422. 苛立ちの太陽
「術法を使ってみせろって……え?」
フェレシーラ……いや、『フェレス』を名乗っていた少女からの、唐突な要求。
それを受けて、俺は混乱の只中にあった。
「おいおい。なんだい、いきなり……随分と雰囲気が違うね」
「ピィ……」
やや遠巻きにしていたホムラとメグスェイダも、そんな彼女の変調に気付いたのだろう。
逆にただ一人、事態に気付かずにいたヤツもいたが。
「おぉん? なんだオメぇら、揃いも揃ってこっち見やがって。俺様のことがそんなに気になるか?」
「む……なんですか、この汚らわしい腕輪は」
「へ? なにって、そりゃこのジング様の――おっふ!?」
状況が掴めず、『フェレス』に集まっていた視線を自分に向けられたものとばかり勘違いしていたジングが、その器である翔玉石の腕輪を無造作に地に落とされ悲鳴をあげる。
「お、おい、フェレシーラ。たしかに今のそいつは瘴気を吸って、油断は出来ないかもだけど、そんな風に」
「フェレスです。フェレシーラではありません」
つい反射的に行ってしまっていたこちらの呼びかけに返されてきたのは、険のある答えと眼差し。
やはり気のせいではなかった。
そう思うと同時に、どうしようもない程の反感が胸の奥から競り上がってきた。
「お前なぁ……! 前もそんな風になってたけどな! こんな時にふざけるなって、フェレシーラ!」
「ですから、私はフェレシーラではありません。この私自ら名乗ったからには、以後間違えることは赦しません」
「……!」
湧き上がる不満を口に上らせると、今度は今度でやってきたのは、にべもない否定の言葉。
それを耳にした時点で、苛立ちが混乱を完全に上回ってしまった。
自分はフェレシーラではない。
俺に対して、術法を使え。
汚らわしい腕輪……は、わからないでもないにせよ。
「フェレスだかなんだか知らないけどな! さっきから聞いてりゃ、いきなりわけのわからない事ばかり言ってんじゃねえ!」
コイツは話が通じない。
そう感じた瞬間、ムカつきが胸から頭に一気に駆け上ってきた。
「術法を使えだとか、名前を間違うなだとか……いまはそれどころじゃないだろ! 早くしないと、折角ルゼアウルから情報を得るチャンスがさ!」
「それは……私の言うことが聞けない、ということですか」
「言うことが聞けないって――」
カチンときた。
同時に、口が勝手に動いてゆく。
「お前な、前から思ってたけどさ」
言うな。
やめておけ。
彼女にだって事情はある。
今までだって、後から明かしてくれたこともあっただろう。
だからきっと今回のこれだって、何かやむにやまれぬ理由があって、
「多重人格か何かだって言うのかよ! ころころころころと、変わりやがって! ワケわかんねえんだよ、お前のそういうところってさ!」
理由があって、どうしようもなかったのだと。
頭ではそう思っていても、気持ちが止まってくれなかった。
「ピィ……」
「――あ」
心配げな鳴き声に、声が洩れた。
やってしまった。
言ってはいけないことを口にしてしまった。
しかもあんな言い方で、よりによってフェレシーラに対して、暴言を吐いてしまっていた。
すべてが頭の中から吹き飛んでしまっていた。
謝ろう。
謝るべきだ。
謝りたい。
だが、それが出来ない。
なんでいきなりこんな事になってしまったのか、泣きたい気持ちと後悔で、目の前が真っ暗になってゆく中……青い瞳の少女が、微笑んできた。
「その通りです」
「……は?」
「ですから、貴方の言うとおりだと言っているのです。フラム・アルバレット」
一点の悪意もない、屈託のない笑みを前にして、俺は言葉を失う。
俺の言うとおり?
なにが?
