437. 逆走、開始
「標的『フラム・アルバレット』、Z値変動――」
「先手必勝!」
月下に漂う『凍炎の魔女』へと向けて、発動詞代わりの宣言と共に左手を突き出す。
ゼフトを糧に生じた瘴気の波動が、羽虫の群れの如く夜天を蝕む。
「回避行動」
「でしょうね!」
氷雪を撒き散らして宙を翔ける魔女へと向けて、続けざま、蒼鉄の短剣を振り抜く。
地対空で放たれた黒き剣閃、ゼフト瘴波。
拡散する瘴気の波動を隠れ蓑に撃ち出されたそれの、回避が困難であるのを悟ったのだろうか。
「緊急防御」
8の字を描き空を舞い続けていた『凍炎の魔女』が、右手を振り上げてきた。
氷術に依る、シールドの生成。
「片手で――」
その予兆を見て取り、俺は左手に意識を集中する。
「足りますかねッ!?」
「!」
向かって左方向、先んじて『凍炎の魔女』が瘴気の波動から逃れていた位置へと、腕を振り抜き再び羽虫の襲撃を再現する。
具現化を果たしかけていた氷晶の盾が、瘴気の浸食を受けてその生成速度を明らかに減じてゆく。
必定、そこに黒き剣閃が直撃を果たした。
「やるぅ……!」
先ずは一手、一人時間差攻撃が通ったのを見るや否や、後方に控えていたフェレシーラが突進を開始する。
上空からの反撃はない。
それ自体、こちらの攻撃が多少なりとも通ったという証左だ。
思いの外綺麗に嵌ったくれた先制攻撃と、その成果。
となればこの好機……むざむざと逃す手はない!
「フェレシーラ!」
その名を口に、間を置かず、俺は前方上空へとゼフトを集約させる。
イメージするのは二度目となる、巨人の剛腕。
ただし今回のそれは、長大な五本の指――怯み漂う『凍炎の魔女』の頭上にて集い膨らむ、黒い掌だった。
霞む瘴気の中心にて、目に見えるほどの青きアトマが吹き荒れるも、構いはしない。
「落とすぞ!」
声に力を乗せて、腕を振り下ろす。
炸裂する黒と青が、礫の如き余波を撒き散らす、その最中。
「天に聖業、地に誅伐……」
神殿従士の少女が、地に墜ちゆく影へと向けて猛禽の如く迫る。
「聖伐の浄撃よ!」
上がる土煙を吹き払いかち上げられた光鎚が、破砕の音を場に響かせた。
生身の体、肉と骨が上げるには程遠い、澄んだ破砕の音。
「ちょっとちょっと……!」
空中より叩き落とされた『凍炎の魔女』に、見事追撃の一打をくれた筈のフェレシーラが、焦りも露わに退く。
そこに、霧雨の如きアトマが吹きつけてきた。
「凍えろ」
「吹き散れ!」
発生位置を調整しての瘴気の渦が、局所的な吹雪とぶつかり合い、共に霧散する。
巻き起こる力のせめぎ合う隙を縫い、フェレシーラが後退を果たす。
見ればその亜麻色の髪の先端が、分厚い霜に覆われていた。
「ありがと、フラム。危うく氷漬けにされちゃうところだったみたいね」
「いや、追撃を頼んだのはこっちだからな。フォローに入るのは当然だ。それよりも……」
「ええ。貴方の師匠、硬すぎ。なにあれ、魔術士の防御力じゃないでしょ」
「だなぁ……使うのが炎術から氷術に変わるだけで、随分と守りが強固になるもんだ。あ、いや。だけってのはおかしいか」
右手に戦鎚で構えたまま、左手で髪をかき上げて霜を払う少女に、俺は頷きながらも思考を回し始めていた。
「接近戦に持ち込めば、こっちに分があるとおもったんだけどな。地形干渉による悪路化といい、まともに喰らえば拘束必至の凍結力といい、今の防御といい。思った以上に器用な立ち回りが可能ってことか。実戦ではかなりの有効なんだな、氷術ってのは。マルゼスさんは大の苦手だから、殆どお目にかかってなかったけど」
「その分、十分な効果を得るには多大なアトマか時間を要するのが普通なのだけど。『聖伐の勇者』にはそんな常識も通用せず、ってところね」
「なるほど。正に規格外ってヤツだな」
2対1の攻防を終えて情報を交換する俺たちが目にしたのは、巨大な氷の盾で前面を覆い終えた『凍炎の魔女』の姿だった。
