447. 不俱戴天の仇鴉
完璧な一撃だった。
ヴォルツクロウの狙いが、喚き荒ぶるジングへと向けられている合間に助走を果たし。
続けて俺がヤツの視線を引きつけながら、短剣での攻撃を行った瞬間に跳躍を果たし――
「ふむ」
「……!」
完璧なタイミングで黒の魔人の頭部へと『浄撃』を叩き込んだフェレシーラが、しかし緊張も露わに戦鎚を構え直していた。
「よもや、この私に一撃を入れるとは。陽動があったにしても見事な腕前だ」
完璧であった筈の一撃を受けての、その一言、その評価。
それをさせた相手、即ちフェレシーラへとヴォルツクロウが向き直り、鴉の如き黒髪を軽くはたきながら言葉を続けた。
「それにしても攻撃的なアトマだが……察するに、君が当代の『白羽根』かな? 初めまして、見目麗しきお嬢さん」
「あら、これはどうもご丁寧に。貴方がフラムの言っていた新手の魔人ね」
黒の魔人の問いかけを受けて、フェレシーラが追撃の気配を放つ。
渾身の『浄撃』をその身に浴びながらも、ダメージらしいダメージを見せぬヴォルツクロウだが……
ルゼアウルをも越えるタフネスぶりを見せつけてきた黒の魔人を前にしても、フェレシーラはまったく臆する様子をみせてはいない。
むしろどこにそんな余力を残していたのかと思う程、力強いアトマを放っている。
まるで白羽根の神殿従士としての威を示さんとばかりの、強烈な戦意を示す彼女だ。
だが悲しいかな、そんなフェレシーラのサポートに回るだけの力が、俺には残されていない。
先程の『凍炎の魔女』との戦いで、アトマどころかゼフトまでも殆ど使い尽してしまっている。
正直いって、ジングが現れてヴォルツクロウに挑みかかってくれていなければ、とっくの昔にヤツの――
「そ、そうだ……! そうだ、フェレシーラ! そいつの狙いは、俺の体の乗っ取りなんだ!」
「え――」
不意にそれを思い出してフェレシーラに伝えると、当然ながら戸惑いの声が返されてきた。
一瞬、俺は迷いながらも考える。
「貴方の体を乗っ取るって……ジング以外にも、そんな奴がいたっていうの!?」
が、その答えを出すよりも早く、彼女はこちらに問うてきた。
ヴォルツクロウはといえば、俺とフェレシーラのやり取りを見て口元に薄い笑みを張りつけている。
まるでこちらが混乱する様を楽しんでいるかのような、観察しているかのような……
もっといえば、舞台の特等席で喜劇をゆったりと鑑賞しているかのような、余裕ぶりだ。
こうして見ているだけで、その横っ面に無性に一発くれてやりたくなる。
そんな笑みだ。
とはいえここは、ヴォルツクロウの張り巡らされていた黒煙の結界にて、視界のみならず音まで遮断されていたフェレシーラに、情報を伝えることが先決なのは確かだった。
相手が何を考えているのか知らないが、余裕を与えてくる分には利用してやるまでのこと。
「ああ、そうだ。それらしいことをジングが言っていたけど……あいつと同じで俺の中に、精神領域に潜んでいやがったらしい。その黒い煙が噴き出てきて、気が付いたらそのクソガラスが偉そうにふんぞり返ってやがった」
「ジングが、って。ていうかさっき、あいつの声がしてた気がするんだけど。なんかビュンビュン飛び回って吹っ飛ばされてなかった? 一瞬、兜っぽいのが宙に浮かんでた気がしたんだけど……」
「うん、まあ……あれがジングだな。精神領域でみたヤツと同じ見た目だったし」
「……なんだかいきなりすぎて、ちょっと頭の整理が追いついていないんですけど。まさか他にもまだ出てくるとか、ないでしょうね?」
「う……! おま、やなこと言うなよな……!」
当然といえば当然の疑問なのだろうが、フェレシーラに言葉に怯む俺。
まあ、次から次に変なのが湧いてくるのを間近で見ていたら、そう言いたくなるのもわかるけどさ……!
