433. 試しの時
腹の底から湧き上がる熱を、掌に集めるまでに冷まし切るイメージ。
極々僅かなエネルギーをそこに集めると、極小の球体という形で瘴気が生成されていた。
「……よし」
ゼフトの放出とコントロール。
アトマを扱う際のそれとはまた異なる力の発露を一旦は打ち消し、それが完全に消失したのを見届けてから安堵の息を洩らす。
これまで二度、勢いに任せてやってきたそれを、微細な出力で実現出来た。
正体不明のこの力を扱う上での、本当の意味での第一歩。
ここからアトマを操るノウハウを転用して、やれることを探っていく必要があるのだが……
まずは何よりも、フェレシーラを巻き込まないように注意しなければならない。
現状どうしてもストレートに力を引き出すと、瘴気という形で現れるから短時間とはいえ残留が起きてしまう。
言わずもがな、これは基本的に攻性のエネルギーを持ちながら、人にとって毒素に近い影響を及ぼす代物だ。
勿論、フェレシーラだけでなく俺自身の体にもマイナスとなりかねない。
「アトマが回復してくれたら、無理に頼る必要もないんだろうけどな」
ついつい、そんな無茶を願いつつも、次のステップに移行する。
本格的な睡眠、もしくは瞑想による休息を取らなければ、一度底をついたアトマは早々回復なぞ望めない。
特にこれまで、アトマが完全に枯渇するレベルまで消耗した経験がなかったので、どれぐらい休めば効果があるのかも、感覚的に掴めていない。
先日フェレシーラがダウンしたように、急性アトマ欠乏症に陥らなかったのは、不幸中の幸いというべきか……
多分アトマの総量が大きい故に、一気に消耗しきるというケースが発生しなかっただけだろう。
なんにせよ今現在、目下の標的『凍炎の魔女』が上空にあるクソデカ『照明』に引き寄せられている間に、テストを試みておかねばならなかった。
「それにしても、なんだか水晶灯に引き寄せられた羽虫みたいね。あの凍炎さん」
「あー……たしかに、言われてみればそれっぽいな。なんか目を閉じながら、『照明』の中を突き抜けて往復してるし。もしかして、あれに気を取られている間に離脱出来るかもな」
「んー。さすがにそれは厳しいんじゃない? 多分だけど、あれってゼフトを感知してここに来たんだとおもうから。一時的に興味を引かれているにしても、逃げたら追ってきそうだし」
「ゼフトに引かれてやってきたのに、今度はアトマの産物に興味津々とか、猫かなにかかよ。ま、取りあえずこの隙にやってみるか……!」
己を鼓舞する為に発した言葉に、やや遠巻きに構えていたフェレシーラが、頷きで返してきた。
まずは僅かながらも、ゼフトの流れをコントロールできた。
ならば、次に俺が試みることは決まっている。
「原初の灯火、火の源流……導く軌跡にて、我は戻り逝く……」
両手にゼフトを留めて、その中間、胸の前にて術法式を組み上げる。
「残り火還り火、煌々と。楽土焦がして、堕ち昇る……天地貫き、燃え盛る」
威力よりは制御に。
速度よりは精度に。
そしてなにより、アトマではなくゼフトにて『熱線』の魔術を発露へと至らせる。
「――吹き飛べ!」
その為の発動詞だけが、虚しく氷柱の合間を駆け抜けていった。
「……ええと。いまの、なに?」
ややあってこちらに声をかけてきたのは、後ろで待機してくれていたフェレシーラさん。
ちょっと困ったような顔が可愛いですね。
じゃなくって。
「うん。やっぱゼフトを術法式に流し込んでも、うんともすんとも言わないな。術法式が壊れるとかでもなく、単に流れて戻って来て終わりになる感じだ」
「……つまり?」
「リソースの無駄かな。このやり方だと。もし術法式を起動出来るとすれば、式自体をゼフトをエネルギーとして使えるように、根本的な部分から作り直さないといけないかもしんないぞ」
