428. 望まぬ再開 或いは
「……聞くしかないだろうな」
フェレシーラの視線に、俺はやっとのことで言葉を返していた。
荒唐無稽な仮定。
俺たちの後ろをついてくる、ギガントを氷の彫像へと変えた正体不明の女性が……俺にとっての嘗ての師の『煌炎の魔女』マルゼス・フレイミングその人ではなかろうかという、我ながら中々にトチ狂った発想。
連戦に続く連戦、立て続けの窮地に身を置き続けたことで、どこか可笑しくなってしまっているのかもしれない。
それにそもそも、姿かたちだけでなく、用いる力も氷と炎でまったくの正反対。
纏った雰囲気も違うし、何より俺に対してそれらしい反応も示してこない。
その時点で答えは決まったようなものだ。
だが、フェレシーラにとってそんな俺のあやふやな直感は、存外と引っかかるものがあったらしい。
「聞くって、なにを」
「なにをって。そりゃ色々だよ」
じぃ、と何故だか拗ねたような眼差しでこちらをみつめてくる少女に、観念して後を続ける。
ここまで口にしたからには、という想いと、こんな事態になってしまったのだからという、ある種言いがかりに近い感覚でもって、俺は自分の欲求を口にしていた。
「影人や魔人との関係とか、それ以前の、俺の生い立ちとか……それこそ色々と、俺のことを知っているだろうからさ。この際、きっちり問い詰めて洗い浚い話してもらう」
「わかった。なら、行ってきなさい」
「……そうなるよな。この場合」
やや突き放した口調で、しかしそれ以上俺の突飛もない言葉を受け入れる形の返答に、ついつい苦虫を噛み潰したような面持ちとなってしまう。
だが、それも当然だろう。
これは俺の問題だ。
それを乗り越え、クリアするためにフェレシーラに力を貸してもらうことはあっても……俺があの人に対して抱えているわだかまりを何とかしたいのであれば、向き合わねばならないのは、フラム・アルバレット当人なのだ。
とはいえこれで「やっぱり赤の他人でした」、ってオチは、それはそれでかなりキツイものがあるが。
「ここでいつまでも迷っていても、仕方がないか」
『……ろ』
半ば自棄になり呟いたところに、頭の中に『声』が響いてきた。
声。
おそらくはジングの、しかし拾い切れぬほどの微かな、雑音にも等しい『声』。
『なんだ? いま、なにか言ったか?』
『……ッ』
突然のことにこちらも『声』で返すも、やはりかえって来るのは不明瞭すぎる『声』のみ。
そういえばジングのヤツは、あの『爆炎』の魔術を放とうとしていたギガントを止めるために、ゼフトの塊を大暴投してからというのも、うんともすんとも言ってきてない。
とはいえ、あれはいきなり俺が無茶振りしすぎたってのもあるし、文句をいうつもりは更々ない。
ジングはジングでやらかしてしまったと感じたのか、すぐに体の支配圏を俺に返してまた腕輪の中に引っ込んでしまっていたが……
それにしてもこの反応の無さは、ちょっとばかりおかしい気もする。
『なんだよお前。まさか、また力を使い切ってへばっちまったのか?』
『――』
……駄目だ、反応がない。
もしやと思い翔玉石の腕輪に目を落としてみるが、そちらに目や口が浮き出てくる、ということもない。
少し心配ではあるが、しかしこれはこれで今は好都合ともいえる。
あの青い魔女の正体が誰であれ、ジングがしゃしゃり出てくるとロクな事にならないのは目に見えている。
まあ、アイツの思い切りの良さというか、うだうだうじうじと考えない部分だけは、ちょっとは見習ってやってもいいのかもしれないが。
……そうだ。
ここで幾ら悩んでいても意味はない。
俺の勘が当たっているにせよ、外れているにせよ、それを確かめなければ進展などない。
正直に言えば、尻込みする自分がいないわけではない。
いや……もう、ここまで来たら認めよう。
俺は怖いのだ。
曲がりなりにも弟子であった俺を破門し、生まれ育った『隠者の塔』より俺を追放して、我が子のように育ててくれたと思い慕っていた俺を捨てたあの人と、面と向かって顔を合わせることが――
「……ははっ」
やめだ。
やめだやめだ。
やめだ、やめだ、やめだ……!
