441. 師弟対決 其の弐
「まずは一撃、か」
今しがた上空へと『熱線』を放ったばかりの掌を握りしめると、自然、呟きが洩れていた。
「やっちゃった……!」
そこに背後から、フェレシーラの声がやってくる。
窮地に陥らなければ、手出しはしないといった態度を示してくれていた彼女だが……
正直なところ、俺の方が優勢になる場面はそうそうない、と踏んでいたのだろう。
まあ、それが正常というか、まともな反応だとはおもうけど。
それにしても「やっちゃった」とは中々のお言葉ですね、フェレシーラさん。
「まあ……たしかに師匠と実際に術法戦で手合わせしたことは当然なかったけどさ。これでも一応、毎日のように頭の中で『もし俺が術法が使えたら』、って想定で駆け引きしてたからな? 手数ではこっちが上だし、嵌ればこんなモンだと思うぞ」
「毎日駆け引きを想像って……いや、それはイメージトレーニングの一環としてはわかるけども。私が言いたいのは、そうじゃなくってね……?」
「? なんだよ、そうじゃないって」
上空にて白煙をあげる『凍炎の魔女』から視線は外さぬまま、困惑の面持ちを見せてきた少女に問いかける。
するとフェレシーラが一瞬迷う素振りを見せてから、言葉を継いできた。
「うーん……なんていうかね。フラムから聞いていたマルゼス様の話――いえ、この場合は逆か」
「逆?」
「ええ。逆よ、逆。マルゼス様の話をするときの、貴方の口振りや様子から……こう、ね? こう、結構っていうか……あまり言葉にはしなくても、かなりの親しさといいますか……有り体に言っちゃうと、師弟愛に溢れているなー……とか思ってたんだけど」
「……だけど?」
口籠りながらワードのチョイスに難儀しつつも、逆説の言葉を口にしてきた少女に、俺は思わず首を捻ってしまう。
彼女の言わんとすることがいまいち分からぬままに夜空を見上げていると、白煙の奥で『凍炎の魔女』の浮遊する姿を視認出来た。
とはいえ、なんとか『照明』ギリギリの術効が届いている距離だ。
なので、与えたダメージの程度まではハッキリしていない。
それでも下手に『熱線』あたりで追い打ちをかけたところで、難なく回避されてしまうであろうことは予測できた。
なので今は、あちらの出方を見る為もあり、フェレシーラとの会話に及んでいるわけなのだが……
「うん。仲良いんだな、って思ってたんだけど。今の攻防、全体的におかしくない? 完全にハメて手玉に取って……問答無用で仕留めにいってたようにしか、私には見えなかったんですけど」
「……んんん? え? それって当然じゃないか?」
「そう言われたらそうなんだけど。もうちょっと、こう、躊躇いとか加減とかあるでしょ。普通……」
「ああ。そういうことか」
躊躇いや加減。
そう言われて、俺はようやく彼女の言わんとすることを理解した。
理解して、その上で首を横に振っていた。
「馬鹿言うなって。いま俺が、誰と戦っていると思ってるんだよ。あんなナリしているけど、推定『煌炎の魔女』マルゼス・フレイミングだぞ? お前の話だと、『聖伐の勇者』だってことだし。迷ってたらやれられるのはこっち、ってのもあるけど……」
「――けど?」
「うん。なにより、さ」
短く言葉の先を促してきたフェレシーラに、視線は変わらず上空に向けたまま、続けて返事を行う。
「アレが本当にあの人だっていうんなら。あの程度でどうこう出来るわけない。そう断言出来るぞ」
「……確かにね」
おそらくは、視線の行く先をこちらと同じくして、気付いたのだろう。
夜空に浮かぶ月を背に、再び『凍炎の魔女』が青く巨大なアトマを放ち始めていた。
「どうやら、随分とお冠ってやつみたいね。貴方のお師匠様は」
「そりゃまあ、お前の言うとおりに上手く嵌めたからな。想定戦でもここまで上手く初手が刺さったのは記憶にないし。所謂ベストムーヴってヤツに近いしな」
