434. それぞれの理由
こちらが生み出した『照明』の魔術を、『転』の術法式で反転させた。
突如湧き出でた『暗闇』が何故にと考えれば、そんな出鱈目な行いしか有り得ない。
それが『凍炎の魔女』の力の一端であると止まぬ思考が強引に結論づける中――
「こん……のぉっ!」
俺は手中に集めたゼフトを、暗中にて這いよる冷たい炎へと叩きつけていた。
「ッ!」
振り返り様の応撃に、あがる聞き覚えのある苦鳴の声。
ズキリと、ズシリと横薙ぎにした右腕へと冷めた痛みがやってくる。
「標的名、フラム・アルバレットの反撃を確認。Z値、依然上昇。カテゴリー人族の基準値を逸脱――」
さきほどやってきた発動詞より、やや遠いと感じる、『凍炎の魔女』特有の物言い。
相手の攻撃は元より、その姿も『暗闇』の中であるが故に見える筈もない。
完全に感覚頼りの応撃だったが……
視力を封じられていたことで、感覚自体は鋭敏さを増していたのだろうか。
右腕に凍気を浴びながらも、こちらの放った瘴気の波動がカウンターとして成立したという、確かな手応えがあった。
「滅茶苦茶しやがる……!」
一連の攻防に対して、俺は感覚のほぼなくなった右手を握りしめながら吐き捨てる。
発現済みの他者の術法に干渉する。
それ自体はルゼアウルも術法の無効化、という形でなら実現してみせていた。
しかし今回、『凍炎の魔女』が仕出かしてきたそれは、その遥か上をいく代物だ。
一体、如何なる理論と技法で成し得たのだろうか……
俺の放っていた巨大な『照明』を反転させることで、濃密な『暗闇』へと書き換える。
それも対抗術としてフェレシーラが用いた『照明』を、一切受け付けぬ程の術効を持つ強力な代物として、だ。
「なんでもかんでも『転』術の対象だとか、ふざけんなよ!」
「フラム! しゃべってないで『暗闇』の範囲外に移動よ! 視た感じ、範囲自体はそこまででもないから!」
「了解……! それなら――」
間近よりとんできたフェレシーラの指示を受けて、それを完遂する為の方策を想い描く。
暗闇の中、乱立する無数の氷柱。
気を抜けばツルリといきかねない、冷気に浸食された足場。
例え障害となる物がなくとも、闇の中はただ駆けるだけでも難しい。
ならばと、痺れる右腕に力を籠めて、俺は叫んでいた。
「背中合わせになれ、フェレシーラ! 道はこっちで作る!」
「オッケ! 防御は任せて!」
既にこちらの意図を察していたのか、すぐに背中にあたたかな感触が伝わってきた。
迷わず、俺は撓めた力に形を与える。
イメージするのは巨人の剛腕。
行く手を遮る樹氷の森を吹き飛ばし、『巨人の道』へと作り変える、純粋なる力の所業。
「Z値、警戒レベル更新。緊急回避――」
「わざわざ声だしてんなよな! この、出鱈目女!」
どうせ力を使って、ゼフトを用いて道を作るのであれば……
狙うは当然、一石二鳥!
