423. 災禍、再び
撃ち出した方向がほぼ真上だったのが不幸中の幸いだった。
そうとしか、言えなかった。
「うっわっ!?」
「ピピッ!?」
「んぎょえー!?」
メグスェイダ、ホムラ、そしてジング。
三者三様の悲鳴を耳にしながらも、夜の空より降り注いてきたのは、肌を焦がす熱と閃光。
「んな……!?」
魔術『照明』の術効。
突如現れたフェレスの命令に不承不承ながらも従い、ヤケクソ気味で俺が放ったそれは、予想外の結果をもたらしていた。
本来であれば、精々が林檎大の輪郭のものまでしか目にしたことのなかったそれは、西瓜サイズを優に超える光の塊であり……
いわば小さな太陽とでも呼ぶべき規模の『照明』を頭上に頂く羽目になっていた俺は、その遠慮の欠片もない輝きに手を翳しながらも、ただただ呆然とその場に立ち尽くより、他になかった。
「見事です」
そこに声がやってくる。
聞き慣れた音域の、しかし慣れぬ響きに満ちた中高音の美声。
「それでこそ私の騎士……勇者です」
「なにを――」
青い瞳を臥して、満足げに微笑む少女。
その体がグラリと大きく傾くのを見て、俺は反射的に駆け出していた。
あわや亜麻色の髪が地に落ちきろうかというタイミングで、細い肩をなんとか右手で抱き留める。
「フェレシーラ!」
「ふんぎゃ!?」
その名を叫ぶと同時に靴底で悲鳴が上がるが、そんなモノを気にしている余裕など欠片もない。
「う、ううん……」
「フェレシーラ! おい、フェレシーラ! 起きろ、起きろって! フェレシーラ! お願いだから、起きてくれ……フェレシーラ!」
眉間にしわ寄せ呻く少女の肩を揺さぶり、只管に名前を呼び続ける。
怖かった。
このまま二度と、彼女が彼女として目を覚ましてくれないのではないかという、根拠のない恐怖が思考を占拠してしまっていた。
怖かった。
フェレスと名乗った少女に向けた非難の言葉、苛立ちに任せて放った暴言が、彼女の耳に入り傷つけてしまったのではないかという、その身勝手さ。
それすら咎められる機会を失うことが、怖かった。
「フェレシーラ……!」
「フラ、ム……?」
臓腑を吐き出すような想いで支えていた筈の体に縋りつくと、名を呼ばれた。
いつの間にか下を向いてしまっていた顔が、跳ね上がる。
目の前には薄っすらと瞼を開いた彼女の姿。
「フェレシーラ……フェレシーラ、だよな! ちゃんと、お前だよな!」
「え、ええと。もちろん、そうだけど……? なんなのよ、この眩しさ――って」
そこまで口にしてきたところで、青い瞳がパチリと見開かれてきた。
「え、なに? なんで私、いきなり倒れて……いまから魔人と戦う筈だったのに……それになんで、いきなりお日様が……え? あれ? 違う? なにあれ……馬鹿でっかい、『照明』の術? ちょっとフラム……また貴方、なにか仕出かしたの?」
次々に状況を把握してゆく、理知に満ちたその瞳。
こちらの支えを受けながらも、地に転がっていた戦鎚を握りしめるその掌。
そして桁外れのアトマの輝きが浮かぶ夜空を、こちらに結び付けてくるその物言い。
「フェレシーラ……よかった……ちゃんと、お前だ……!」
戻って来てくれた。
俺の知るフェレシーラ・シェットフレンが、ちゃんと戻ってきてくれた。
「ええと、その、あの、フラム」
それが現実であることを喜びを噛みしめていると、フェレシーラが慌てたような、困ったような面持ちで視線を逸らしてきた。
「ちょっと顔、ちか――」
「なん……だそりゃああああああぁぁ!?」
「のわっ!?」
「きゃあっ!?」
しどろもどろとなった少女に首を傾げそうになっていたところに、やってきたのは足元からの怒鳴り声。