「想像上での記憶っていうのも、なんだか良くわかんない感覚だし、純粋な術法戦闘ってそんなにお目にかかった経験もないんけど。つまり……ここからが本番、ってこと?」
「だな」
力ある魔術士。
俺の知る名を名乗り、俺の知らない業を使う魔女。
可視化されたその力の輪郭に、ゆらりと月の光を纏いながらそれが墜ちてくる。
「マルゼスさん! いえ……師匠!」
そこに俺は呼び掛ける。
これが本当に、生まれて初となる恩師との術法戦であるのならば……
「いまの攻防、どうでしたかね! 自分では中々上手くやれてたかなって、思うんですけど!」
「――」
今ここにいる彼女が、我が師マルゼス・フレイミングであるのならば。
「ダメージ軽微。防衛システムに再構築の余地ありと診断。対象の行動パターンを収集――」
如何にわけのわからぬ言葉を羅列しようとも……
「暫定目標、魔人の探知及び殲滅を変更」
如何にその姿が変わり果てていようとも。
「最優先目標、AZ波形異常体『フラム・アルバレット』の抹消に移行します」
このままあの人が、弟子のおいたを見逃す筈もなかった。
「はは……っ!」
「フラム!」
歪み、膨れ上がり、漏れ出でるは、空を揺るがす程のアトマの胎動。
まったく、嫌になるぐらいの力強さ、目も眩むばかりの眩しさだ。
だけど、それがいい。
だから、甲斐がある。
そう思いながら、俺は天を仰ぎ舌を回す。
「聞けば、魔人を斃すための『聖伐』の力だとかいう話じゃないですか。なら目的はそっちだったんでしょう? それならルゼアウルたちもいたし、納得だ。でも……それをいきなり放り出して、抹消ですって? そんなに不肖の弟子にやり込められたのが癪に触りましたかね」
「標的の発言、並びに諸反応を記録。解析結果、敵対心、増大、増大……」
魔女が空より降ってくる。
赤が青、火が氷と、真逆もいいところな出鱈目さとはいえ……その美しさ、輝かしさに遜色はなし。
なればこれはもう、俺にとっての『煌炎の魔女』に他ならない。
心燃やし憧れ目指し、焦がれ続けた不敗の魔女に相違ない。
「ちょ――フラム!? なに貴方、いきなり煽り始めてるのよ!?」
「悪い、フェレシーラ。ちょっとここだけは、好きにやらせてくれ。頼む」
「……もう! ここだけはとか、ほんっっっっと、もう! 言っておきますけど、こっちの判断で勝手に割り込みますからね! 返事は!?」
「助かる」
「この……わかったわよ! もう好きになさい! この、魔術馬鹿!」
我儘放題を口にしつつも、一度しっかりと彼女に向き直り、頭を下げる。
自分でも、相当だという自覚はあった。
「なによ、人の気も知らないでニコニコと楽しそうな顔しちゃって……もう」
フェレシーラが呆れるのも当然だった。
これは私情どころか、ただの我儘、俺が抱え続けていた、欲求だ。
しかしそれでも、だがなんとしても、俺はいまこの場で、あの人とやり合いたかった。
理屈ではない。
理由があってではない。
俺はただ只管に、マルゼス・フレイミングに己の業を……魔術であれ神術であれ、最早なんであれ、ぶつけてみせたかったのだ。
それは俺が、あの人の元にいて一度も成せなかったことだったからだ。
稀代の魔術士。秘術の女王。
並ぶ者なき『聖伐の勇者』、『煌炎の魔女』マルゼス・フレイミング。
その唯一人の弟子として育てられながら、只の一度もその成果を示せなかった俺にとっての……
そう。
これは魔術師フラム・アルバレットにとっての、晴れ舞台というヤツに他ならなかった。
故に俺には、ここで引くという選択なぞ、毛頭存在しようもなかった。
「ここからが俺の全力です。受けてもらいますよ、師匠……!」
頭上に在った青き星は、伸ばせばすぐそこ、手の届きそうなところにあった。




