468. 『爆炎』
それは今より、数年前。
既に日課となっていた近接戦闘の訓練を終えて、古木の幹に背を預けていた時のこと……
『んー……フラムくんってば、もう術法理論に関しては完璧だし。式の構成もバッチリだから、ふとしたことで急に魔術が使えるようになるんじゃないかなって。私、そう思ってるんだけど』
目の前に差し出されてきたタオルを受け取り顔をあげると、そこには思案顔となったマルゼスさんの姿があった。
『ありがとうございます。けど……なんなんですか、師匠。こっちは誰かさんが自分だけ『身体強化』と『武装強化』かけまくって杖でブッ叩きまくってきてくれたお陰で、防戦一方でもう一歩も動けないぐらいにヘトヘトなんですが』
『杖じゃなくて、箒だもーん。それに最近はフラムくんも動きが良くなってきたし、これぐらいはハンデハンデ。今日だってカウンター狙い、惜しいところまでいってたじゃない』
『あのですね。俺が目指してるのは、接近戦のスペシャリストとかではないワケでして……』
『えー。フラムくん、そっち系もセンスあると思うんだけどぉ。それに体もしっかり鍛えておかないとダメよ? 実戦では詠唱している間に、相手もドンドンイケイケで攻めてくるんだから』
『それはその通りでしょうね。もっとも『照明』の魔術一つ発動できない俺には、無用の心配な気はしますが』
『むー……最近ちょっとフラムくんってば、ああ言えばこう言うってカンジになりすぎじゃない? 生意気ってほどではないけど。お姉さんとしては、複雑なんですけど』
『そう言われましても。乗り気でないものは仕方ないですよ』
ぷんすこと頬を膨らませてムクれながらも、『治癒』と『体力付与』の神術を無造作かつ立て続けに発露させる彼女を前にして、そんな風に臍を曲げていたことを覚えている。
なんにつけても手のかかりまくる弟子だと。
そんな風にこちらが恥じ入る気持ちなど、どこ吹く風。
マルゼスさんは厳しくも優しく、マイペースに俺への稽古をつけていてくれた。
『それで? もしも俺が突然術法を使えるようになったら、なんなんですか。ぶった切っておいてすみませんが、どうせなら最後までお願いします。今度はしっかり聞かせてもらいますんで』
『あ、そうそう! それ、それ! そーなのよ! 近頃は、試してみればどれかが成功するかもと思って、わりと洒落にならないレベルの強烈な術法も教えちゃっていたし……一応、気を付けていないと思っていて』
『気を付ける、ですか?』
『ええ。そうです』
もしかすれば、特定の術法であれば上手く発動できるかもしれない。
それを呼び水として、他の術法も操れるようになるかもしれない。
当時の俺は、マルゼスさんのそんな思い付きから、多種多様な術法を教え込まれていた。
しかしそうする内に、あの人の中でとある不安が大きくなっていったのだろう。
『我が一番弟子、フラム・アルバレットにマルゼス・フレイミングが命じます』
彼女は最近めっきりと見せなくなっていた口調と面持ちで以て、不肖の弟子に教導の言葉を発してきて――
『これより告げる術法は、濫りに試してはなりません。その術法の名は――』
俺は自身に禁忌の術を授け終えていた『煌炎の魔女』へと向けて、神妙な面持ちで頷きを返していた。
「どうした。突然、愉しそうな顔をしおって」
「ああ。ちょっと昔を思い出してさ、って――あんたがそれを言うかな……!」
みしりと拳を影腕の盾にめり込ませて、眼前で嗤う鴉頭へと言葉を返す。
すると、ヴォルツクロウが纏う高密度の瘴気の集合体たる黒煙が、ヤツの頭上に集い始めた。
