466. 攻守転換
「博打と言えば、博打だったんだろうがな」
白と黒。
相反する二つの領域への適性。
「実力差をひっくり返すには、こっちはそこに賭けるしかなかった。その結果はこれさ」
それがあってこそ、俺はヴォルツクロウの力に取り込まれることなく黒の領域に溶け込み、己の血を送り込むイメージにて、陣術『大地変成』を構築し終えていた。
「多分、あんたは黒の領域に俺の力が流れ込むのを感じ取っていた筈だ。そしてそれを、俺を呑み込んだ影響だと思っていた。だけど実際には、それは違った」
こちらが血液と共に注いだ力が陣術用の魂源力であれば、その時点でヴォルツクロウも己の支配域に異物が流し込まれたことに気付いただろう。
魂絶力を活力とする魔人にとって、魂源力は双極にある力だ。
そんなモノが我が身同然の領域に混じれば、気付かぬワケがない。
「だけどあんたは騙された。流し込まれた力がゼフトだったことで、勘違いしちまったってワケだ。それが転術でアトマとして生まれ変わるとも知らずにな」
耳木兎の魔人ルゼアウルが残した、ゼフトをアトマに転換する術。
それがここでも役にたっていた。
配下の技で欺かれるとは、中々に間の抜けた話ではある。
もっともそれも、ヴォルツクロウが俺を完全に黒の領域に取り込んだと思い込んでいてこそ、だ。
邪魔者が消えたと判断したヤツが、不慣れな白の領域で作動する筈もない『支配の術法式』を手中に収めようと躍起になっていたからこそ、上手くいったに過ぎない。
「結局は練度不足、不慣れが原因。どれだけ力があろうと、何もかもがブン殴れば済むわけでなし。あんたの言うとおり、人の精神・魂の領域ってのは何かと複雑なんだろうが……」
逆に言えば、慣れれば大抵のことは出来るということだ。
現に俺はそうしてヴォルツクロウの支配に抗うどころか、活用するにまで至っている。
正直なところ俺自身、黒の領域に適性があったことに戸惑う部分がないでもない。
しかし今は状況が状況、相手が相手というヤツだ。
使えるものは何でも使ってひっくり返せる札を手に入れておくのが、弱者の立ち回りというものであろう。
「っと。そろそろだな」
相も変わらず魔術の砦より見下ろすと、そこにあるのは岩の鱗を纏った大蛇の顎。
陣術の術効により生み出されたそいつは、ゴリゴリという咀嚼の音を絶やしてはおらず、アトマの供給を受け続ける硬質な牙の隙間よりこぼれ落ちるのは、鮮血の如き黒煙のみ。
その様子を見れば、蠢く術牙の内部には既に動くものなどいないと断言できる。
そこに俺は思念と共に発動詞を投げかける。
「飲み干せ、渇きの牙よ」
ゴキンという、何かを砕く音があり大量の黒煙が噴き出る。
役目を果たした岩塊の蛇が地に伏せて、静寂が辺りに満ちた。
「まずはこれで良し、と……」
コキコキと軽く肩を鳴らしながらの呟きに、答えるものはいない。
構わず、俺は後を続けた。
「出てこいよ鴉頭。言っておくがバレバレだからな? 不意打ちは通用しないぜ」
「――クク」
たっぷりと時間を空けてから釘刺しを行うと、闇がぞわりと起き上がってきた。
低く掠れた声を発したそれは、大蛇の顎より溢れ出ていた黒煙の渦。
「耳を疑う、とは良く言ったものだがな」
渦巻き、再び型を成すのは黒の魔人。
「なるほど、こうして目の当たりにしてみれば道理よ。実に天晴、実に明朗だ。クク……」
こちらの術牙に全身を砕かれながらも『再構成』を果たした魔人将、ヴォルツクロウ・レプカンティが大蛇の上へと座していた。
「よもや十年と経たぬ内に、双極の力を操り始めるとはな。げに末恐ろしきは種の長たる者の血統。古き神の血筋というわけか」
「双極の力に、古き神の血筋ねぇ。あんたどんだけ滅茶苦茶なことしてるんだよ」
またもや大仰な言葉を持ち出してきた鴉頭に、思わずげんなりとした声で返してしまう。
自分の起源が知りたいとは思ったものの、聞きかじっただけでも話のスケールがぶっ飛びすぎている。
