427. 流星、宵闇を別れ巡りて
それは云うなれば、銀雪の流れ星だった。
オオォォォ――
突如として押し寄せた強烈な寒波に、『爆炎』を撃ち放つ寸前であった超大型影人が巨大な霜柱と化してゆく。
「攻性術法式の沈黙を確認。雑波消失」
立花玉屑。
夜霧を瞬く間の内に霧氷へと書き換え吹きすさぶのは、ただ彼女が纏う青白きアトマの輝き。
まるで粉雪のように原野にふわりと身を浮かべるのは、一人の魔女。
「――類似のAZ波形を検出。解析開始」
無機質な音を口ずさむのは、氷の彫像を思わせる美貌。
それが、こちらへと向き直っていた。
個の意思というものを感じさせぬ、玉石の如き水縹の瞳。
氷上を滑りくるようにして進み出てきたその歩みを前して、全身が震える。
一つの危機は去った。
もう一つの、もっともっと大きな危機の前に、物言わぬ冷たき墓標と化した。
代わりにやってきたのが、これだ。
「嘘だろ……」
白く澱んだ吐息と共に、ようやくのことで吐き出せたのはそんな一言のみ。
頭がおかしくなりそうだった。
誰がどう見ても、アレは違う。
人ではない生き物、即ち、人外。
人の知る理の外にある、化け物。
俺とフェレシーラがあれだけ苦労して自滅に持ち込んだ超大型影人を、ただ間近に降り立っただけで、然したる労もなく封殺してしまう。
規格外の存在。
神が定めし法則を、定命の者の境界を逸脱せし、超越者。
そんなふざけた代物を前にして、消えず揺るがず根ざす、確信。
「師匠」
違う。
俺の知るあの人は、まったく違う。
なにがどうだとか、話し方だとか、見た目だとか、煌めく火のようなあの――
「フ、ラム……」
「!」
背後からの声に、苦しげな少女の声に、びくりと肩が跳ねた。
無意識の内に短剣の柄を握りしめると、パラリと霜が落ちてそれが奇妙なまでの現実味を、こちらに与えてきた。
「フェレシーラ!」
声を振り絞り視界を巡らせて、木偶のようであった体を引き摺る。
意外なほどに、体がすんなりと動いた。
今の今まで死に体であったのに、何故、と考えている暇はなかった。
遮二無二、俺は駆ける。少女の元へ。
「動けるか!」
「うん……ちょっとへばっちゃったけど、なんとか……それよりも、あれって」
「いい、喋るな。肩貸すからここから離れるぞ」
ふらつく彼女の脇下からグンと腕を通して、肩を抱く。
余計なことは頭の隅に追いやって、距離を取る。
何から、何故に、とも考えない。
考えたらもうそこで動けなくなるのがわかりきっていたので、そうした。
「ねえ……」
一体どれぐらい、そうして二人で歩き続けたのだろうか。
「喋るなって」
「ねえ。あれって……なんなの?」
問いかけの言葉にも耳を貸さず、俺は歩き続ける。
「ねえってば。あれが……あの人が木偶の坊を、止めてくれたのよね? 突然、空からお星さまみたいに降って来て、全部凍らせて」
「喋るなって、言ってるだろ」
「そんなこと言われても。ねえ……誰か知らないけど、お礼、言わないといけないんじゃない……?」
「いいから」
チラチラと後ろを気にしながら、余計なことを喋る続ける少女を、強引に前に引き摺ってゆくも、思うように進まない。
「ねえ、フラムってば。あの人、こっちに向かって来てるし。それにさっき貴方、たしかあの人のこと――」
「いいって、言ってるだろ! わかんないヤツだな、お前も!」
思わず、怒鳴り声をあげてしまっていた。
頭に血が上る感覚に顔を顰めていると、腕にかかっていた熱が、凍える体を包んでくれていた温もりが、一気に失われていった。
しまった、と思った時には遅かった。
「なにそれ」
「あ、いや……いまのは、違うんだ。違うんだ、フェレシーラ」
