469. 巻き添え、勝鬨を遮り
最初に瞬いたのは赤い光。
次にやってきたのは、耳をつんざくような轟音、そして暴風。
最後に吹き荒れたのは、嵐の如き炎だった。
「ぐ……ッ!」
ヴォルツクロウの攻撃すらも退けた『爆炎』の簡易結界を突き抜けて、熱波が押し寄せてくる。
しかしその程度で済んでいるのは、僥倖だといえるだろう。
本来、広範囲に火砕の衝撃波を振りまく『爆炎』を、精神領域という閉鎖空間にて発露させたのだ。
キューブ状の結界内で連鎖爆発を引き起こし、飽和したエネルギーを一気に解き放つ。
ルゼアウルが用いた超大型影人が内包していたものと同じ、無差別攻撃魔術。
それが『爆炎』の術効だ。
そんな危険極まりない代物を発動させて尚、こちらに然したるダメージがなかった理由は単純だ。
炸裂した『爆炎』の力を、我が身同然の黒煙の内にて受け止める羽目になったマヌケのお陰……
つまりはヴォルツクロウ・レプカンティという防波堤が存在していたことで、こちらは実質的な被害を受けずに済んでいた、という次第だった。
「――ふぅ」
火の旋風が過ぎ去ったところで、俺はようやく一息つく。
師匠であるマルゼス・フレイミングより伝授されながらも、一度も試すことがなかった魔術だけに、ぶっつけ本番で上手く発動にもっていけるかは、半ば賭けに等しかった。
更に言うのであれば、ヴォルツクロウに取り込ませた蒼鉄の短剣を起点として、術を起動できるかどうかも、一か八かでもあった。
一度は耳木菟の魔人ルゼアウルを相手に『熱線』の遠隔を成功させていたとはいえ、それも黒煙によりアトマの伝達が遮断されていれば、失敗に終わっていただろう。
もし同じことを二度やれと言われたところで、成功しきる自信はまったくない。
ゼフトからの転換による、膨大なアトマの捻出。
連鎖爆発の制御と、臨界に至るまでの結界の維持を同時に成立させ得るだけの、超高難度の術法式の構築。
妨害される可能性も十分にあった、短剣を起点にしての遠隔起動。
博打も博打。
一歩間違えば至近距離でもろに『爆炎』を浴びて、消し炭と化して吹き飛んでいたこと間違いなしの、自滅もありえた離れ業。
それぐらい、無茶もいいところな一手だったが……
「ま、あんたみたいな化け物に勝ち切ろうってのならさ。最低限、これぐらいはやらないとだもんな。なあ、ヴォルツクロウさんよ」
そう口にして歩を進めると、白の領域の外周たる黒の領域――要は真っ黒なドーム状の壁なわけだが――にて、見覚えのある人型の何かが張り付いていた。
おそらくは回避も防御もままならずに、至近距離で『爆炎』のエネルギーを直に喰らっていたのだろう。
全身から白煙をあげて壁面にめり込んだそいつは、鴉頭の魔人だった。
見たところ息はあるようで、死亡にまでは至っていない。
止めを刺すのであれば、千載一遇のチャンスとみて間違いないだろう。
あくまでも、この状態が所謂『死んだふり』でなければ、の話だが。
「さて。チェックメイトだな」
「く……」
灰色の地面に転がっていた短剣を手に、俺はヴォルツクロウへと問いかける。
そうしながらも、蒼鉄の刃にチラリと視線を注ぐ。
正直いって、短剣が無事だったのは意外だった。
熱エネルギーの投射が負荷の殆どとなる『熱線』はともかくとして、物理的破壊力を伴う『爆炎』の術効にまで耐えきるとは、思ってもみなかったからだ。
無論、フェレシーラより譲り受けていた品を粗末に扱うつもりは毛頭なかったが、それにしてもぶっ飛んだ耐久性だ。
見えない部分にガタが来ている可能性はあるが、それにしても頑丈にも程がある。
流石は強度に特化した蒼鉄製、といったところだろうか。
精神領域で再現されたものであれ、強度や特性は外の世界と同等に作用するのは、俺とヴォルツクロウの力関係を見ても明らかだ。
案外、持ち主の思い入れも関係したりするのかもしれないが……
何はともあれ、破損せずに済んでホッとした。
そんなことを考えながら短剣の刀身を眺めていると、間近から声がやってきた。
「よもや、この様な手でくるとはな……クク。まこと、大それた童よ」
「いやいや……一度やられた手を利用するのは、駆け引きの基本だろ?」
「まあ、な」
呆れたような、それでいて喜んでいるような……
そんなワケのわからぬ評価に、こちらが相手の落ち度を突いて返すも、続けてやってきたのは弱々しい聞き入れの声。
不意をつかれながらもなんとか耐え抜いたヴォルツクロウだが、さしもの魔人の将も『爆炎』のエネルギーを一身に受けたのは、相当に堪えたらしい。
