120 この娘を生け贄に捧げます
「さて、それでは改めて紹介するとしよう。ハインリッヒ」
「はい。父様」
公主様に呼ばれて立ち上がるハインリッヒ君。
って、ちょっと待って!?
こういうことは普通は身分のが下の者、つまりボクたちの方から行うのが礼儀じゃないの?
急いで隣を見ると、ミルファは特に気にしたようでもない?
ああ、この子も基本的には挨拶される側だったね……。
という訳で改めて反対側を見てみると、ネイトがわたわたしていた。この驚きようから察するに、予想は的中してしまっているということみたいだ。
「あ、あの――」
慌てて声を出そうとしたボクたちを公主様が片手を上げて遮る。
うわ……。相応な立場にある人がやると、ちょっとした動作でも貫禄が全然違うわ。たったそれだけのことなのに何も言えなくなってしまったよ。
「内輪だけの席なのだ。ここは最も年若い者から名乗っていくべきだろう」
そう言ってニヤリと笑う。
あー、ここでボクのさっきの言葉を持ち出しますか。つまりはこれで貸し借りはなし。ついでにボクたちを取り込むつもりもないというアピールも兼ねているということらしい。
「……分かりました。邪魔をしてしまってごめんなさい」
ぺこりと頭を下げて、ハインリッヒ君に続きを促す。
「クンビーラの公主ヴェルヘルナーグが子、ハインリッヒだ、です。以後良しなに、お、お願いします」
はきはきとした口調はどちらかと言えば公主様似だろうか。公主妃様はおっとりという感じだし。
まあ、その公主様もいつもは言質を取られ難いように持って回った物言いだったり、相手の様子を探るためにちょっとばかり人を食ったような話し方だったりしているらしいけれど。
ちなみにハインリッヒ君の語尾が怪しいのは、普段の挨拶は配下や目下の人ばかりに行っていたので、純粋に言い慣れていないかららしい。
これは公主様から後から聞いた話なのだけど、そろそろ他の都市国家の当主といった目上の立場の相手とも面談する機会がありそうなので、練習ついでにやらせたことだったそうだ。
できることなら事前に一言くらい言っておいて欲しかったと思ってしまったのは秘密です。
その後、ボクたちも挨拶をしたのだけれど、ミルファがハインリッヒ君にお姉さん風を吹かせようとしていたのにはネイトと二人で少し笑ってしまった。
宰相さんの態度はさておき、二人の仲も良好ではあるようだ。
ただ、ミルファの一件は伝えていなかったようで……。
「ミルファ姉さま、死んじゃダメ!」
「は、ハインリッヒ様?だからもう大丈夫だと……」
「もう、そんな危ないことはしちゃダメなんだよ!」
身近な人間が亡くなるかもしれない、ということの経験自体が初めてだったらしく、ミルファにしがみついて離れなくなってしまったのだった。
「やはりこうなってしまったか」
と、ため息を吐く公主様だけど、それならあらかじめ伝えておいて欲しかったとも思う。
まあ、どうやって伝えればいいのかと問われれば、困ってしまう話ではあるか……。
「あらあら。ハインツはいつまで経っても甘えん坊ね」
いやいや、公主妃様。それは違うでしょ。と思わず心の中で突っ込んでしまう。
クンビーラでは百年ほど前の『三国戦争』以降は大きな争いは起きておらず、周辺の魔物たちの活動も活発ではなかったことから騎士や衛兵が亡くなることはほとんどなかったらしい。
七歳といえば十分に死を概念として理解できていただろう。それが今回の件で自分の身の回りで起きてしまうことだとして突きつけられてしまった。
駄々をこねて甘えているように見えるのは、その恐怖に無意識に抗っているため、なのかもしれない。
とりあえず今日のところはハインリッヒ君の世話はミルファに任せるとして、この場はお開きとなったのだった。
え?面倒だったので押し付けたって訳じゃないですよ。
別れる時にミルファが涙目になっていたなんて事実はありませんとも!
「まあ、これもミルちゃんへの罰の一つということで」
公主妃様、黒いです。
しかもその言い方からして、また何かあったらその流れで押し通すつもりですよね?
「くっくっく。この話をコムステアの小僧に聞かせた時の反応が楽しみだな」
宰相さんに至っては黒いとかそういう次元を超えている気がする。バルバロイさん、強く生きて。
……お願いですから『家臣貴族筆頭嫡男が公主嫡男を殺害!嫉妬に駆られた犯行か!?』なんて見出しの事件が起きないようにしてくださいよ?
そんな訳でミルファを生け贄に捧げて、侍女さんに案内されながらネイトと最初の部屋に戻ってくる。もちろんエッ君とリーヴも一緒だ。
危うくエッ君を公主妃様に連れていかれそうになったけど……。
あの子を抱いたままでもまったく違和感も何もないのだから恐ろしい。
連れて帰る時に微妙に寂しそうな顔をしていたから、今度エッ君のぬいぐるみでも作って持っていってあげようかしら?最悪、白い布で卵型クッションを作れば問題なし!
「はふう……。さすがに疲れました……」
部屋に入ってすぐにベッドに倒れ込むネイト。
一般人NPCの彼女には荷が重かったもようです。
「お疲れ様。後は明日の朝だけど、公主様たちは多分忙しくなるだろうから、朝食も一緒に食べるっていうことにはならないんじゃないかな」
「そうであって、欲しいです……」
ベッドにうつ伏せのままだから、彼女からの返事はおかしな具合にくぐもっていた。
でも声が妙に間延びしているから、それだけではなさそう。
「眠るなら着替えるか、せめて装備を外した方がいいよ」
「うー……。そうしますぅ……」
やっぱりここにきて疲れがピークに達してしまったみたい。
今日は夕方まで付近の魔物との連戦に続く連戦だったし、その後はクンビーラのお偉いさんたちとの会議、そして止めに公主様たちとの食事会だ。
心身共に疲れ果ててしまったのだろう。
ボクの方はリアルでは数日に分けてのことだったので、疲れてはいるけれど彼女ほどじゃない。
中途半端に意識がはっきりしている分、今の状態が気になっていたりします。
「うーん……。こうやってじっくり見てみると結構汚れてるなあ。寝る前に体を洗えないかな?できればお風呂希望」
食事会の前に簡単に身支度は整えたのだが、そこは埃を落とす程度しかできなかったわけで。
まあ、ゲームだからリアルの時のような不快感はない。だからこそこんな格好のまま籠に盛られたパンを並び替えるなんてこともできたのだけど。
しかし、見えてしまったからには何も感じずにいられはしない。
これは早々に〔生活魔法〕の熟練度を上げて【浄化】を覚えないと困ったことになりそうだ。