「なにが違う、なのよ。私たち、揃いも揃ってあの木偶の坊を倒し損ねていたのよ? あのままいったら、とんでもないことになったんでしょ? なにがなんだか、良くわからないまま、貴方の言うことを信じていたけど。落ち着いたなら、説明の一つもしなさいな!」
「う――」
ガツンとした指摘に胸を打たれて、俺はその場で踏鞴を踏んでしまう。
フェレシーラが口にした言葉は、正論だった。
少なくとも、得体の知れない恐怖と衝動に駆られて、只々逃げを打つ俺よりは、真っ当だった。
未だ混乱の内にありながら、俺は考える。
意を決して背後を振り向き、やや遠巻きに佇んでいた氷雪の魔女を視界の端に捉えて、俺は覚悟を決めた。
「マルゼスさんだと、思ったんだ」
「え?」
「だから、あの人を見てすぐに、俺の元師匠……マルゼス・フレイミングだと思ったんだ。自分でもなんでそう思ったか、わけがわからないから、説明もできないけど」
「……ええと。ちょっと聞くけど」
あまりに突拍子もなく、あまりに辻褄も合わない話を聞かされて、こちらの正気を疑ってきたのだろう。
「貴方の師匠、マルゼス・フレイミングって。『煌炎の魔女』って呼ばれてる魔術士よね?」
フェレシーラが、真剣な面持ちとなり問うてきた。
その質問に、俺はしっかりと首を縦に振り答える。
「ああ、そうだ。それで合っている」
「そうよね。それと、髪は真っ赤で、身に付けている物もそうだったのよね?」
「ああ、それもそうだ」
「そうよね。じゃあ……なんで? ていうか、もしそこらが染めてたり、普段と違う恰好をしていたとしても。炎以外の術法はヘッタクソ、とか言ってなかったっけ?」
「ああ――って、そこまでは言ってねえぞ!? たしかに炎術以外は色々怪しいとこあったけど! あと炎術でも攻撃術じゃないとわりと適当したりしてたけど!」
若干、誘導尋問じみた感のあった最後のヤツを除き、俺ははっきりと彼女の質問に答えていた。
ていうか、言われてみれば言われてみるほど、『なんでそれで、後ろにいる人物がマルゼス・フレイミングである』と、主張しているのか、という話ではあるが……
「なら、なんでそういう話になるのよ。さすがに色々とおかしくない?」
「言いたいことはわかるよ。でも……どうみても危険すぎるだろ、アレは。正体がなんであれ、不用意に接触するのは避けた方がいい。助けられたのは事実だけど、それこそ色々と怪し過ぎるだろ」
「それは……そうかもしれないけど」
多少は回り始めた頭でそうした部分に触れていうと、渋々ながら、といった面持ちでフェレシーラが同意を示してきた。
「でも、フェレシーラの言うことはわかるよ。実際のところ、どうしようもない状況を救ってもらったのは確かだしさ。正直、パニックになりかけて、逃げ……離れて、いたけど」
変わらずこちらと一定の距離を保つ氷雪の魔女とは、なるべく視線も移動のペースも合わさぬまま、俺は言葉を続けた。
「アレの正体がなんにせよ、お礼を言うって形でコンタクトを取ってみるのも、ありだと思う。あちらに敵意があれば、とっくの昔に揃って仲良く氷漬けになっているだろうし」
「間違いなく、そうでしょうね」
頷くフェレシーラの表情は、どこか悔しげだった。
なんにせよ、互いに少しは吐き出し合えたこともあり、気持ちと頭が落ち着いた部分はある。
しかしそれでも、肩に圧し掛かってくる奇妙な重圧――恐らくは、あの青い魔女の視線だ――から逃れようとして深々と溜息をつくと、フェレシーラが戦鎚を握りしめる気配が伝わってきた。
「もしも、よ」
視線は後方、一人佇む魔女に向けて、彼女は再びこちらに問うてきた。
「もしも万が一、あの女性がマルゼス・フレイミングなら……貴方、どうするつもりなの? さっきみたいに、また逃げるつもりなの?」
溜息は、どうやらまだまだ吐き尽せていないようだった。




