467. 不可解なる奮戦
接近戦であれば、こちらに分がある。
「おぉ――」
咆哮と共に疾駆する俺にとって、そんな見立ては実のところどうでも良かった。
理由付けに過ぎなかったと言っても良い。
「ぬ……!」
ヴォルツクロウがその身に纏う黒煙を操り、こちらの進路を妨げにくる。
攻防一体、お得意の高密度の瘴気を用いての行動だ。
「おせぇッ!」
しかし俺は気炎と共に踏み出した右足のみでそれを吹き散らして、一気に標的へと迫る。
狙うは当然、黒の魔人の顔面一択。
その光景に鴉頭の瞳が驚愕に見開かれる。
「なんと」
神術『筋力強化』及び『敏捷強化』の同時発動がもたらした、物理戦闘能力の向上。
その純粋なパワーが、全速力での突進が、黒煙を裂いて魔人の将へと迫る。
残り4m。
残された距離を認識すると共に俺が選択したのは、一瞬の溜め。
「せぇ、のっと!」
両脇から伸び迫ってきた影腕を、ブレーキングにより見事スカらせてからの、跳躍だった。
「!」
ヴォルツクロウが発していた気配に、緊張が走る。
それもその筈。
いまのヤツの視界は黒一色。
自ら採った選択肢、黒の領域より放った影の腕どもが作り上げた異形の壁が、鴉頭の視界を埋め尽くしている間に、こちらは悠々ひとっ飛び。
その結果――
「せりゃッ!」
「チィッ……!」
必然、奇襲と化した顔面狙いの俺の飛び蹴り、右の靴底が、魔人将の右掌へとめり込んでいた。
「シィッ!」
間髪入れず、そのまま空中より残る左足も叩き込むが、これはヤツの左腕に阻まれる。
そこを強く蹴りつけた反動にて宙返りを行うと、視界の端にて着地点に黒煙の群れが待ち構えているのが見て取れた。
「やべ……!」
思わずそんな言葉を口走りつつも、体は既に動いている。
フリーとなっていた右手が、走竜の肩当てにマウントされた蒼鉄の短剣の柄を、しっかと握り締めていた。
着地の寸前、刀身が閃く。
左から右へと抜き放たれた剣閃は、黒い衝撃ゼフトの奔流。
「よく動く……!」
ごうと空を震わせて白の領域を侵し進む破壊の力に、ヴォルツクロウが攻め放っていた黒煙を呼び戻してのガードに移行する。
影腕と黒煙、二つを重ねての護りと、闇色の剣気とがぶつかり合う。
拮抗する魂絶の力が、冷たい颶風を撒き散らす。
その光景を確認しつつも、こちらは両の靴底を灰色の地面へと降り立たせていた。
「おいおい――」
吹き荒れる暴威。
術理も介さぬ力と力が鬩ぎ合う空間へと向けて、俺はその場で身を屈めて力を蓄える。
「そっちじゃなくて、こっちだぜ! 本命ってヤツはよ!」
嘲るように言い放ちながらも、想起したのは一条の矢。
その身に満ちた力にて弦を引き絞り、己を一本の憎き鴉を撃ち抜く矢と化して、地を爆ぜ飛ばす。
耳鳴りの音が、キィンと響く。
直後、俺の体は闇の波濤を突き抜けていた。
「ぐ――おォッ!」
「ぬぅ……!」
技術も何もない、体ごとぶつける形での右のストレート。
それが何かを捉えて、重い手応えと共に吹き飛ばす。
捉えた。
当ててやった。
通用させた。
遅れて黒煙が吹き飛び、拓けきった視界のその奥で……ヴォルツクロウが踏鞴を踏む姿が、はっきりと見えた。
強化術により無理矢理に引き上げまくったのは、筋力と敏捷性のみ。
当然ながら、動体視力や体幹などの運動能力に関わるその他重要な要素は置き去りだ。
そんな状態であれば、まともな攻撃より、技術を軸にした攻め手より、パワーとスピードに任せた体当たり同然の突進の方が有効なのだと。
一度は『凍炎の魔女』の攻勢からフェレシーラを救出していたことで、そんな結論に至った俺の判断は……あながち間違いではなかったらしい。
「貴様……如何に力を減じたとはいえ、この私を退がらせたな?」
「ハッ」
漆黒の瞳の奥に怒気を揺らめかせてきた魔人将に、俺は拳の裏で鼻先を拭い、地に唾を吐き続けた。
