417. それはそれ、これはこれ
右肩の傷から、下方向。
部位的には右の胸を標的とした、蒼鉄の短剣を介してのアトマ光波による直接加撃。
一連の攻防でそこに『熱線』の直撃を受けていたルゼアウルには、更なる追撃を弾くことは叶わなった。
「――!」
ビクン、と大きく体を震わせて、耳木兎の魔人が琥珀色の瞳を見開く。
明らかなダメージの兆候。
翔玉石の腕輪に潜んでいたジングの瘴気吸収を足掛かりに撃ち込まれた、ゼロ距離からのアトマ光波をまともに喰らった形だ。
ルゼアウルとの根本的な地力の差をひっくり返す為に思い至っていた、起死回生の一手だ。
これが決定打にならなければ、はっきり言って完全に手詰まり、俺の敗けだ。
そう断言出来るほどに考え抜き、ありったけの力を籠めた一撃だった。
「く……」
見届けねばならない。
こちらの賭けが通せたのかを。
ここで意識を失うわけにはいかない。
無意識の内によろめき、後ろに退がっていた体をなんとか二歩目で抑え込み、落ちかける瞼を強引に押し留める。
「ルゼアウルさま!」
横合いから声が飛んでくる。
続けてやってきたのは、見上げるほどの巨躯、赤銅の魔人。
「どけよ……邪魔、すんなよな……ッ!」
「どかない! ターレウム、ここどかない! ルゼアウルさま、まもる!」
やはり、というべきか。
ルゼアウルの配下であるターレウムの乱入に、俺は思わず舌打ちに及んでしまっていた。
ルゼアウルと俺に作用する『制約』の敗北条件の一つ。
つまりは『特定の第三者による介入』により、ルゼアウル側の敗けはこれで決定した。
あとはこちらが手を出すまでもなく、『制約』の術効である『忘我』の魔術が発動して、ルゼアウルを自失状態へと追い込むことだろう。
それ自体は歓迎すべきことだ。
しかし今は、状況が悪い。
ターレウムの意識が『ルゼアウルを護る』という方向を保っているうちはまだマシだとして……
問題はコイツが俺を叩き潰しにくる可能性が、非常に高い点にあった。
今まで主であるルゼアウルの命令には絶対服従、忠実な下僕であったターレウムだが、基本的には見た目まんまの、武闘派思考の持ち主であることは間違いないだろう。
そしてそのターレウムを制御してきたルゼアウルは、行動不能に陥る流れ。
ぶっちゃけコイツがブチ切れてこちらに襲い掛かってきたら、その時点で全てが終わる。
そして運良く、そうならなかったとしても……
ターレウムが只管に専守防衛の姿勢を貫いてくるだけでも、ルゼアウルから情報を引き出すのは厳しくなるだろう。
そしてそうこうしている内に、今度はツェブラクがこの場に舞い戻ってくれば、最早それまで。
満身創痍の俺は成す術なくヤツに捕まるか、最悪、死に追いやられる可能性もある。
となれば……
ここはどうにかターレウムがこちらに手を出すように、ルゼアウルを攻めていくしかないか……!
