439. 必須条件
地にて微かに灯る魔術の明かり――
「凍えよ」
その輝きに向けて、天より青き炎が降り注ぐ。
呑み込むものすべてを凍てつかせる、極低温の炎。
「光よ!」
矛盾を体現するその炎を、地より放たれた光が吹き散らす。
極寒の渦を撃ち貫くは、フェレシーラの繰り出した『光弾』だ。
「防御行動」
「またそれ……!?」
しかしそれも、宙に揺蕩う『凍炎の魔女』には届かない。
生み出された氷晶の盾が、迫る『光弾』を難なく弾き散らしていたからだ。
「ほんと、ひょいひょいと飛びまわってくれちゃって……今日日ワイバーンだって、もう少し落ち着きがあるんじゃない!?」
「第二目標、『フェレシーラ』のA値低下を確認。戦闘モード、攻撃比率上方修正」
「くっ……!」
地対空の条件下にて、押されているのはフェレシーラの方だった。
攻防ともに隙がなく、『光弾』による遠距離攻撃術も得意とする彼女だが……
先程から『凍炎の魔女』が身に纏う防御氷術を破ることが出来ず、かと言って得意の接近戦も、常時と言っていいほど相手が飛行し続けている為、本領を発揮出来ずにいる。
「飛ぶのも守るのも、延々出来るわけでもないでしょうに……!」
苦々しげに吐き捨てながらも、攻撃頻度を増した『凍炎の魔女』を睨みつけてフェレシーラが後退する。
如何な強大なアトマを秘めた相手であれ、それを消費し続けていればいつかは力尽きる。
その理屈は正しい。
特に『凍炎の魔女』の動きには、全体的に無駄が多い。
百戦錬磨の神殿従士であるフェレシーラの洗練された立ち回りと比べれば、素人同然といってよい程だ。
となれば、持久戦になればなるほど、『凍炎の魔女』が不利となる。
例えフェレシーラが接近戦に持ち込めずとも、相手が先にスタミナ切れを起こす可能性もあるだろう。
だが現実に後退に追い込まれているのはフェレシーラであり、スタミナに関しても同様だ。
それは何故か。
答えは簡単だった。
「……ッ」
氷柱を隠れ蓑に凍気の渦より逃れる少女が、一瞬、動きを止める。
僅かに生まれたその隙に、冷たき焔、凍炎が押し寄せてきた。
「しま――」
立ち並ぶ氷柱にぶつかり吹き荒れたそれが、局所的な乱気流を巻き起こす。
フェレシーラがあげかけた叫びごと、一帯を呑み込まんとする。
そこに狙いを定めて、俺は地を蹴る足裏にて不可視の力を炸裂させていた。
「よっ、とぉ!」
「きゃ!?」
歪む視界と景色を突き抜けた先に佇んでいた少女が、こちらの腕の中に納まり悲鳴を上げる。
構わず、俺は彼女をお姫様抱っこの要領で抱き上げて、その場を駆け去ってゆく。
「第一目標、『フラム・アルバレット』を視認。標的を切り替え……AZ波形、乱変動。警戒レベル更新――」
「相変わらず、ワケのわかんないこと言ってますね!」
「ちょ……!」
氷乱の渦を置き去りに、俺は『凍炎の魔女』を見上げる。
腕の中でフェレシーラが戦鎚を握りしめたままジタバタとしているが、それを支える両腕、地を駆ける両脚、共に力に満ち溢れており、どうという事はない。
「ちょっとフラム! 貴方、なにしてるのよ!?」
「ん? なにって……ああ。ちょっと試しに、『敏捷強化』と『筋力強化』を重ね掛けしてみたんだよ。咄嗟の思い付き、ぶっつけ本番ってヤツにしては、中々悪くない感じだろ?」
「強化術の重ね掛けって……えぇ……」
フェレシーラがあらゆる手段を講じて防戦を続けてくれていた、その間。
俺がやり遂げていたことは、僅か二つ。
一つは『凍炎の魔女』の死角より、フェレシーラと合流する為にひた走ること。
そしてもう一つは、神術系統の強化術の二重使用により、迫る猛吹雪から二人揃って逃れることだった。
「助かったよ、フェレシーラ。お前のお陰でこの通りだ」
「それはこっちの台詞よ。まったく……ようやく姿を見せたかと思えば、とんでもない事してくれちゃって。一瞬、なにが起きたかわかんなかったんですけどー?」
「そりゃ急いで駆けつけたからな。お前がずっと囮役に徹してくれていたからこそ、こうして術法も使えてるんだし。ほんと、ありがとな」
腕の中で呆れたような笑顔で溜息をついてきた少女に、俺は変わらぬ勢いで駆け続けながら、礼の言葉を重ねていた。
フェレシーラが『凍炎の魔女』に追い込まれていた、至極単純な理由。