聞けば聞くほど泥沼、抜き差しならぬ事態に陥るのは目に見えているが……
今更そんなことを言い出したところで、どうしようもない。
積み上げた防壁の上にて両の掌を握りしめる。
感触は悪くない。
時間は十分に稼げた。
おそらくだが、自分から喋り倒してばかりではそれも叶わなかっただろう。
それが何故かといえば、相手がヴォルツクロウだから、としかいえない。
何よりも知勇を重んじて種の垣根も気に留めぬ等という男に、口先三寸だけで渡り合うなど土台間違っている。
通用する筈もない。
コイツがそんな事を、させるわけがない。
頭と口を回しながら、力と技も示す。
コイツの興味を引き、時間を稼ぐとしたらそれしかない。
どちらか片方では足りないのは、明白だった。
「そういう意味でも、代理戦は価値があったな。あんときゃどうしてやろうかと思ったけど、ティオのヤツにも感謝だな。ほんと、人生なにが役に立つかわかんねえもんだ」
ボソリとそんなことを呟きつつも、力の流れを確認する。
両手を起点にそれを行うのは、昔からの癖だ。
思えば手甲に仕込んでいた術具に関しても、そのお陰で随分と扱い易かった気がする。
そこでふと気になり手甲のスリットを覗き込んでみるも、そこにあるのは『探知』と『分析』の霊銀盤のみ。
やはり、フェレシーラから貸与されていた不定術法式を用いるためのそれは存在していない。
「ったく。次から次に、あれこれワケわかんねぇことばかり……そっとしといてくれないモンかね」
そんな感想は、何もヴォルツクロウを相手取り、知り得たことのみに対して抱いたワケではない。
突如現れた『凍炎の魔女』に関しても、不明なことばかりだ。
セレンの師であるという、黒の術士バーゼル・レプカンティが、何故『隠者の森』で俺たちに手を貸してきたのか、その理由についても全くわかってはいない。
ジングのことにしてもそうだ。
あいつが何者で、なんでヴォルツクロウと敵対していて、俺の精神領域に棲みつき、更には白の領域にまで適応していたのか……
いやまあ、あの鷲兜は自分でもそこら辺、よくわかってなさそうではあるけども。
とにかく迎賓館に招かれて、そこから影人の襲撃を受けた後に絞ったとしても、今日は色々とあり過ぎている。
あまりに衝撃的な出来事が多すぎて、感覚が麻痺しているという自覚もある。
そんな中……あらためて俺が思うことは、一つだけ。
「さて。感心してもらっているところに悪いがな。そろそろまた行かせてもらうぜ?」
それ即ち、この鴉頭をブチのめして退場していただくという、とてもとてもシンプルな欲求のみ。
対してヴォルツクロウは、好奇の視線と共に口を開いてきた。
「ふむ、余裕だな。ではこちらも言わせてもらうが……同じ手は通用せぬぞ?」
「安心しな。いい加減、こっちも一息つきたいんでな。いまみてぇな生温い時間稼ぎはもう終いだ……!」
挑発染みたその宣言に、意気を吐き散らして宣言をぶつけにかかる。
両の掌を打ち鳴らすと同時に、俺の体は宙に投げ出されていた。
「ほう……!」
陣術『大地変成』の解除と、それによる足場の消失。
浮遊感に身を任せつつ、術理を手放し自由となった腕に再び意識を持ってゆく。
「ここで守らぬか。本当に、面白い童よ……!」
「お褒めに預かり、恐縮ってヤツだがな!」
白の領域、新たなる術理を描く為のキャンバスを踏みしめて、俺は突進を開始する。
紡ぐは祈りの体現、詠じの声。
疾く構成せしめしは、奇跡の図面たる術法式。
用いるは、『筋力強化』並びに『敏捷強化』の神術。
一度は現世にて組み合わせ、重ね掛けでの術効を知り得ていた、強化術の代表格。
「落ち首の魔人将、ヴォルツクロウ・レプカンティ……!」
左右一対、それを両手に握り締めて、標的へと向けてひた走りながら――
「あんたは、ここで倒す!」
己が望みを口に、俺は魂源の力を炸裂させていた。




