょうが!将来的な有用性だとか付加価値を足していけば、あれだけで人形と同じ値段となってもおかしくない。……ねえ、思うんだけどその子とはしばらく顔を合わせないようにするべきじゃないかしら」
「え?」
「最悪の場合だけど、扱いやすいカモだと考えているかもしれない」
「ええっー?でも、すごくいい子だったのよ」
「それよ。出会ったばかりなのに肩入れし過ぎている」
「そうかしら?」
「少なくとも私にはそう見えるわね。まあ、だからこそ逆に私がうがった見方をしている可能性もなくはないけれど」
「…………」
「その子のことを悪く思いたくないというなら、初めて直接商品が売れたことで高揚している気分を落ち着かせる時間を取ると考えるのはどう?」
「……それならできるかも」
「それじゃあ、しばらくは自分のワールドで新作の構想でものんびりと練っていなさい」
「分かった。そうする」
「そうそう、ホーム持ちが増えたから、部屋に飾れる大きさも値段も手ごろなものとかどうかしら?」
「飾り用かあ……。いっそのこと魔物をデフォルメした縫いぐるみシリーズでも作ろうか」
そして二人は、ようやくゆっくりと酒杯を傾けるようになる。それを見届けてからフローレンスもまたその席から離れていったのだった。