「そこは案ずるな。私とあの道化以外、お前の中には何も潜んではおらぬ」
「は――?」
突然の言葉に、間の抜けた声が出てしまう。
見れば黒の魔人、ヴォルツクロウが口を開いてきていた。
「もっとも、あの道化――ああ、今はジングだとか名乗っていたか。アレは私の存在に気付いてはいなかったようだがな。まあ、そもそもが想定外のアクシデント。事故のようなものだ。なので断言しておいてやろう。フラム・アルバレット。貴様の中には、もう何も潜んでおらぬよ」
「……そりゃあどうも、ご丁寧に解説ありがとうございます、ってなもんだ」
気付けば「チッ」という似合いにもしない舌打ち共に、俺は言い返していた。
「で? その物知りで不法占拠がお得意な魔人様が、親切心からそんなことを教えてくれたわけか? ならいっそのこと、洗い浚い全部この場でブチ撒けて下さると、こっちとしては大助かりなんだけどな」
「それは……出来ぬ相談だな」
「へぇ? なんでだよ。勿体つけてないで宿賃代わりに話していっていいんだぜ?」
「何故か、か」
半ば挑発染みたものと化していたこちらの言葉、その後半だけを都合よく無視して、ヴォルツクロウが「ふむ」と思案する様子を見せてきた。
その間にも、俺とフェレシーラはヤツを挟み込む位置取りに移っている。
「答えは決まっている。その方が面白いからに、決まっておる」
そんなこちらの動きを気に止めた風でもなく、ヤツは答えてきた。
「フェレシーラ」
「ええ」
これ以上の会話に意味はない。
視線と呼びかけでもって彼女にそれを伝えると、己の取るべき選択肢がはっきりと見えてきた。
メグスェイダとのやり取りをした際に、フェレシーラが「魔人と人類種は相容れない」という趣旨の発言をしていたが……
ここに来て、俺はこの鴉の如き魔人を相手に同じ気持ちを抱くに至っていた。
不倶戴天。
そんな言葉が脳裏を過ぎる。
腹の底から沸々と湧いてる怒りに反して、頭は奇妙なまでに冷え切っている。
火と氷とがせめぎ合うような感覚に、心が「何としてもコイツに吠え面を掻かせてやれ」という思いで満たされてゆく。
だが、既に俺に切れる札はない。
となればここは――
思考の最中、ヴォルツクロウの足元で何かが蠢くのが見えた。
「ッ!?」
続いてやってきたのは、左肩への重い衝撃。
走竜の肩当の守りを以てしても勢いを殺し切れなかったそれが、肩口を切り裂き、肉を突き破って突き刺さる。
「フラム!」
「だい、じょうぶだ……!」
あがるフェレシーラの叫びに、俺はなんとか射突のエネルギーを両脚で受け止め切り、その場に立っていた。
黒煙の中より放たれてきたその物体には、見覚えがある。
あって当たり前だ。
「てめぇ……!」
遅蒔きながらやってきた灼熱感に、血が吹き出て体を伝う生温い感触に……
そして何より己の肩に突き刺さった蒼鉄の短剣を目にして、俺は歯噛みをさせられていた。
「おや。わざわざ持ち主に送り返してやったというのに、不満なようだな。声をかけてやるべきだったか?」
「ほんっ……と! マジでムカつくよな、お前!」
「お前ではない。ヴォルツクロウと呼べ。それが我が名だ。例え貴様がすぐに消えゆく定めにあろうとも、不敬は赦さぬ」
「知るか、ばーか。ああ、それとな」
ざり、と砂利土を踏みしめて、視線はヤツから外さぬまま。
「さっきから随分と余裕かましてるけどな。お前こそ……足元注意だぜ?」
こちらの忠告に、黒の魔人の眉間が僅かに寄せられて、視線が下へと落ちかける。
「フゥ――!」
その一瞬の所作を見て取り、フェレシーラが意気を吐き散らしての突進を開始する。
「なるほど。つまらぬ引っ掛けだな」
そこに向けて、然したる興味も無さげにヤツが背後を振り向いた、その瞬間――
「おんっっっどれりゃあああぁぁ! こんぬぉ、クソガラスがッ! このジング様を忘れてんじぇぬぇーよッ!」
相も変わらず喧しい雄叫びをあげて夜空から突っ込んできた鷲兜と共に、鴉の如き魔人の足元にて、無数の光り物が息を吹き返していたのだった。