「暫定識別名『フラム・アルバレット』を、魔人として――」
「だから――黙って、ぶっ飛んでろ!」
響く『凍炎の魔女』の声目掛けて、俺は破壊の力を叩きつけていた。
「――どうだ? まだ、こっちを探してる感じか?」
「んー……多分ね。私のアトマ視の有効距離を越えちゃってるから、なんともいえないところはあるけど。すぐに飛んでこないことを考えると、こっちを見失ったか、ダメージを受けて飛べなくなったかの、どちらかじゃないかしら」
「そっか……」
立木の陰より彼方を覗くフェレシーラの報告と推測を受けて、俺は樹皮に背中を擦りつけるようにして、その場で尻餅をついていた。
「まさかあの一発で、『暗闇』まで吹き飛ばしちゃうなんてね。お陰で走るのに苦労はせずに済んだけど……それにしたって、あの悪条件下でよく直撃させたものね。『探知』も使えないのに、なにか当てに出来るものでもあったのかしら?」
「あー……どうだろうな。声の発生源に当たりをつけた、ってのはあるけど。まあ、あとは勘かな。ああ、いや……どっちかというと癖を見抜いた感じかもだけど」
「ふぅん? 出会ってすぐの相手の、癖をねぇ。困った話ね」
「まあな」
ずりずりと落ちてきってから、こっそりと溜息を漏らす。
手加減ぬきのゼフトの一撃を皮切りとして、『暗闇』の術効ごと立ち並ぶ氷柱を吹き飛ばし。
あれから、俺とフェレシーラは、只管に夜道を駆け抜けて『凍炎の魔女』より逃げ果せていた。
多分。
「体の調子はどう? ジングはまた大人しいみたいだけど。ゼフトを使って、どこか痛むとか調子がおかしいとか、なかった?」
「ん? ああ、そっか。そうだな。そういえば右手がちょっとやられてたかな……」
「え? 右手がって……うそ、いつやられたの? 逃げてる間の攻撃は『防壁』でシャットアウトしていたから―って、ちょっとなによこれ! 手甲ごと凍りついてるじゃない! なんでもっと早く言ってくれないのよっ! ああ、もう……いま『治癒』するから。本当に、なんでずっと黙ってるのよ、貴方は……っ」
フェレシーラの問いかけに半ば無意識で右手を差し出すと、矢鱈と慌てたり心配されたりしてしまった。
言わずもがな、右手の凍傷は『凍炎の魔女』の奇襲に対して、瘴気の波動でカウンターをとったときに負った手傷だが……
勢い余っての逃走劇に発展したこともあり、俺自身、こんな事になったのをすっかりと失念してしまっていた。
まあ、感覚自体がなくなっていた、ってのも理由の一つではあるだろう。
しかし実のところ、色々ありすぎて体のことに気が回らなくなっていたというのが、実情だ。
「なあ、フェレシーラ」
「なによ」
何故だかやや仏頂面と化していた少女に、俺は問いかける。
「お前さ、最初は俺があの『凍炎の魔女』をマルゼスさんかもしれない、って言ったときは信じてなかったけど。それはまあ、当たり前だとおもうんだけどさ」
「そうね。それが、なに?」
「うん。そのあと……むしろお前の方が、アレがマルゼス・フレイミングだって思い始めていたんじゃないか?」
じんわりとした暖かさと共に、フェレシーラの手に包まれた右手に感覚が戻り始める。
追ってムズムズとした感触が訪れるが、不思議と手を動かす気にはなれなかった。
フェレシーラは、無言だった。
「このまま見つからないようにしながら、皆のところに戻りましょう。早めに合流しておかないと、斥候として出されてた兵士がアレと鉢合わせしちゃいかもだし。ドルメ助祭たちも、救援として動いているから」
「それはそうだけどさ。良ければ教えてくれないか。お前のことだから、なにかしっかりとした根拠があるんだろ?」
必要な会話ではあるものの、明らかにこちらへの回答を避けてきた少女に、俺はなおも質問を繰り返した。
今度は、フェレシーラが溜息をつく番だった。
「正しくは、マルゼス・フレイミングだと思った、ってわけじゃないのよ。そっちじゃなくて、こっちの問題だから」
「? こっちのって、どういう意味だ? わるいけど、さっきからちょっと頭が回んなくて……出来たらストレートに言ってくれると、助かる」
こっちの問題、と言われてついつい一瞬『フェレス』のことが頭を過ぎったが……
これはまあ、『凍炎の魔女』とは関係ないだろう。
それに『フェレス』の言動や、これまでのフェレシーラの様子を見ていれば、彼女が『フェレス』の存在を認識していないか……もしくは意識的に口に出すことを避けている可能性もある。
なのでいまは、そこについて触れる必要はない。
俺自身、そこまでの余裕もない。
情けの無いことに、自分のことで精一杯だ。
「そうですね」
暗澹たる想いで右手を見つめていると、頭上から声がやってきた。
フェレシーラの声。
しかしそれは、時折現れる少女の声だ。
こう言っては誤解を招くかもだが、こちらのフェレシーラも、俺は好きだった。
「これはあの『凍炎の魔女』がマルゼスの名を自称した際に、感じたことなのですが」
そんな彼女が、いつもより少し遠いところにいた。
自身がそう感じた理由を、俺が理解するよりも、先に――
「アレはおそらく、『聖伐の勇者』です。故にアレは、マルゼス・フレイミングなのです」
彼女はそう言って、俺の知らない理由を口にしてきたのだった。




