452. 真っ向勝負 再びなるか
「……という状況だと思うんだがな。何か言い返せることはあったか?」
現状ヴォルツクロウに、俺の体を奪う手段がないこと。
その癖、己はジングのことを見下して、悪し様に罵っていたこと。
そんな行いが、どれほど滑稽であるかということ。
それら言いたいことを思うさま吐き出し終えると、背中に触れる夜の土の感触が妙に心地よく感じられた。
「それで?」
暫しの間をおいて、ヴォルツクロウが口を開いてきた
自らの舌が鳴らした苛立ちの音を覆い尽くすようにして、だが。
「私に今すぐ貴様から体を取り戻す手段がないとして、この状況をどうにか出来るとでも?」
「ああ、出来るさ。お前がこの身体に拘っている間はな」
負け惜しみの音色を隠し切れぬその指摘に、俺は仰向けの体勢のままハッタリ野郎へと向けて、間髪入れずに答えてやる。
それに対して、黒の魔人は無言で応じてくる。
まあ、そうだろう。
どう考えてもこの魔人は、売り言葉に買い言葉で『別に体など不要だ』なんてことは言ってこない。
コイツの性格上、ハッタリにハッタリを重ねるなど、自身のプライドが許さないだろう。
更に言うのであれば――
「では、聞こうか。その手段とやらを」
「お? 意外に素直だな。もうちょっと御託をこねるか、いたぶってくるかと思ったんだがな」
「今は加減を間違いそうな故、自制しているだけのことよ。だが……」
チラリ、と視線を横に向けて、ヴォルツクロウが後を続けてきた。
「あそこに倒れている娘を巻き込みたくなければ、軽挙妄動は慎むことだな。こちらも無用なことに労力を割く気はないが……私とて、八つ当たりなどという愚挙に及びたくなる時もある」
「そうかよ」
ただの人質扱い、露骨な脅しだろ。
俺の機嫌を損なうと只じゃおかねえぞテメェ、って意味だろ。
マージで遠回しでムカつくんだよ、この糞鴉が。
……なんて意味合いのお行儀の悪い指摘は、ギリギリのところで口には出さずに堪えておいて。
俺は一旦、疾く思考を回すことに専念した。
まずは、ジングのこと。
凸凹になった灰色の兜を見るに、随分とまあボコボコにされたようだが……
こうしてアイツの一部を、未だ折れてはおらぬ鷲羽根を手にしていると、微かな反応、魂絶力を感じる。
死んではいない。
が、動ける状態にもない。
そんなところだろう。
これに関しては、ヴォルツクロウが息の根を止め損ねたというよりは、こちらにその有様を見せつけるためにわざと虫の息に追い込み、晒し首の真似事に及んだのだと思われる。
この魔人の目的が、俺を精神的に追い詰め、心を折りに来ていることは明白だ。
その為にジングやフェレシーラを利用はしても、そう簡単に殺したりも出来ないだろう。
無論、近しい者を殺されれば、心が壊される者も多い。
だがしかし、その逆もまた有り得ることを……怒りに心を燃やし、不撓不屈という言葉の体現者と化す者がいることも、この糞鴉は知っているのだ。
それを経験則で知り得ているのかと思うと、反吐が出そうになる。
なるが、今はそれすらも、コイツを踏みつけて征く為の材料に過ぎない。
というか、そう思わないとやっていられない。
そうして自分自身を鼓舞しながらも、状況の把握へと取りかかる。
確かに、ヴォルツクロウは俺の精神領域に侵入、もしくは干渉出来ない限り、体の乗っ取りは出来ないのだろう。
しかしそれは同時に、ヤツがそうした状態に漕ぎ着けさえすれば、例え『制約』の術法式を利用出来ずとも、あり余るゼフトでもって強引に支配が可能、ということでもある。
実際、ジングは二度目はそうして俺から体を奪っていた。
なのでこの仮定に関しては、まず間違いないといえる。
故にヴォルツクロウは俺を精神的に追い詰めることで、無防備となった精神領域にちょっかいをかけようとしているのだと、想定できる。
そう考えるてみると……
正直なところ、ルゼアウルが撤退済みで助かっていた。