「おっと!」
クロスレンジにて黒い錐へと形状を変じてきたそれをみて、俺は一旦距離を取る。
黒の魔人が生み出してきたそれは、ジングとの戦いでも用いていた代物だ。
都合三度の接近戦を経て、影の腕のみでこちらの攻撃を凌ぐまでに至っていたヴォルツクロウの、反撃の一手。
「さすがにそれは貰ってやれないな」
「そういうな。あの紛い物でさえ、最初は持ちこたえていたぞ?」
「……そうかよッ!」
糞安い挑発の言葉に続き、黒煙の錐が螺旋を描き回転を開始する。
退がるこちらの逃げ場を無くすべくして、黒の領域より影腕が迫る。
円錐状の闇が無音にて撃ち出されて、視界を塗り潰しにくる中――
「聳え立て! 土塊の門扉よ!」
俺が命じ放った発動詞にて、巨大な門が眼前に打ち立てられていた。
直後、轟音と共に土塊の門が揺れ動く。
「ふむ。まだ『大地変成』の術効を残していたか。しかし……甘いな」
ガリガリと表層を抉り飛ばす掘削の音の向こうより、鴉頭の声が微かに響いてくる。
既にこちらは影の腕に取り囲まれている形だ。
門の守りを信じてこの場に留まるか、それとも狭まる攻囲をなんとかするか。
どちらを選んだところでヴォルツクロウがその隙を狙っていることは、明白な状況。
そんな中、俺が採った選択はそのどちらでもなかった。
「閉ざすは六門の封域、連ねるは焦熱の儀式……」
気息を整えてからの、呪文の詠唱。
土塊の門を削り進む黒い錐がその速度を減じる中、返しの一手へと指を伸ばす。
「その呪文……貴様」
粘土質のそれに構成を書き換えられた門扉にその身を埋め、静かに、そしてゆっくりと動きを止めた自らの攻め手を前にして、ヴォルツクロウが呟く。
「千の律動。億の火種。我が手中にて轟くは、崩界の調べ……」
「貴様――正気か!」
続く詠じの声に、精神領域に満ち始めたアトマの赤き光に、魔人将が驚愕の声をあげる。
しかしそれも当然だろう。
現世と隔絶されたこの戦場にて、俺が求めた奇跡は絶大なる破壊の力。
即ち、師マルゼス・フレイミングより発動を禁じられていた『爆炎』の魔術だったからだ。
「この閉鎖空間でそのような代物を持ち出すとは……相打ちを狙ったつもりか」
閉ざされた空間で『爆炎』の業火と衝撃が炸裂すれば、それは想定以上の結果、大惨事を齎す。
それを瞬時にして理解し、そして計算し終えたのであろう。
「しかし、それは切り札としてはどうかな? あの紛い物より借り受けた力では、残り滓に等しきゼフトでは……如何に転換したアトマを得ていたところで、然したる威力も望めぬぞ」
ヴォルツクロウが、そんな指摘と共に影腕の攻囲を一気に狭めてきた。
呪文の詠唱、そしてなにより精神を集中しきっての術法式の構築へと移行していた俺に、それを躱す手段はない。
だが――
「ぬぅ……!?」
溢れるアトマが黒の領域より迫る影を圧し退ける様をみて、鴉頭が唸り声を発していた。
術法の発露に伴い発生する、術者を保護する為の簡易結界。
並びに、余剰の出力が生み出すエネルギーの奔流。
それらが魔人将の攻め手をも弾き、焼き払う。
尋常ではない規模と密度のアトマが注ぎ込まれた故の、規格外の護りがそれを成す。
「馬鹿な……何故これほどの出力が……これほどまでの、魂源力を――ッ!」
そこまで口にして、ようやくヤツも気付いたのだろう。
何故これまで、力を使い果たしていた俺が戦い続けていられたかを。
何故『爆炎』の魔術を完全詠唱にて、桁違いの術効で練り上げつつあるかを。
