465. 誤認情報、または必然的適応
「血液、だと?」
灰色の牙城に突き刺さる、ヴォルツクロウの訝しげな眼差し。
「納得が行かない、ってツラしてんな。だがよ――」
それに対して俺は、やや大仰に肩を竦めてみせていた。
「適性の話はしたよな? 結局は肝心なのはそこだと思うぜ、俺はな」
いかにも「こちらはわかっています」と言わんばかりの論調に、鴉頭が視線だけで疑念をぶつけてくる。
まあ、ヤツがそうしてくる気持ちもわからないではない。
実際に魔人と相対するまでは物文献に記されていた内容から、俺は彼らに対してもっと乱暴で大雑把に力を振るう、『粗野な文明の破壊者』とのイメージを抱いていたが……
あのルゼアウルが主と仰ぐだけのことはあり、魔人将ヴォルツクロウの術法関連への知識は相当なものがあるとわかる。
魔術・神術・陣術といった、基本的な術法に関してみならず。
おそらくはこちらがまるで知り得ない、遺失術や蛮術といった系統の術法への造詣も深いのだろう。
「なあ、ヴォルツクロウさんよ。あんたさ、十六年前の戦いで……第一次魔人聖伐行で、マルゼスさんが魔人将ニーグの首を落とした時に憑りついたんだよな? 俺の体にさ」
「正確には戦いが終結したのは十三年前だがな。それがどうした? 今の陣術の話と、何か関係が?」
ここまでに知り得た情報を時系列でつなぎ合わせての確認に、鴉頭が応じてくる。
超然とした態度のヴォルツクロウに俺は思わず苦笑する。
苦笑するより、他になかった。
「なにが可笑しい?」
「ああ、悪いな。いやさ……丁度いいから、一つ質問だ。その頃の俺って、まだ赤ん坊だったりしたか?」
「……? そうだが、何を言っている? 質問の意図を――」
そこまで口にして、ヤツも気付いたのだろう。
外の世界、現実のそれと同じ成りをした、精神領域でのフラム・アルバレットの姿を再認識して、気付いたのだろう。
「まて……貴様は今、齢は幾つだ? 何故そんな話をしてくる?」
「十五歳ってことらしいぜ。本当のところは、どうだかわからないけどな」
「なんだと?」
それは恐らく、ヴォルツクロウが魔人という特殊な種である故の、見落としだったのだろう。
外見上、こちらの年齢は十五といっても違和感はない。
しかしそれは、人としての……あくまでも、人族という種を『外から』眺めた場合の認識だ。
知識として人の外見年齢を知り得てはいても、ヴォルツクロウは実体験としてそれを学べはしない。
故に僅かな誤差と、それを許容する感覚が発生する。
結果ヤツは今この瞬間まで、フラム・アルバレットを『十三歳の人族』として認識していたのだろう。
まあ、話しの流れから薄々というか、確信に近いものを抱いてはいたが……
「だよなぁ……やっぱ、フェレシーラの言ってたこと、見てたものは正しかった、ってことか」
以前、彼女から聞いていた『幼い頃に隠者の森でみた赤子の話』を思い返して、俺は溜息をつく。
どうしても、半信半疑な部分はあったが……
これでフェレシーラの話が間違っていなかったことが、『その赤子がフラム・アルバレットであった』が確定的となった。
それを確認し終えたところで、俺は我知らずの内にそんな呟きと、長い長い溜息を吐き溢してしまっていた。
わかっている。
今のは物のついでというヤツだ。
この戦いとは関係ない。
別にマルゼスさんに騙されていただなんて思わない。
きっと何か事情があったのだろうと、思うだけだ。
「貴様、先ほどから何を言っている?」
「こっちの話さ。あんただって大体そんな感じだろ。ま、答えてくれた分、あんたが知りたがってることはきっちりと教えてやるよ。ただし……」
ぴくりと、闇色の外套が揺れた。
「その身をもって、ってヤツだけどなッ!」
「――!」
パチンと打ち鳴らしたこちらの指に、解き放たれたアトマの奔流に、灰色の大地が呼応する。
黒の領域よりこちらを防護していた『大地変成』の術効が、瞬時にして切り替わる。
