456. 『魔将』
相も変わらず何もない、面白みのない空間にて響く、誘いの声。
「……は?」
鴉頭の魔人ヴォルツクロウからの突然の勧誘に、俺は間の抜けた声しか返せなかった。
しかしそれも、仕方のないことだろう。
あまりにも突拍子がないにも、程がある。
これから雌雄を決しようというのに、例え冗談だとしても程というものがある。
そうとしか思えない内容だった。
「意外だったようだな。ならば、聞こえなかったとは言わさぬぞ?」
「意外とか、聞こえた聞こえないとの話じゃなくってだな。アンタいきなり、何言い出してるんだよ……!」
「別にそう驚く程のことでもあるまい」
戸惑うこちらに、ヴォルツクロウが涼しい顔で応じてくる。
「私には朧気ながらも、ここ暫くの貴様の行いが見えていたと言っただろう。その上で、配下に加えるだけの器量があると感じたまでのこと。このまま消すには惜しいとな」
「それって……俺の体を奪うのは、諦めるって話なのか?」
「そうではない。それとこれは別、という奴だ。飽くまで、その体は貰い受ける。その上で別の器を用意してやろうという話よ」
「別の器って、生身の体のことか? いや、例えそうじゃないとしても……さっきから聞いていれば、むちゃくちゃ言うな、あんた」
「不満か? 見た目が気になるのであれば、同じ物を用意するが……まあ、そうだな。性能に関しても、返答次第で善処しよう」
「いやいや……ちょっと待ってくれ。まだ俺は何も決めちゃいないし、そもそもいきなり過ぎてだな。ツッコミどころが多いなんてモンじゃないぞ……!」
「ふむ?」
放っておけば、あれよあれよという間に一方的に話を進めにかかってくる。
交渉ではなく、決定事項。
そんな調子で言葉を重ねてくる鴉頭の魔人に対してこちらが難色を示すと、一考する仕草が返されてきた。
「現状では判断材料に欠けると。そう言いたいのだな」
「……まあ、そうだな。これが話し合いだっていうんなら、そっちの都合だけでものを言われてもこまる」
「正論だな。とはいえ、こちらも対話を行うのは久方ぶりのことで勝手を忘れておる。赦せ」
赦せって。
なんだコイツ。
マジでなんなんだ、コイツは。
マイペースにも程があるヴォルツクロウの要求に、俺は暫し言葉を発することも忘れて立ちつくしてしまう。
一瞬、以前ジングが支配の術法式の条件を満たす為に取引を持ちかけてきた時ことを思い出すが……
まあ、そこは問題ないとしてもやはり色々と突飛すぎる。
いや、わかるといえば、わかりはするのだ。
この二重の意味で頭のズレた魔人の言葉を鵜呑みにするのであれば、こいつはどうやら、16年前にラグメレス王国を滅亡させた『魔人将ニーグ』の片割れ……
古い文献にも記述が残されている魔人王の配下、『双頭の魔人将』ということになる。
レゼノーヴァ公国では知らぬ者の方が少ないほどの、仇敵である『魔人将ニーグ』は、嘗て俺の師である『煌炎の魔女』マルゼス・フレイミングに、その首の一つを叩き落とされ、敗走したされている。
うん。
やっぱりまずは、ここだろう。
ここをはっきりとさせておかないと大変なことになる。
そしてなによりも、頭の中でだけまとめようとしても、上手くいかない。
一度はヴォルツクロウの話を聞き終えて、そこから情報の精査にかかるより他にない。
「なら、先に確かめておきたいんだけどさ」
そう判断して、俺は確認から始めることにした。
「俺の師匠に……マルゼス・フレイミングに首を落とされたっていうのは、『魔人将ニーグ』の方で。あんたは、その生き残りの片割れ、ってことなんだよな」
「然り」
「……なるほど」
別段なんの感情も籠ってはいない返しに、しかし俺は唸り声をあげてしまう。
唸るより、他になかった。
かのラグメレス王国を滅ぼした魔人将が、その片割れが、己の中に潜んでいた。