それは彼女が、行動不能となった超大型影人と共にルゼアウル残していた『ゼフトとアトマを転換させる為の術法式を、俺が分析し、我がものとする間……
只管に注意を引き、本来であれば喰らわずとも済む攻撃まで受け続けていたからこそ、彼女は劣勢を強いられていたのだ。
「ああ、もう。ちょっと疲れちゃったし、このままずっと運んでもらおうかしら……」
「なに冗談言ってるんだよ……って言いたいところだけどさ。この場は一旦俺に任せてくれ。ここまで頑張ってもらった分、お返ししておかないとだからな」
「……うん」
戦鎚に灯された『照明』の明かりを頼りに、原野を駆けて言葉を交わす。
そうして十分に『凍炎の魔女』から距離を取ると、俺はフェレシーラをそっと地に立たせていた。
「その様子だと、『転』術は使いこなせていそうね。聞いたこともない術法式をいきなり分析して、即座に身に付けるだなんて……言い出したのがフラムでなければ、却下していたところよ。幾らなんでも、荒唐無稽すぎる作戦だし」
「う……そこまでだったかな。わりと自分では、成功率は高いと思ってたんだけど」
「そりゃあね。貴方の場合、成功するまで粘りまくるでしょうから。そこは私がなんとか耐えればいいか、って感じだったしー」
「……サーセン」
正にその通り、といった指摘に謝罪で応じつつも、自由となった両手を握りしめる。
ゼフトからアトマへの転換。
修得した術法式の効果によりそれを成したことで、今現在、俺の体には再びアトマが満ちていた。
「でも……そもそもの疑問というか、バタバタすぎて聞き損ねていたのだけど。なんでそんなに大量のゼフトをフラムが使えるのかしら。今まで、まったくそんな気配なかったのよね?」
「だな。まあ、理由はちょっと心当たりが出来ちゃったから、落ちついたら話すよ。こっちもちょっとお前に聞いておきたいことも出来たしな」
「……そうね。その為にも、まずはここを凌がないとだけど」
フェレシーラの言葉に、俺は頷く。
そうしながらも、視線はこちらに向かって飛来してくる『凍炎の魔女』へと向ける。
「ねえ、フラム」
「ん? なんだよ、フェレシーラ」
背中からやってきた少女の声には、振り返らずに短く答える。
するとフェレシーラが、こちらの横に進み出て言葉を続けてきた。
「最初に言ってたけど、話してかけるみるつもりなんでしょ。先ずは1人で戦ってみるだなんて言ってるけど」
「あー……いやまあ、戦いながらだけどな。もしかしたら、誰かにおかしな『制約』を受けてああなってるとか、妙なトラブルに巻き込まれておかしくなってるのかもだし。ええと……それと、なんていうのか」
「いいのよ。別に理由なんて言わなくったって」
「……ごめん」
「だから気にしない。マルゼス様は、貴方の先生で……母親代わりだったんでしょ? なら、なんとかしたくなるのは当たり前のことよ。そこに至るまで、どんな事情があったにせよね」
さらりと指摘されて、返す言葉が見つからなかった。
「いってらっしゃい、フラム。私はサポートに徹するから」
「フェレシーラ……」
「そんな顔、しない。色々と言いたいこととか、聞きたいこと、あったんでしょ? 正直言って、なにがなんだか良くわからない状態だけど。やるべきことは迷わず、ね」
そう言われて横を見ると、やわらかな笑みを浮かべる少女がいた。
一体どこまで世話になり続けるのやら、と思いつつも、俺は前を向く。
「わかった。行ってくる」
それだけを告げて、右の手甲に意識を注ぐ。
疾く術効を発揮した『探知』の霊銀盤が、巨大なアトマをつぶさに捉える。
夜空に青い星があった。
それがぐんぐんと高度を下げて、こちらに向かってきている。
どうやらあちらも、俺の顔を拝みたいらしい。
蒼鉄の短剣を、迷わず鞘から抜き放つ。
対話を試みるにしても、生半可なやり方で実現できるとは端から思っていない。
再び術法を使えるよう、アトマを得ること。
それが1対1の戦いに臨む為の、必須条件だった。
目の前には地面スレスレを漂う『凍炎の魔女』の姿。
距離は20mほど。まだ仕掛けてはこない。
気息を整えて、俺は刃を手に構える。
「魔術士、フラム・アルバレットが……今日ここで、貴方に挑みます」
見覚えのある形の、しかし馴染みのない色彩の瞳がこちらを見据えてきたのと同時に――
「勝負です。師匠」
地上に墜ちた青き星が、微かな笑みを浮かべてきたかのように見えた。