仮にあいつがこの場にいれば、己がそうしたようにヴォルツクロウを俺の精神領域に送り込むことなぞ、朝飯前でやってのけただろう。
そこに関しては、ラッキーだったと言わざるを得ない。
その僥倖を噛みしめつつ、俺は意を決して口を開く。
「賭けをしないか、ヴォルツクロウ」
「ほう。今度は賭けときたか」
無駄を削ぎ落したその提案に、黒の魔人が反応を示してきた。
俺の命までは奪えない。
さりとて、体の乗っ取りに及ぶにはこれといった決め手がない。
「言ってみろ。条件次第では乗ってやらんでもない」
力押しでの限界を感じていたのだろう、ヤツは一も二もなく、こちらの話に耳を傾けてきた。
さて。
ここからが本番だ。
ここで選択を間違うわけにはいかない。
ここで下手を打てば、全てが元の木阿弥と化してしまう。
ヴォルツクロウ自身は気付いていないのか、それとも余裕を見せているに過ぎないのかは、知る由もないが……
はっきりいって、あちらは俺の気持ちが折れないというのであれば、精神操作系の能力でこちらを無力化するか、もしくはルゼアウルの力を借りて精神領域に踏み込んでしまえばいいだけの話なのだ。
前者のやり方に及んでこないのは、単純にヤツのそうした能力がないのだとしても。
後者は半死半生に痛めつけた俺を、そのままルゼアウルの元に持ち帰ればいいだけの話だ。
最悪、ルゼアウルの方から事態を察知して出向いてくる可能性もあるだろう。
故に俺は、そうしたヴォルツクロウの『勝ち筋』を後回しにさせるだけの、ヤツにとっても魅力的な賭けを提示しなければならないのだ。
当然それは、こちらが勝利した際にこの劣勢をひっくり返すだけの利を定めておく必要もある。
となれば、それを通すためにもヴォルツクロウ側の利を積み上げておく必要がある。
大きく出る必要があった。
それもとびきりリスキーで、とびきりリターンの大きい博打を通さねばならなかった。
「今から、お前を俺の、精神領域に招き入れてやる」
「……なに?」
一言一句、ハッキリと言葉を区切っての宣言に、鴉の如き魔人が訝しげな面持ちで見下してきた。
それを全身で受けながら、俺は地に手をつき、木の根にしがみつきながら、ふらつく体を起こしにかかる。
「貴様、言っている意味がわかっているのか? 罠のつもりであれば、迂闊どころでは済まぬぞ。自滅する気か?」
「ああ。リスクに関してなら、わかってるさ。精神領域に辿り着けさえすれば、アンタの目的は果たせるんだろ? なんで今まで、俺の中に潜んでいたくせにそれが出来なかったのかは、気にはなるが……まあ、そんなことはどうだっていい」
なんとか背中を苔むした幹に預けて、身を起こしきる。
ヴォルツクロウは動かない。
明らかに、こちらの提案に興味を抱いている。
それはそうだろう。
一度は追い出されたこの体に拘りを見せるからには、労せずしてそれが叶う話に耳を傾けぬわけもない。
よしんば相手が自分を謀り出し抜かんとしていたとしても、それを捻じ伏せるだけの力もある。
なのでコイツにとってこの『賭け』は、お誂え向きの美味い話であって然りなのだ。
それだけに、警戒の念というヤツがしゃしゃり出てきたのだろうか。
「何故、そのような真似をする。貴様が得るものはなんだ?」
「当然、勝ちさ。完璧な形でのな」
「……理解しかねるな。条件やルールを言え。話はそれからだ」
「別にねぇよ。そんな細かいものは」
疑念を交えた短いやり取りの後に黒の魔人が今度こそ、その瞳を見開いてきた。
「まさか、貴様……」
「ああ、そうさ。きっと今、あんたが考えている通りの勝負。ハイリスクハイリターン。それを実現するための、楽しい楽しい賭けの、始まり、始まり……」
疲弊した体をリズムに乗せて、無理矢理に言葉の先を吐き出しながらも。
「今からこの俺と精神領域で、真っ向勝負でゼフトをぶつけてこい。完璧に受け止めて、その上でブッ飛ばしてやるからよ」
俺は傲岸なる簒奪者へと向けて、勝利宣言を叩きつけていた。