ヴォルツクロウの言葉を仮にでも信じようとした矢先に、聞くべきことではなかったかもしれない。
そんなしょうもない後悔を抱えつつも、俺はなんとか踏みとどまる。
「マルゼスさんは……知っていたんだよな。そのことを」
「そうだ。貴様があの森の塔に運び込まれた後に、一度相まみえておる」
「ああ、そうか……最初から知っていたわけじゃなかったのか……」
「おそらくな」
こちらの問いかけに応える鴉頭からは、敵意は感じられなかった。
もっといえば、これといって『煌炎の魔女』への関心がある様子すら感じとれない。
「案ずるな。私の目的はあの魔女の命などではない。無論、邪魔をするのであれば容赦はせぬがな」
「……なら、何が目的だっていうんだよ。俺の体を奪って、それからどうするつもりなんだ?」
「それは言えぬ」
「言えぬ、って……じゃあ、何を話すつもりなんだよ。それこそ話が見えないぞ」
「真実を得たくば、我が配下となれ。これはその為の対話よ」
「その為って言われてもな」
鸚鵡返しを行いつつも、俺は考えを巡らせる。
そうしながらも、間をもたせるためにも話は進めておく。
「大体、なんで魔人であるあんたが、人間の俺を部下に誘うんだよ。その時点で、かなり無茶がないか?」
「そうだな。たしかにその条件であれば、貴様のいうとおりであろうな」
「だろ? じゃあ、なんで俺を仲間に引き入れようとするんだよ」
「はて? 逸れに関しては、既に口にした筈だが?」
当然といえば当然の疑問をぶつけると、ヴォルツクロウが僅かながらにからかうような口振りとなってきた。
どうやら、それぐらいのことは思い出せと言いたいらしい。
なんとなく馬鹿にされた気がして、俺はすぐに答えを返してやることにした。
スゥ、と浅く息を肺に取込み、思考をクリアにする。
探していた言葉は、すぐに見つけることが出来た。
「――あんたが好むのは、知勇に優れた者のみ。そこに垣根を設けるつもりもない」
可能な限り要点をまとめての言葉。
それに耳にしたヴォルツクロウの瞳が、嬉しげに細められるのが見えた。
「肉体的、術理的な資質に関しては別として、だ」
ばさりと片割れの翼で空を打ち、黒の魔人が告げてきた。
「知識、知力、判断力、そして柔軟な発想力と、それを後押しする胆力。これまでに貴様が見せた能力を、私は評価している」
「……そりゃどうも。あんたみたいな化け物からしてみれば、吹けば飛ぶような、ってヤツだとおもうけど。言われて悪い気はしないな」
「茶化す必要はない。謙遜もよせ」
「と、言われてもな……」
裏表を感じさせない物言いに、ヴォルツクロウに抱いていた悪感情が急速に萎えしぼんでゆくのが、自分でもわかった。
共に精神領域に在ることで発生する、共感現象がそうさせているのか……
それとも、魔人の将に認められたことで、自尊心を満たされ悦に浸っている己がいるからなのかは、正直わからない。
「何よりも、な」
そんなこちらの心中を知ってか知らずか、ヤツは尚も言葉を続けてきた。
「貴様、この私を相手にして勝ち切るつもりであったろう? あの時の貴様は、そういう目をしていた。長き闘いの螺旋の中にすら、記憶にないほどの意気……気に入ったぞ」
黒き瞳のその奥に、爛々とした火が灯る。
「貴様の体もだが、今の私には優秀な駒が必要だ。そして貴様であれば、行く行くは……いや。そう遠くない未来に、我が片腕足る『魔将』となることすら夢ではなかろう。無益な争いはよせ。望みとあらば、あの娘のみならず、近しい者も庇護してやってもよい」
明け透けな勧誘に熱を籠めて、魔人の将が歩み寄ってくる。
「もう一度だけ言う。この私に……ヴォルツクロウ・レプカンティに仕えよ。さすれ汝の望み、すべて叶えてやろう。我が最高の傑作よ」
独り善がりもいいところな筈のその誘いに、しかし何故だか俺は、言い様の無い戸惑いを覚えていた。