思わず腕に抱えたフェレシーラの体ごと、俺はその場より大きく跳び退る。
にも拘わらず戦鎚は手放さないあたり、彼女が彼女であることには間違いないという、確信は得られたが――
「おい! うるさいぞ、ジング! いま取込み中なんだから、静かにしてろって!」
「ぬぁーにが、取り込み中だ! こんのクッソガキャア! 人が黙って見てりゃあ、ワケのわかんねぇ痴話喧嘩を聞かせてきた挙句に、特大の目潰しまでくれやがってよぉ!」
きっちり足跡のついた翔玉石の腕輪を指示を飛ばすも、荒ぶる鷲兜は止まらない。
「ええ……マジでなんなんだよ、さっきから。ルゼアウル様をどうにかするって話じゃなかったの? ていうかその腕輪の事といい、冗談抜きで話についていけてないんだけど」
「ピ! ピピィ! キュッピピピピピピピ……ピーッ!!」
そこに横合いから疑問を突きつけてきたのは、メグスェイダとホムラの二人だ。
彼らもあのフェレスの出現から始まって、ずっとここまでじっとしていた身からすれば、そろそろ動きだしたくなる頃合いだったのだろう。
そうして皆が一様に反応をし終えたかと思った、その矢先――
「う、ぅぐ……い、一体、なんの光ですか。いまのは……」
こちらより十数m以上離れた場所にて、耳木兎の魔人がフラフラとした足取りながらもこちらに進み出てきていた。
「な――」
一瞬、頭が真っ白になりかけた。
自力での行動は不可能だった筈のルゼアウル。
俺との決闘にて敗北を認めて『制約』のルールに従い、『忘我』の魔術を受け入れた彼だったが……
一体どうしたことか、術法の持続時間はまだまだ余裕あるのというに、明らかに意識を取り戻している。
「ルゼアウルさま!」
そんな無防備な魔人の姿をこちらに見せまいとしてか、それまで沈黙を守り続けていた赤銅の魔人ターレウムが割って入ってきた。
その巨躯が造り上げた長大な影を前にして、俺はようやく気付く。
「そうか……いまの滅茶苦茶な『照明』を浴びせられたショックで、『忘我』の術効が……! あんのワガママ娘がおかしな要求するから……クソ!」
まさかまさかの展開にわず悪態が口を衝いてでるが、後の祭りとはこの事だ。
「なるほどです。なにやら派手な光で驚きでしたが……お仲間も出てきたとあってはここまでですね、フラム・アルバレット。ターレウム、あれを」
「あい! おれ、やる!」
「いやいや……ここまで来てそりゃないだろ、ルゼアウルさんよ……!」
「おいコラ待てやテメェら! こっちはナニがナンだか、ぜんっぜんわかんねぇぞ! さっきの偉そうな小娘はどこ行った!」
「この……逃がすもんですか!」
これ幸いと撤収の準備に移るルゼアウルとターレウム。
それをこちらが咎めるも、ジングが喚きたてて、フェレシーラが追撃の構えを見せる。
「く……!」
渾沌を極めた状況下、しかし体は上手くいうことを聞いてはくれない。
ぶっちゃけ倒れたフェレシーラを受け止められたことだけでも、奇跡と言えたのかもしれない。
だが、ここで諦めるわけにもいかないだろう。
ルゼアウルとてダメージはある。
なんとか捨て身で喰いつきさえすれば、後はフェレシーラが――
「おい! 忘れたのか、キミ!」
狭まる思考が、警告の声に断ち切られる。
ホムラの背中より発されてきたそれは、白蛇の声。
「アレが来るぞ! 手遅れにならないうちに、あのお嬢ちゃんを連れて逃げろ!」
「それって――」
それはメグスェイダの叫びの意味を、こちらが理解した直後のこと。
「ごおおおおおおおぉおおおおおおおぉぉおおぉぉぉッ!」
赤銅の魔人が発した咆哮が、白一色に照らしあげられていた大地の一角を、再び闇色へと染め始めていた。