「そうか……そうか、貴様! 魂絶力を、奪い取っていたのか! 紛い物の力では飽き足らず……この私の領域にわざと呑み込まれることで、魔人将ヴォルツクロウ・レプカンティの魂絶力までをも、奪い取っていたのだな!」
「お……バレたか。名答名答、ってな。ま、適性の話もしていたしな。バレずにチマチマじわじわ吸い取る為にも、時間稼ぎにあんたの気を引くようなお喋りが必須だったとはいえ……いつ気付かれやしないかってヒヤヒヤもんだったぜ?」
「……!」
ここに来て開示に持ち込まれた、多量のリソースの確保手段。
それはヤツ自身の力の源泉たる黒の領域を解析することで、継続的にゼフトを奪い、アトマに転換するという盗人行為だった。
「ジングのヤツにルゼアウルの瘴気から力を取り込むところを、直に見せてもらっておいて正解だったぜ。あんたの言うところの、紛い者の行動が役に立ったみたいだな?」
「おのれ……姑息な真似を!」
「そこは是非、知的と言って欲しいところだな。好きなんだろ、そういう相手がさ。それにこっちも随分と長い間、只で棲ませてやってたんだ。これぐらいは宿賃代わりってヤツさ。目くじら立てんなって。赦せ赦せ」
「貴様!」
「おっと。まだちょいと、締めには足りてないんでね……っとぉ!」
「――!?」
吼える黒の魔人の喉首へと、蒼い煌めきが迫る。
詠唱を途絶えさせてまで対話に臨み、そこに生じた怒りに付け込んでの、ゼフトを纏わせた短剣の投擲。
「小癪な!」
不意打ちで放たれたそれが、再び湧き出でた黒煙にあっさりと絡め取られる。
二度目の鹵獲。
攻防自在の黒煙による防衛行動は、優秀過ぎるが故に、半ば無意識の内に実行されているのだろう。
瞬間、ヴォルツクロウの瞳に迷いの色が浮かぶ。
短剣の撃ち返しは一度見られている。
予見済みであれば、躱されて終わりだろう。
それより今は、力は一旦防御に回すべきだ。
そうすれば、これから到来する『爆炎』のエネルギーを耐え凌ぎさえすれば、カタはつく。
逃げ場のない空間で吹き荒れた熱と衝撃は、術法を放った直後の術者自身には防ぐことは叶わず、結果、労せずして勝利を手にすることが出来る。
となれば、問題となるのは自身の棲家、黒の領域に関してのみ。
そこに力を送り込み、相手を潜り込ませずにおきさえすれば……自ずと勝利は確定する。
一瞬にして、ヤツはそう考えたのだろう。
考えてしまったのだろう。
「なんとしてもこちらを逃さぬ腹積もりであったのだろうが……選択を誤ったな、フラム・アルバレットよ」
それまでの余裕を取り戻して、ヴォルツクロウが守りの体勢に入る。
冷静沈着を絵に描いたような対応、落ち着きぶりだ。
対する俺は、構わず呪文の詠唱を再開していた。
「六火万雷、此処に在り。而して其に訪れるは、畢竟、滅びの檻のみなれば――」
灰色へと変じた領域に、赤きアトマが満ちる。
一部の迷いも生じぬその所作に、可視化に至るほどの術法式の鳴動に、魔人の将がピタリと動きを止める。
「まさか――」
その視線の先が向かうのは、己が守りたる黒煙の外套。
そこにあるのは、カムフラージュとしてたっぷりと、重い重いゼフトを練り込んでおいた蒼鉄の短剣。
それが持つ役割、意味を問うが如く鴉頭が瞠目するも全ては遅く、響く呪文は影にも追えず。
「残る運命は塵芥! 業火の坩堝、獄炎の匣にて――」
「まさか……まさか、貴様!」
「おせぇよ、阿呆鴉! 疾く悉く、燃え尽きよ! ってなぁッ!」
戦慄き叫ぶ魔人将の声を、最後の詞が見事塗り潰した、その直後。
蒼き刃を起点として、赤き禁忌の六芒が炸裂した。