「しんないぞ、じゃなくってね」
実験の結果とそこから得られた改善点を口にしていると、ニッコリとした笑顔が返されてきた。
うん。
これはあれですね。
所謂、嵐の前の――
「なに貴方、しれっととんでもない真似をしてるのよ!?」
「あ、いや、まあゼフトも殆ど注ぎ込んでなかったしさ。最悪暴発とかしても、指の一本か二本ぐらいでさ」
「ぐらいとか、気軽に言わない! 自分の体を一体なんだと思ってるの!」
「ちょ、ちか――っておま、耳元で怒鳴るなって!」
ささやかな静けさは、これにて終了。
ついでにぼくの鼓膜もめでたく終了、という流れを経て。
「まったく。そういうときはせめて補助系の術法にしておきなさいな。というかそういう事を試す時は、先に一声こっちにかけておくこと。オーケー?」
「へーい……あっ、はい。次は必ず……余裕があれば、っていってぇ!? お前なぁ! 足場悪いんだから、爪先踏むのはやめろよな! 気軽に『治癒』できるからってさ!」
「そっちが危なっかしいことばっかりするからですよーだ。口で言ってもわかんない子には、おしおきですー」
「そうは言うけどさ。コレが使えない時点でほぼ結果は見えていたからなぁ……」
プンスコとばかりにほっぺを膨らませるフェレシーラに、俺は右の手甲、その第二スリットに収められていた『探知』の術効を秘めた、極小の霊銀盤を指し示していた。
「え? なにそれ。もしかして、さきに『探知』の術具がゼフトで起動しないか、試していたってこと? それもまさか、私にアトマ視が使えるかって聞いてきたときに?」
「まあな。消費はそれなりだけど、扱いやすいし。なにより直接戦闘用じゃないからさ。お前の言うとおり危険性は低いだろ?」
「なる。それなら試しは済んでた、ってことね。それを早く言いなさいな」
「それはわるかったよ。でもまあ、幾らアレとはいえ、逐一説明して時間をかけすぎるのもなんだったしさ。省けることは省こうかなと」
言って今度は人差し指にて頭上を指し示す。
そこには相も変わらず、巨大な『照明』の周囲をビュンビュンと飛びまわる『凍炎の魔女』の姿。
一体なにがそこまで気になるのか、あれ程こちらに反応し、あまつさえ攻撃さえ仕掛けてきたというのに、今はずっとああして深夜の太陽モドキに御執心なご様子なのだ。
「幾らなんでも、『照明』さえだしておけば無力化できる、なんて話は都合が良すぎ……ッ!?」
一瞬、非戦でいける可能性が頭を掠めたその瞬間。
不意に周囲を照らし上げていた光が――『照明』の輝きが、忽然として失われた。
代わりにやってきたのは、闇。
それも普通の、夜の闇ではない。
「フェレシーラ、頼む!」
「ええ!」
星々の、そして月の光一つ通さぬ真の闇。
「照らすは汝の塒、灯すは子らの燭台……」
無明の帳の中にて、朗々とした中高音の詠唱が響き渡る。
「揺蕩う光、安寧の輝きよ!」
暗闇の只中にて、新たなる『照明』の魔術が完成する。
完成するも、それは一片の光明も灯すには至らなかった。
「これって――」
「ああ。代理戦の時と、同じ……!」
生み出された『暗闇』に呑み込まれたそれをみて、二人共に思い出す。
このままでは不味い。
直感というよりは、本能的な恐れからそれを悟る。
足場の悪さ。
消失した視界。
そして闇の中に巻き起こる、何かが風を裂いて飛来する音。
「フラム! 後ろっ!」
悲鳴にも似たフェレシーラの声に振り返るも、在るのは只、闇、闇、闇――
同一条件下におけるアトマ視の有無による差異がもたらした、どうしようもない程の現実を前にして。
「凍れ」
俺の耳に飛び込んできたのは、凍てつきの宣告たる発動詞だった。