……決まっている。
これまでの『彼女』とのやり取り、出来事、そしていま俺自身が口にした言葉から、答えは決まってしまっていた。
「フェレシーラ・シェットフレンは、私とは別の人格に与えられた名です」
ごとんと、鈍い音を立ててまたも何かが地に転がった。
「まあ、あの子もどうやら、また別れかけているようですが……名を増やすほどでもないでしょう」
何処か他人事な口振りで話す『フェレス』の声が、矢鱈と遠く感じた。
闇色の腕輪の横に落とされたのは、見慣れた筈の戦鎚。
やけに不似合いに見えたそれを、少女の爪先が小突いてゆく。
「これまでのあの子のやることに、特に興味を惹かれることはありませんでした。ですが最近は、少し様子が違ってきていましたので。注視していたのですよ、貴方のことを」
コンコン、コンココン、コココン。
聞き覚えのあるリズムを刻みながら、『フェレス』が語り続ける。
「本当は貴方が誓いを破りそうになるまでは、静観しているつもりでしたが……アレを取り込んだ可能性があったとしては、看破するわけにもいきません。ユーセラスより先に確認しておく必要があります」
半ば独白に近い形で、意味不明なことを口にする少女が放つ……その一種異様な雰囲気に気圧されて、だろうか。
その場にいた者は皆、微動だにすることも叶わずにいた。
「と、いうわけですので。フラム・アルバレット」
そんな周りの様子を意にも介さず、といった振る舞いで『フェレス』がまたも笑みを見せてきた。
「あらためて、貴方に命じます。今度は背かぬよう、心掛けるのですよ」
「……なにを、だよ」
碌に思考を回せないまま、絞り出すようにして俺はそれだけを口にする。
吐く息が、重かった。
認めがたい話ではあったが、この『フェレス』を名乗る少女が口にしていることには、それなり以上の事実が含まれていると、俺は感じてしまっていた。
同時に、いまこの場でなにを優先するべきかも、少しずつではあるが考え始めている。
正直いって、もう限界だった。
今日というこの一日。
昼はミストピア神殿に急遽舞い込んだ査察に対応することになり、あれよあれよという間に代理戦なんてものに巻き込まれて、1対9の多数戦。
それを何とか凌ぎ切り、今度は迎賓館などという不慣れどころか見たこともない場所に呼び出されて、あれやこれや大小の出来事を経て、漸く床につくことが出来るかとおもえば……
突然の影人の襲撃。
そして魔人たちの出現からの、ミストピアの街を目指しての撤退戦。
続く、俺自身に関わる戦い。
そこに突如として割って入ってきた、『フェレス』の再臨。
「勿論、貴方が独力で術法を扱えるようになったかの確認です。それさえ終われば、すぐにあの子に代わって差し上げます」
「……お前が出てきている間のことは、フェレシーラは覚えていないのか」
「質問を赦した覚えはありません。ですがそれぐらい、察しはつくのでしょう? あの時は、結局聞けず仕舞いだったようですが。そういえば、あの時の空は中々綺麗でしたね」
別段こちらを小馬鹿にする風でもなく、しかし案に己の優位性を明かしてくるその返しに、知らず俺の口から舌打ちの音が洩れていた。
ムカムカは止まらない。
コイツのやろうとしていることもわからない。
だがしかし、そんなことよりも願うはただ一つ。
今すぐに、フェレシーラに逢いたかった。
「照らすは汝の塒、灯すは子らの燭台……」
変わらず微笑む『フェレス』にはっきりとわかるように、選んだのは『照明』の術法。
いい加減、あれこれと考えるのが馬鹿らしくなってきていた。
言われるままに術法を組み上げ、ほんの僅かに明かりが灯るのをみて、鼻で笑って去ればいい。
それで俺の前から消えてくれれば、どうだっていい。
半ば投げやりとなってアトマを指先に集めて、術法式を構成する。
イメージするのは真昼の太陽。
この糞うっとおしくて辛気臭い、ベタつく夜を消し飛ばす、永劫の光。
起承結。
術法を用いる上での、超常神秘の御業を成就させるための大原則。
それを組み上げた瞬間に、やってきたのは腹の底で何かが煮えたぎる、グツグツとした熱。
その熱の奥に、なにか冷たい、金属的な怜悧さがある。
まるで冷めた銀のような、いまこの瞬間に想い描いた術理の枝葉を枯死させてしまいかねない、無用の力。
それが己の内より溢れ出しそうになっている。
その感覚が、胸に抱えていたムカつきを加速させた。
どうとでも成れ。
幾ら藻掻こうと、どれだけ足掻こうと……
何処まで這い進んだところで、畢竟、魔術士の成り損ないなどに価値はなく。
さればこの祈りのささやかなる結実すら、あの人に見せることも叶わぬのであれば、意味はない。
怒りに任せて両の掌を、翔ける者なき、八つ連なりの緋翼を纏う者なき夜空に浮かぶ月へと突き出した、その瞬間。
「揺蕩う光、安寧の輝きよ!」
視界の全てを、閃光が塗り潰した。