想起するのは、三振りの鉾槍。
突き、薙ぎ、断ち割る。
それらの挙動を織り込ませた灰色の岩槍が、こちらの陣地、堅牢なる砦より撃ち出される。
「さて……まずは適性の話だったな! 落ち首の魔人将!」
狙いは当然、そこしかない。そいつしかいない。
秘術生命体にも等しい構成を受けた魔術の槍が、ヴォルツクロウの喉首へと迫る。
「チッ……!」
対話の最中に虚を突かれたことで余裕を欠いたのか、それとも落ち首呼ばわりに苛立ちを覚えたのか、鴉頭が舌打ちと共に闇を纏う。
お得意の黒煙に拠るガードに、岩槍が弾かれ、捕らわれ、呑み込まれてゆく。
それを都合四度、十二の槍を撃ち込み繰り返してゆく。
流れるように完遂される防御動作。
半ば無意識で行われたであろうその動きに合わせて、俺は叫ぶ。
「崩せ!」
「!」
発動詞のみに拠る術効の追加。
それに従い地が揺れて、ヴォルツクロウの体勢が大きく崩れる。
本来そこは、ヤツの支配下にあるべき領域だ。
故に下からの攻撃はありえない、という認識があったのだろう。
「なんと……!」
しかしそこでヤツは見る。
己が黒煙にて防ぎ散らしていた岩槍が、再び蠢き集結する姿を目の当たりにしていた。
「呑み込み、咀嚼せよ!」
「ハハ……ッ!」
再度の指令に応じて、巨大な顎が黒の魔人を呑み込む。
瞬く間の内に黒煙の護りが押しつぶされて、一つ地より伸び生えた岩首の喉元より垂れ落ちる。
「あんたさ。俺が赤ん坊の頃から、憑りついていたってんのならさ。当然、何度も狙っていた筈だよな? 俺の体を奪いに来ていた筈だよな?」
ごりごりと咀嚼の音を振りまく土塊の大蛇へと向けての、問いかけ。
まずはそれに返答がないことを確認して、俺は更なるアトマを送り込む。
折角の講義時間だ。
ご清聴願う為にも、手は抜かない。
「そもそもの話さ。随分と余裕ぶったことばかり言っちゃあいるが……結局あんたは十三年前に戦いに負けて。命からがら『完成品』だとかいってる俺の体に、大慌てで逃げ込んでいたんだろ? しかもその後はマルゼスさんに見つかって、監視され続けていたわけでさ」
動きを封じた上で『声』を送り込むのを忘れない。
もって二、三分。
それがこちらの見立てだ。
「となれば、当然急ぐよな? 一刻も早く体を奪っておかないと、いつ俺ごと始末されるかもわからない。だから何度も試した筈だし……だとすると、納得もできる」
肉体の強奪を図れば、その成否に関わらず結果はやってくる。
そう考えれば、腑に落ちる点が多かった。
「俺は昔っから、どういうわけか寝るのが嫌いだったからさ。眠りに落ちるたびに、何とも言えない不快感に付き纏われていたし……おかしな『声』がしてくることも度々あった。小さい頃は特に多かったけな」
思い返し思い返し、俺は自らに言い聞かせるようにして語る。
「最近だったらシュクサ村に泊まったときなんか、久しぶりに聞こえてきていたかな。あの時は、途中で止んでくれて……いや、止めてもらえたから助かったけど」
近頃はよく眠れていたので、気にも止めなかった己の性質。
それが生来のものでなく……他者の介入に拠るものであったのならと想定してみると、不思議なほどにピタリと当て嵌まる。
そうした一連の情報と経験生み出した推測が、俺にとある結論を齎していた。
「ま、なにが言いたい話ってかとなるとさ。失敗続きだったのに、何度も何度もやりすぎたんだよ。あんたはさ」
巨大な岩の顎を砦の上より見下ろしつつの、返答。
黒の領域に呑み込まれていた間に、得た確信。
「魔人将ヴォルツクロウ・レプカンティ。どうやら俺には、既に『黒の精神領域』への適性があるらしい。ガキの頃からあんたの乗っ取り行為に晒されるうちに、知らない間に構成を覚えていたみたいだからな」
それはフラム・アルバレットが、白と黒の二つの領域への適性を獲得しているという、結論だった。




