476. 『違和感』
枝葉ばかりか幹までも霜に覆われて、冷気漂う樹林と化した地にて……
「少々、騒がしくなってきたようだな」
然して気にした風でもなく、ヴォルツクロウが口を開いてきた。
「あまり時をかけるつもりはなかったが……存外に愉しませてもらったゆえ、随分と長居をした」
「なーにが楽しませてもらった、だよ。言っとくけど、こっちはこれっぽっちも楽しくなんてないんだからな」
「それは済まなんだ。しかし、これ以上は時間の浪費になりかねん。考えものよ」
「おいおい……!」
ここに来て逃亡の意志をチラつかせてきた――癪ではあるが、便宜上『氷雪の魔人』と呼ぶことにしておこう――ヴォルツクロウに向けて、俺は再び煽りにかかる。
「ちょっとばかり不利が付きかけた途端、まーた尻尾巻いてトンズラこくつもりか? ヴォルツクロウさんよ。仮にも魔人将の名が泣くぜ? 見たところ、『転』術も挟まずに氷術も操れているみたいじゃねえか。これぐらいの人数、まだまだ余裕だろ?」
「ふ。そこな男の助勢もなくば、揃って氷像と化していただろうに……口の減らぬ童よ」
言って氷雪の魔人が、ワーレン卿の後ろに控えたドルメ助祭に視線を飛ばす。
その声に侮りの響きはなく、むしろ昏い水縹の瞳には、そこはかとない興味の色さえ浮かんでいる。
そんなヴォルツクロウの反応も、当たり前といえば当たり前、それもその筈。
こちらを行動不能にするつもりで放った巨大な『吹雪』を、見事『聖域』の護りにて完全に防ぎきるのを目の当たりにしては、警戒するのも当然だろう。
というかですね。
「おいおい、フェレシーラ……! あのおっさ――じゃなくって。ドルメ助祭がこんな凄腕の神術士だっていうんなら、もっと早く教えておいてくれよな……っ!」
「そ、そんなこと言われても、私も知らなかったし! アトマだって、今の今までまともに放たず隠してたみたいだし……!」
「う――そう言われてみれば俺も、代理戦で『治癒』を使っていたときも、全然わかんなかったな……!」
こちらとしてもドルメ助祭(もう呼び捨ては止めました)の秘めた実力に、戸惑うばかり。
結果、フェレシーラとのひそひそ話に走り出してしまう始末である。
能ある鷹は爪を隠す、とも言いますが。
この人の場合、正にそんな感じだったわけだ。
それこそミストピアの神殿で代理戦が勃発したときは、『このおっさんも参加してくれたら真っ先に狙って、人質として利用できれば楽』とか考えていましたけれども。
ぶっちゃけ彼まで参戦していたのであれば、こちらはほぼ確実に負けていたことだろう。
「なるほど。今の話といい、辺りの木々の凍てつき具合といい。氷術特化の魔術士のようですな。しかもこの気配の面妖さに加えて、魔人将との言葉……真であれば、大事どころではない騒ぎ。これも若き勇者に課せられた試練。アーマ神の導き、といったところですな」
「は、話が早くて助かります。後半の部分はちょっとわかんないですけど……!」
「なに、謙遜をされますな。先程も申しあげたとおり、ここは支援に回りますので。頼みましたぞ!」
「へ――」
「纏うは厳冬越ゆる、火の衣。包むは凍土溶かす、焔の息吹……」
言うが早いか、こちらの返事も待たずに呪文の詠唱を開始するドルメ助祭。
深緑色の法衣が吹きあがる白きアトマに揺れてる中――
「照らし、満たし、護れ。聖き温もり、命の徴よ!」
堂々たる発動詞と共に発露したのは、俺が初めて目にする神術。
冷気への高い抵抗をもつアトマの護りが、呆気に取られていたこちらの体を包み込んできた。
「これって――」
「ええ、『凍結抵抗』の術法を皆様に施しておきました。敵の攻め手がわかっていれば、かような先掛けも有効ですからな。これで幾らか守りは厚くなることでしょう」
「……はい! 助かります!」
全身に行き渡った光のヴェールを掌で掬うようにしてみる。
ただそれだけのことで、与えられた加護の大きさを如実に感じ取ることが出来た。
特定のアトマ、属性に絞った抵抗系の術法は、効果対象を絞り込んで術法式を構成する分、その術効は優れたものとなる。
それだけで、氷術に対してはかなりの効果が期待出来るわけだが――
「小癪な真似を。ならば、どの程度の守りか試してやろう」
一連の動きを前に、ヴォルツクロウも動いて来る。
指先のみでこちらに狙いを定めて、ただ一言。
「凍えよ」
今度のそれは、溜めもなければ範囲も狭く、しかしそれだけに速かった。
「く……っ!」
回避を行う間もなく、吹きつける冷気の帯。
それを俺は、咄嗟に両腕を交差させてガードで凌ぎにかかる。
その意志に従うように、『凍結抵抗』の守りが体の前面へと集束してゆく。
その光景を前にして、ヴォルツクロウが関心した風に瞳を見開いてきた。
「ほう。耐えるか。しかしいつまで続くか見物だが――」
「フラム!」