その判断に至り、ダウン寸前の体に鞭打ち短剣を構える。
ターレウムが巨大な戦斧を手に、のしりと進み出てくる。
4mはあろうかという並外れた巨躯に、思わず腰が引けそうになる。
その体の至る部位には打撃痕が刻まれているところを見ると、フェレシーラと交戦した際にそれなり以上のダメージを受けていることは間違いない。
そこを突きつつ、隙を見てルゼアウルに手傷と追わせて、手早く挑発していく。
それが現状の最善手かに思えたが……
「ぶっちゃけこの手のパワーファイターって、相性悪いんだよなぁ……俺って!」
ついつい、ここに来て弱音を吐いてしまう。
しかも魔人が相手なので『探知』の術具を頼りに立ち回るような真似も出来ない。
加えて言うのであれば、あまり時間をかけては折角追い詰めたルゼアウルに、再生の機会を与えることになる。
これってもしかしなくても、万事休す、って状況なのではなかろうか。
などと考えていたところに――
「お、おやめなさい、ターレウム……!」
不意に吐き洩らされた声が、赤銅の魔人を制してきた。
自然、俺とターレウムの視線が声の主へと引き寄せられる。
そこにいたのは言うまでもない、耳木兎の魔人ルゼアウルだ。
「私の負けです、フラム・アルバレット……ぐ、ふ……っ」
右腕と右肩をダラリと真下に垂らし、残る左手で右胸を押さえて苦しげに呻くその姿から察するに、恐らくはアトマ光波による傷は肺にまで達していたのだろう。
「最後の一撃、わざと心臓を外しましたね。如何に私が戦い慣れていないとはいえ、舐められたものです……」
「いや……そもそも殺すのが目的じゃなかったからな」
「ああ、そういえばそうでしたね。失念していましたよ……」
ふらつきながらも、こちらに進み出てきたルゼアウル。
その額に浮かび上がった『制約』の証、菱形の刻印には変化が現れ始めていた
「なんでだ?」
「……? なんで、と言いますと? 失礼ながら、言葉が足りな過ぎて理解出来ません……」
「だから、なんで負けを認めたんだよ」
「ああ、なるほど……面白い方ですね、貴方は」
菱形の刻印が、まるで発芽をし始めた種のように左右に開き、線状となったそれがサークレットのようにルゼアウルの頭部を覆ってゆく。
発動条件を満たした『制約』が、その術効を発揮し始めているのだ。
こうなったからには然したる時も置かず、ルゼアウルの意識は『忘我』の魔術により、自失状態へと陥ることだろう。
「まあ、私にもプライドというものはありますので……それだけですよ。特に深い意味はありません」
「意味はないって。アンタ、我が君とやらに俺の体を奪わせたいんだろ? それでいいのかよ」
「勿論、諦めたわけではありません。なので、『それはそれ、これはこれ』という奴ですよ」
ホホ、と力なく笑うルゼアウルに、俺は言葉を返すことが出来ない。
はっきり言ってこの勝負、こちらを殺しにはこれないルゼアウルには、非常にやりづらいものだったに違いない。
だが今の口振りでは、彼はそれも忘れて戦いに没頭していたようにもとれる。
「わるかったな」
「ホホ。こちらに都合が良すぎたことを、もう少し警戒しておくべきでしたね。二人がかりであったことを失念していたのは私のミスですので。気にされないことです。そもそも条件に『一対一』という縛りがない時点で、気付くべきでしたので」
「しっかりわかってんじゃねえか……ったく」
頭を掻きながら言葉を返すと、ルゼアウルがニヤリと笑ってきた気がした。
「ターレウム、ツェブラクが戻ってきてもこの者が私に質問をしている間は、手出しをさせないように。まあ流石に、『忘我』の術が効いている間に命を取ろうとしてきたのであれば、止めて欲しくはありますが」
「ルゼアウルさま……あい」
主の指示にターレウムが短く了承の声で返す。
その光景を、俺はどこか他人事でぼうっ見守っていた。
どういう腹積もりかはしらないが、ルゼアウルは負けを認めてきた。
しかしいまは、それを疑問に思い立ち止まっている場合ではない。
ツェブラクがこの場に現れれば、ターレウムの言を受けたところで聞き入れない可能性もある。
ならばここは当初の目的通りに、ルゼアウルから可能な限りの情報を引き出しておくしかない。
条件を満たしたことで発露し始めた『忘我』の魔術に伴い輝く刻印を前に、俺が気を引き締めて、一歩前へと踏み出した、その瞬間。
「おおっとぉ」
太々しい声が、手甲の中よりやってきて――
「お前ら揃いも揃って、この俺様を……ジング様のことを忘れてもらっちゃあ、こまるぜぇい……!」
不気味に脈動し始めていた翔玉石の腕輪より、ジングがそんな言葉を放ってきた。