「いつまでも悠長にすっトロいことばっかりやってりゃ、そうなって当たり前だろ。むしろすっ転ばせられなかっただけでも上出来だったって、テメェを褒めてやるんだな」
「ぬかしおる」
力押しもいいところなやり口で、ヴォルツクロウの守りを打ち抜き、吹き飛ばしてはいたが……
黒の領域、外壁側に追い詰められた鴉頭の声には、何処か嬉しげな響きが混じっている。
それがヤツの余裕の現れか、それとも意外な展開に持ち込まれた故に享楽を得たからなのかは、わからない。
知ったことではない。
しかし、魔人の将であるヴォルツクロウをブン殴ることが出来た。
それだけでも『大地変成』の術効を解き、攻めに回った価値はある。
そもそも接近戦を選んだ理由が、『イケ好かない鴉頭をこの手で直接ブッ飛ばす』という欲求に根付いたものなので、価値しかない。
というか、案外これは有効な手かもしれない。
確かにヴォルツクロウが操る黒煙と影腕は、質・量とも尋常ではなく、生半可な攻撃は通用しないし、回避も難しければ、防御しきるにも厳しいものがある。
だがそれであっても、防御を捨てての一点突破の攻めであれば、貫けないほどの防御力ではない。
当然、カウンターには警戒が必要だ。
だがそれも、いま試したようにゼフト瘴波ないし、他の攻撃手段で揺さぶっていけば悪くない。
接近戦を嫌ってくるのであれば、術法戦という択もある。
こと、この白の領域においては、不利が付くのはあちら側なのも判明している。
ならばここは、このまま行くべきだ。
「しかし、疑問ではあるな」
「……あ?」
「不可解と言ってもいい。何故だ?」
「いやいや……相変わらず唐突だな。聞きたいことがあればはっきり言えって。もっとも、隙を見せたら遠慮なくブッ飛ばしてやるけどな」
然して動揺する様子も見せずに呟き続ける、黒の魔人。
それに対して、こちらはいつでも突っ込んでいけるように前傾姿勢で応じる。
一体なにが気にかかったのは知らないが……
一連の攻防を経て、主導権を握った等とは別に俺は思わない。
そもそも底の知れない相手、正真正銘の化け物に下手な駆け引きは逆効果だろう。
リードにリードを重ねたと思い込んだところで、常識の外から盤面をひっくり返してこられては、泣くに泣けない。
嘗ては中央大陸随一の強国であったラグメレス王国を、滅ぼしたとされる『双頭の魔人将ニーグ』の片割れ。
力を減じただとか当人は言っているが、それでも尚こちらからすれば、規格外の存在であることに変わりはない。
気持ち的な部分でも、当面の脅威として考えても、ここで何とかしておきたい相手だった。
否。
斃しきっておかねば、今後どれだけの災厄を撒き散らすか。
考えるだに恐ろしい相手だった。
「なに。単純なことよ」
ざり、と灰色の地面を踏みしめて、鴉頭が間合いを詰めてくる。
「貴様その調子で、いつまでもつ? あとどれだけ、この私と打ち合える? こちらの見立てでは今の一撃すら予期してはいなかったぞ? 一体どこから、そんな力を得ている?」
「……さてね。あんたの見立てとやらが甘かっただけだろ」
無造作に歩みを重ねるヴォルツクロウにしらを切って見せるも、あちらの動きは止まらない。
警戒はされている。
だがそれが、抑止力となるまでには至っていない。
むしろ未知の存在を視認したことで、嬉々としてそれを観察しにかかる学者のようですらある。
人の体に勝手に潜り込んでいたかと思えば、今度は今度で興味津々で絡んでくるとは、よくもまあここまで迷惑千万もいいところなヤツもいたものである。
なんにせよ……あちらが乗り気というのであれば、ここは好都合。
「ま、答えがしりたけりゃ、そっちから挑んでくるんだな。ただし――」
蒼鉄の短剣を閃かせて、こちらはただ、敵を迎え撃つのみ。
「踊りをご披露、お代はお命……ここからはそんな感じで頼むぜ? 見たがり知りたがりの魔人将さんよ」
伏せ札を覗き込まんとする簒奪者へと向けて、開示の時が迫っていた。