こんな時に、うだうだと考えていたところで何にも得られはしない。何の収穫もない。
なにせ俺は今日この日まで、あの人の元を離れて生きてきたのだ。
時間にしてみれば、僅か十日。
俺があの塔に連れて来られて、十五歳の誕生日を迎えるまで過ごした日々からすれば、比べようもないほどの短い時間、僅かな時だ。
でも、その十日間の間の出来事が、俺を大きく変えた。
フェレシーラ・シェットフレンと出会い、ホムラを仲間に加えて、様々な人々と関り、外の世界を知り……
狭い塔の中でただ只管に魔術士になることだけを目指して、他のものに一切の価値を見出せていなかった餓鬼が、少しは変わることが出来た。
魔術だって、術法だって、いつの間にか使えるようになっていた。
だから今は、あの人のことを考えるなら、意味のあることにすべきなのだ。
俺が今やるべきことは、この望まぬ再開を価値のあるものにする事なのだ。
最早、あの青い魔女が『マルゼス・フレイミング』であるという、直感は、確信と化している。
だってそうだろう?
俺が、あの人にずっと育ててもらい、慕ってきた俺が、何故見間違うというのだ。
姿かたちが少しばかり違うから?
操る力が『煌炎』のそれではないから?
俺を見て、何の言葉もかけてはこないから?
そんなことはどうだっていい。
そんなものはすべて後回しで構わない。
『煌炎の魔女』マルゼス・フレイミング。
今より十数年ほど前に、ここ中央大陸にて敢行された『第一次魔人聖伐行』。
その主戦力足る公国軍の討伐隊にて勲功第一を獲得したとされる、稀代の魔術士。
数多の狂猛なる魔人たちの殲滅と、その主たる魔人将の撃退を達成したとされる英雄、『聖伐の勇者』……
無尽の魔力と比類なき炎の術理を併せ持ち、生ける伝説とまで謳われた秘術の女王。
俺はその、不肖の弟子だった。
しかしそんな俺にも、わかることはある。
俺は今ここにいる青の魔女を、あの人であると感じてしまったのだ。わかってしまったのだ。
そして今の俺は、もう過去の俺ではない。
ならばもう――
「この期に及んでうだうだと! ビビッてんじゃねえよ……この、チキンハートの、プライドチキン野郎がッ!」
いきなりの大絶叫。
ビクッと、目の前で固唾を見守っていたフェレシーラが肩を跳ねさせた。
しかしまあ、ドン引きして後退りまではしなかったし問題はない。ないったらない。
「ごめん、フェレシーラ。ちょっといってくる」
「う、うん……その。頑張って……?」
「ん」
手短に謝罪と宣言、そして挨拶を済ませてクルリとその場で反転する。
目標の人物は、今尚そこにいた。
距離にして20mほど。
見事な凍土と化した原野に、俺と彼女を隔てるものは何もない。
大きく一歩目を踏み出す。
ざり、と靴底に霜で覆われた砂利土が擦り合う感触と音が同時にやってきた。
いけた。
いける。
進める……あの人の元へと、征ける。
頬には嫌になるほどの冷たい夜風、寒風。
バクバクと心臓が早鐘を打つが、それが踏み出す足に、振り上げる腕に力を与えてくれている。
あちらは動いてこない。
駆け出したくなる衝動を、なんとか堪える。
いま走り出したら、確実に転ぶ。
それも綺麗に凍った地面の上を見事に滑っての大転倒をブチかますであろうという、自信がある。
ていうかなんだよ、あのクソ寒そうな礼装に、髪の色。
なんだか妙に短めにしてるし、似合ってますからいいんですけど。
肌の色っていうか顔色も妙に白くて、前より随分ほっそりとしているし、ちゃんと俺がいない間も飯食ってました?
「あ……」
なんてことを考えていたら、あっという間に目の前にまで辿り着いてしまっていた。
どうしよう。
ちょっとまだ、最初の一言、考えてなかったんですけど……!
などと心の中で慌てふためいている内に、あちらの方から近づいてきた。
相変わらず、地面から僅かに浮いたまま進み出てきている。
ものぐさな性格、極度の面倒くさがりではあったけど、ついに歩くことも放棄してしまったのだろうか。
放棄といえば箒に乗ってよく移動していましたけど、今は使ってないんですね。
「――AZ波形の解析を完了。診断結果、継承データに該当なし。一部照合結果に、類似するデータ2件を確認。関連性の究明を開始」
「……へ?」
不意に、わけのわからないことを言われた。
が、その声はやはりあの人のものだ。
抑揚も感情もなく、ともすれば別人のようにも聞こえるが……マルゼスさん、そのものの声だ。
「え、ええと……師匠? あ、いえ、師匠はダメか。その……マルゼスさん? なんでそんな恰好して……じゃないや。いや、それよりも、さっきは危ないところを」
「何者ですか、貴方は」
問われて、すべてが反転した。




