430. 反転する力
術法式における『転』。
それは、『起』『承』『結』で構築された式に反転効果をもたらす外法。
発現させた熱を冷気に、光なら闇に、といった風に転換されるが、アトマの消費・術法式の統制の両面での負担が大きいわりに『転』の前の効果は同時には得られない。
非常に難度が高く、普通に術法を使用した方が諸々有利なため、今の世の中では敢えて習得する者も殆どいないといわれている。
一部の術士間では独自に研究も行われているらしく、炎術以外の術法論に殆ど興味を示すことのなかったマルゼスさんも、何故だかこの技法だけは研鑽を積んでいたことを覚えている。
もっともその殆どがまともに発露することはなく、実際に成功するのを見せてもらったのも、ただ一度切りだったと記憶している。
無価値ではないが、廃れている。
余程の暇人か、物好きだけが習得する技法といったところだ。
だが――
「なるほどね。確かにそんな技じゃ、世間的に知られていないのも納得か。セレン辺りなら普通に知ってそうな気もするけど」
「あー、それはいえてるかも。あの人、術法の分野に関してはめちゃくちゃ博識ぽいからなぁ。少なくとも、理論は体得してる可能性が高そうだ」
何故だか物の見事にこちらを見失っていた氷原の創造主から、乱立した氷柱を盾に二人仲良く身を隠しつつ……
「まあ、問題はなんであの魔女のお姉さんが、一々そんなものを使ってなんでもかんでも凍らせちゃってるのか、って部分なんだけどさ」
「そうねぇ。これだけの規模の氷術を操れるなら、元の炎術を叩きつけてくるだけでも洒落にならない筈なのに。聞けば聞くほど謎ね」
「なんだよなぁ。しかも攻撃術を一度放ったあとのフェイントに使うとかじゃなくて、術法が完成した直後の一瞬で変化させてきてるぽいし。正直無駄もいいところって感じなんだよなぁ」
俺とフェレシーラは、時折思い出したかのように凍れる炎を振り撒く、青の魔術士の様子を伺っていた。
「どうやら今のところ、動き回ってこちらを探すつもりはないみたいね。ずっと浮遊して移動してるし、現れた時も飛んできたぽいっから……ちょっと飛び上がって上から見下ろせば、余裕でこっちを捕捉できそうなものだけど」
「ああ。術法の使い方といい、動きといい。ついでに言えば喋ってることもおかしかったもんな。なんかこう……作り物っぽいというか。なんだっけ、あの独特な無機質な感じ」
「んん? あー……もしかしてあれかしら。作業用ゴーレムとかの秘術生命体に、事務的な喋り方だけさせる、あれじゃない? 前に家で使ってた、メイド型のやつなんかはもうちょっとこなれた話し方も出来たけど」
「え、メイド型のゴーレムなんてあるのか? まあ、ホムンクルスを使うよりは面倒はなさそうだけど……一度内部構造を――って、あでっ!? おま……なんでいきなり足踏んでくるんだよ……! 見つかったらどうすんだ……!」
「あら、ごめん遊ばせ。あまり関係のない話に気が逸れてたみたいだから、つい」
いやなんでそこで悪びれずにシレッとしてるのかな、この人は。
相手がロクにこっちを探しきれずに、かといって攻撃術をブッパなしてくるわけでもないからいいものの……
逆に言えば、何を仕出かしてくるかも皆目見当もつかない手合い、というヤツでして。
そんな時にいつものノリで人の足をゲシッてくるとかやめてくれませんかね?