演技も何もなく追い込まれているというのであれば、迷う必要はない。
「知らない間のこととはいえ、長い付き合いみたいだったしな。名残り惜しさもあるにはあるし、聞きたいことは沢山あったけどさ。悪いが、ここで終わらせてもらう」
「賢明な、判断だ……」
ここまできて、騙し打ちを警戒して標的を逃すことなどありえない。
相手は魔人将。
国一つを滅ぼした異形の化け物、魔人たちの頭目だ。
確実に止めを刺すべく、残る力を最速最大で練り上げる。
後の事は考えないでいい。
どう考えても、コイツ以上の災厄はやってくる筈もない。
この状態、この距離だ。
無様を晒すその首に、鴉頭に渾身の一撃を――
「……は?」
喰らわしてやる、と決めたところでそれは来た。
ピシリ、ビシリと破綻の音を立てて罅割れるそれは、ヴォルツクロウの体がめり込んでいた壁面、黒の領域。
「見事な策。見事な術。見事な一撃だったぞ……フラム・アルバレットよ。クク……」
「な――!?」
突然のことに思わずその場に立ち尽くすこちらに、片首の魔人がくつくつと嗤う。
嗤いながら、そいつは己を中心に走り始めた罅割れの中へと、身を沈み込ませていた。
「さすがに今のは堪えた。ここまで追い詰められるのは計算外だったぞ?」
「クソ……ッ!」
余裕ぶった口振りでお喋りを開始する鴉頭が、どんどんと黒の領域に沈み込んでゆく。
不味った。
十分に警戒しているつもりだったが、ここに来て失念してしまっていた。
この精神領域において、黒の領域は元来ヴォルツクロウの支配域。
そんな場所に相手を叩きつけておいて、追い込んだつもりになっていたのがそもそもの間違いだったのだ。
おそらくきっと、こちらが仕掛けた『爆炎』に吹き飛ばされ、外壁に叩きつけられた時点で仕込んでいたのだろう。
鴉頭の周囲に生じた罅は見る間に魔人の体を呑み込み、その姿を包み隠していた。
「クソ、開け! 閉じんな、この!」
急ぎ巨大な亀裂に短剣を叩きつけるも、徒労に終わる。
一度そこに潜り込みゼフトを奪ったことで、自分の自由になる場所だなどと勘違いしていた、こちらのミスだった。
「待て、逃げんな! 散々好き勝手しておいて、トンズラしてんじゃねえッ!」
「それは出来ん相談だ。まあ、そう悔しがるな。私とて想定外の事態だ。もう一度『封じの炎』を仕掛けてくるようであれば、打ち破ってくれようと思っていたが……それどころではないのでな。赦せ」
「赦すか、糞鴉ッ!」
力任せにゼフトを叩きつけるも、閉じゆく罅を抉じ開けることは敵わない。
思考を切り替えて、一か八かで黒の領域に体当たりして入り込もうと試みるも、結果は同じ。
「クソ……どうする、どうすればいい……!」
焦り考えていたことがそのまま口を衝いて出てくるが、打開策は見つからない。
このまま黒の領域にヴォルツクロウを逃したらどうなる?
また体に潜り込まれて手出し出来なくなるのか?
リソースの奪取が不可能な状態でどう戦えばいい?
一体ここから、どう返せばいい?
答えは出ず、ただ両手が震えていた。
『そう怯えるな』
最悪の未来を想像しかけたところで、『声』がやってきた。
ヤツの『声』。
ヴォルツクロウの思念が、何処か遠くから聞こえてきていた。
『今回は私の負けだ。口惜しいが、それは認めよう。器の力を操る地力もだが……なにより土壇場での知力胆力、見事なり。敬意を表しておこう』
「……テメェに褒められても、これっぽっちも嬉しくねぇんだよ! 御託はいいから、出てきて勝負しやがれってんだ!」
『そうだな――』
反射的に悪態を飛ばしたところに、やってきたのは思案の声。
『善いぞ。此度は存外に愉しめた。褒美を取らす』
「は……?」
理解不能な『声』が頭の中に響いたと同時に、やってきたのは強い強い、浮上感。
「え、な、これって――」
強烈な既視感に抵抗する間もなく、意識が上に上にと持ち上がる。
ヴォルツクロウの力に拠るものではない。
それはわかる。
しかしそれが、ヤツの取った行動に起因した事象だということも、わかってしまう。
「テメェ……逃げる気か!」
『名答』
心底愉しげな『声』と共に、浮上する。
まるで水面に飛び出す、大魚だか浮き輪だかに引き上げられるようにして、意識が浮上を果たし――
「ラム――フラムってば! お願いだから、目を覚ましてちょうだい……フラム!」
気付いたときには、大粒の光をポロポロと降らせてくる亜麻色の滝が目の前にあった。