おそらくはゼフト瘴波の直撃を受けながらも、そのまま氷晶の盾を生成し続けていたのだろう。
物理アトマの両面打撃たるフェレシーラの浄撃を以てしても、表層のみを砕くのが精一杯とは、正直言って驚きを禁じ得ない。
如何なる術法式も用いて組み上げたのか、皆目見当もつかないが――
「多分だけどね」
これといった攻略法が思いつかずに思わず唸っていたところに、フェレシーラが声をかけてきた。
「殴った感じでは、多層的な防御って感じよ。直撃した瞬間にあっさりと砕けたけど、すぐに弾き返されていたし。単発の攻撃は余程の火力か貫通力がないと、通用しなそうかな」
「多層的……そうか。衝撃やアトマを吸収してダメージを逃す構造ってことか。それなら、うん」
「あら。早速、何かいい手が浮かびそうかしら? 一番弟子さん」
「茶化すなって。まあ、攻略法はありそうだけど……現状だと、手段が不足してるかな。さすがにお前もあの浄撃の連打に持ち込むには、隙を作っていかないと厳しいだろうし」
「そうね」
一度は大きく攻め込まれた為か、今のところ守りを固めた『凍炎の魔女』に動きはない。
しかしそれも、長くは続かないだろう。
反撃は必ずくる。
それも確実にこちらを仕留めきるだけの大技を繰り出す機会を、虎視眈々と狙っている。
今はその為の、力試しの域に留まっているだけな気がした。
「ところで言えばだけど。貴方の方はどうなの? その……」
「ん? 俺の方って……ああ、ゼフトのことか。そうだな。かなりの暴れ馬って感じで、出力を上げると細かい制御は厳しくなる感じだけど」
ゼフトの名を出すことは、やはり抵抗があるのだろう。
口籠る様子を見せてきたフェレシーラに、俺は敢えて気にしない風で返事を行っていた。
「さっきの叩きつけのヤツも、ブレが酷くなりそうだったから範囲そのものを広げていたし。そういう使い方ばかりだと、消耗も早くなるだろうからな。便宜上、ゼフト瘴波って呼んでるアトマ光波モドキの方が、まだ取り回しはいいかな」
そう言いながらも、それが誤魔化しだという自覚はあった。
扱いに不慣れなこともあり、また、術法のリソースとして利用出来ないこともあって、現状ゼフトに頼った戦法は、どうしても大味になってしまいがちだ。
パワー重視の戦い方が向いている感があるのに、肝心の俺自身が、そうした立ち回りに慣れていない。
不定術法は術効面では威力不足を感じることもあったが、その自由度、多彩さではかなりの適性があったのだと、今更ながらに思い知らされている。
力と力のぶつかり合いでは、一見拮抗していも、その内にこちらのゼフトが尽きるか、体の方が反動でもたなくなる。
このままではジリ貧に陥るのは、目に見えていた。
そうした予測が、顔にでてしまっていたのだろう。
「そう。今は平気かもだけど、何があるかわからないから、気をつけてね」
フェレシーラが、『凍炎の魔女』に視線を向けたたま、言葉を続けてきた。
「私にもう少し余力があれば、『アトマ付与』でなんとかしてあげられるんだけど……」
「いやいや、それじゃお前がキツくなりすぎてバランスが崩れちゃうしな。なんとか騙し騙し、この力で――」
はた、と。
そこまで言って、ある物が視界に入ってきた。
それは巨大な腕を広げたまま、直立する氷像。
課された使命を果たすこと叶わず、沈黙し続ける鉄の巨人。
その姿を見て、脳裏に閃くものがあった。
「……フラム!」
もしかすれば。
そう思い至った時に、やってきたのは少女が発した警告の声。
見れば『凍炎の魔女』が氷晶の盾を脱ぎ捨てて、飛翔の体勢に入りかけていた。
「フェレシーラ! 考えがある! 最初の場所に、急いで戻るぞ!」
「え――最初の場所って」
「ああ」
戸惑う彼女に、俺は頷く。
「ちょっとした賭けにはなるけど。あの鉄巨人のいる場所に……超大型影人の元に向かう。話は、それからだ」
そうして新たな目標に向き直ると、神殿従士の少女もまた、決然とした頷きを見せてきた。