まあ、半分休憩みたいな感じになって、調子を取り戻せたみたいで安心はしたけどさ。
それにしても、この状況。
一度は『爆炎』の搭載型の超大型影人から離れてもらうという名目で、ホムラとメグスェイダに頼む形で影人どもと戦って兵士の人たちにも移動を促せている筈ではあるものの。
傍からみれば何事もなく済んでいるこの状況。
下手をすればこちらに向けて、偵察と救援を兼ねた人員が派遣されてくるかもしれないのだ。
無論、普通に考えればそれ自体は有難い話ではある。
事実、ルゼアウルとの『制約』を用いた決闘に持ち込めたのも、そうした横槍を警戒してツェブラクがその場を離れてくれたことが多いに絡んではいた。
だがしかし、この正体から目的から行動パターンから、何から何まで謎だからの氷術士を相手に、下手な加勢は被害を増やすばかりで逆効果だろう。
術士に対して有効なことが多い接近戦に持ち込むにも、これほどの規模と威力の氷術を操る相手では、並の使い手では期待薄。
そも、フェレシーラほどの打撃戦のスペシャリストが、こうして様子見から入っているという現実からして、厄介極まりない相手であることは明白だ。
可能であれば、このままこっそりとこの場を離れて撒いてしまいたいところだが……
「多分だけど。なんかボソボソ喋ってるのを拾い聞きした感じ、あっちもアトマ視を使っているっていうか……下手すりゃゼフトも視てそうな雰囲気あるんだよなあ」
「ゼフトもって。そんなのまるで……」
グルグルと頭の中で回していた思考の断片を洩らしてしまったところに、やってきたのは少女の声。
「ん? なんか気になったことでもあったのか、フェレシーラ」
「あ、いえ……な、なんでもないわ。そっ、それよりも、今はどう出るかの方が大事じゃない? いつまでもこうしているわけにも、いかないし……」
「それは……そうだよな。たらればばかりで動けなくなって、最悪先手を撃たれたら不味いし」
珍しく何かを誤魔化すような素振りを見せてきたフェレシーラに、俺は敢えて揚げ足を取らずに話を進めることにした。
言ってはなんだか、この状態……普通に寒くてどうにかなりそう、というのもある。
いやマジで。
様子見に様子見を重ねた挙句、気付けばまともに体が動かなくなってしまい、あっさりとやられちゃいました、なんてオチだけは勘弁願いたい。
「それで? 『転』術以外に、なにか話しておきたいことがあったんじゃなかったの?」
「ん……それなんだけどさ」
もしこのまま、青の魔術士と本格的に交戦する羽目になった際の、重要なポイント。
それは、そこに言及しようとして、手甲に覆われた己が拳を握りしめた時のこと――
「――フラム! 後ろ!」
「ッ!?」
フェレシーラの発した警告の声に、俺は振り向きもせず、左方へと跳びはねていた。
入れ違いになる形で、そこを青い炎が吹き抜けてゆく。
続けてやってきたのは、身も凍るほどの寒波。
凍てつく地と凍える大気を伝い来る、強烈な冷気。
「まっず……!」
一体いつに間にやら、こちらの背後に回ってきていたのか。
気付けば背後に聳える氷柱の合間より、青の魔術士が姿を現していた。
「観測対象、AZ値変動大。脅威度の上昇を確認――」
「下がっていなさい、フラム! いまの貴方じゃ、真正面からこいつの相手をするには力不足よ!」
「ま、待ってくれ、フェレシーラ! まだ、話してないことが……!」
「そんなの後にして! さっきからアトマだって全然視えてないのに、無理しない!」
その一言が、前に出かけた体を、腹の底にズンと響いてきた。
フェレシーラなりの配慮、心配、アドバイス……
そうだとわかっているのに、体が反応するのが遅れた。
「高A特化個体、介入を確認。脅威度A――戦闘モードに移行」
なんの抑揚もない、しかし声音自体はやはり記憶の底を満たす声。
「護りの盾……阻みの祈りよ!」
フェレシーラが神速の詠唱と構成で以て『防壁』を展開する。
そこに青き炎を纏った女性が――『凍炎の魔女』が指を差し向ける。
ぞくりと、肌が泡立った。
「凍れ」
ただ一言。
それだけの事で視界が刹那の時だけ赤に包まれて、瞬く間に青へと染まる。
光輝く『防壁』が、パキンと甲高い音を立てて、砕け散る。
「――あ」
茫然と、しかし魔女と俺の間に割って入りかけていた少女が、迫る蒼炎に魅入られ立ち尽くす。
「フェレシーラ!」
気付けば、抜き身にしていた短剣を疾らせていた。
瞬間、心まで蝕みかけていた冷気が、腹の底から湧き上がってきた、グツグツとした熱塊に吹き飛ばされて――
「――くッ!?」
青黒く灼けた刀身から、ドス黒い刃が撃ち出されていた。