そこに割って入ってきたのは、フェレシーラの声。
吹きつける銀雪に瞼を落としかけていた視界の奥にて、神殿従士の少女が氷雪の魔人への突進を開始する。
その動きに合わせて、逆サイドで機を伺っていたワーレン卿もまた、挟撃へと移る。
「一人に掛かりきりとはな。付け込ませてもらうぞ、魔人将とやら」
先に仕掛けたのは、毒牙の使い手による横薙ぎの斬撃。
そこに打ち下ろしの一撃が連なる。
斬と打。
振り抜かれた長剣と、振り下ろされた戦鎚とが、ヴォルツクロウを捉える。
標的が攻めに出たタイミングを狙っての、流れる様なコンビネーション。
魔人将の全身に、緊張が走る。
挟み討ちとなる攻めが、見事に決まったかに見えた、その直後――
「ぬ」
「くっ!」
ワーレン卿とフェレシーラ、二人揃っての神殿従士の攻撃が、漆黒の障壁にて弾き阻まれていた。
一連の攻防が幕引きを迎えたところで、ヴォルツクロウが口を開いてきた。
「ふむ。中々に息の合った連携だ。氷術への守りも悪くない。という事は……どうやら役立たずはお前だけのようだな。フラム・アルバレットよ」
「この――お前、それが言いたかっただけだろ!」
「名答」
「ほんっっっ……っと! マジでムカつく泥棒鴉だな、テメェはよ!」
くつくつと嗤う魔人の将に、俺は守りを解いて吐き捨てる。
どうやら今の攻撃は、煽り返す為だけにこちらを狙い撃ちにしてきたものらしい。
だが、そのお陰もあって『凍結抵抗』の術効を実感することは出来ていた。
あのまま冷気に晒され続けていては無事では済まなかったであろうにしても、フェレシーラたちが攻め込み攻撃を中断させてくれていたので、凍傷の一つも出来てはいない。
まあそれでも、めちゃくちゃ寒いことは寒かったのだが。
少なくとも、それなり以上の溜めを要するに氷術でなければ、十分に耐えきることも可能だろう。
恐るべきはそんな強力な防御術法を操る、ドルメ助祭の実力もだが……
しかし、それはそれとして気になるのが、ヴォルツクロウの取った行動だ。
見た感じで、左右からの挟撃を受けた瞬間に、お得意の黒煙を用いた防御を行っていたのだろう。
だがそれに至る直前のヤツの反応に、何とも言えない違和感があった。
あの瞬間、ヴォルツクロウは明らかに、これまで見せたことがない程に緊張する様子を見せてきていた。
確かに黒煙がヤツの本体だとすれば、それを外に晒すことに危険性を感じているとも思えるのだが……
どれだけ見事な連携攻撃に晒されていたとしても、単なる物理攻撃は物理攻撃。
それに対して、ヴォルツクロウほどの力の持ち主が警戒を露にする必要が――
「――あ」
そこまで考えたところで、俺はふと、ある事に気付いた。
頭の片隅に引っ掛かっていた、違和感の大元に気付くことが出来た。
「ドルメ助祭……ちょっといいですか!」
その気付き、仮定に従い、すぐさま頼るべき人物へと向けて呼びかけを行う。
「む? なんですかな、フラム殿」
「いえ、つかぬ事をお伺いしたいのですが……」
そしてそのまま後ろに控えていた助祭の傍に駆け寄り、とある質問、必須となる確認に入る。
「なるほど。無論、その程度のことであれば可能です。喜んでお引き受けしましょう」
「ありがとうございます。突然申し訳ないですが……ここが勝負所ですので、くれぐれも慎重に」
「心得ました。しかし、フラム殿は足りていましたかな?」
「そこは正直、微妙ですね。でもここは彼女を優先しておくべきかなと」
「確かに。では、そういう事であれば気持ちだけ。証明にもなりますからな」
「助かります」
こちらの急な頼みごとにも、彼は快く応じてくれた。
続けて、自身の体から力が湧きあがってくる感覚がやってくる。
うん。
確かにこれなら大丈夫だ。
上手くいけば、状況を一変させられるかもしれない。
「フェレシーラ!」
それを確認してから、俺は前線を維持する神殿従士の少女へと呼び掛けを行った。
「先に助祭に傷を癒してもらってくれ! その間、俺が前に出る!」
「え――」
敢えての不明瞭な問いかけに、一瞬、フェレシーラの顔に戸惑いの表情が浮かぶ。
浮かぶも……しかし彼女はこちらの笑みに気付いたのか、すぐに頷きを返してきた。
「そうね。ここはお言葉に甘えて、そうさせてもらおうかしら」
「ああ、そうしておいてくれ」
突然の配置と役割の変更。
それに素早く彼女が応じてきてくれたのは、その内容のちぐはぐさ、唐突さと……なにより俺に対する信頼の顕れだったのだろう。
ヴォルツクロウを何とかする為の、策がある。
その事に気付き合わせてくれたことに、感謝しながらも――
「さて。ワーレン卿にも、一役買ってもらいますよ」
「善い善い。氏がその顔をしている時は、期待が出来るからな。存分に頼れ頼れ」
俺は呪毒の剣士と共に、氷雪の魔人へと立ち向かっていった。




