416. 定まらぬ術を越えて
眼前で膨れ上がる、高密度の瘴気。
または、ルゼアウルという魔人が秘めた魂絶力。
そこに向けて、俺は『熱線』の狙いを定める。
「起きよ、承けよ、結実せよ――」
意識は胸の中心から、腕の先へ。
手甲の力は、無理矢理に作動させにゆく。
「我が内なる式よ! 此処に顕現せよ!」
声に力を乗せて叫ぶと、手甲の内側で「バチン」と火花があがった。
「ぐ……ッ!?」
異音を伴うの反応に、両の掌へと伝ってきた衝撃に、思わず気息が乱れる。
己が内で練り上げた術法式の、体外への抽出。
俺にとって負荷の激しい術法を行使する際に……術法全般のルールである『起承結』の内の最終段階。
超常神秘の発露に至るための最後のトリガー。
つまりは『結』を齎すことに耐えきれず、手甲の霊銀盤が損壊を引き起こしていた。
自然、体が膝から崩れ落ちる。
腕が、肩が、頭が、燃えるように熱かった。
背骨を通して全身に、煮えたぎった金属を流し込まれたかのような痛みと灼熱感。
気息が乱れて悪寒と同時に脂汗が滲み出てる。
チカチカと明滅する視界に意識が飛びかける。
「なんと。本当に限界だったとは……いやはや、呆れたものです」
それは、縋るべき物を失った反動だったのか。
それとも組み上げた術法式すら無へと帰したこちらの様を、その異能の一端で捉えていたのだろうか。
ルゼアウルが、羽角を跳ね上げさせながらこちらを睥睨してきた。
そこより降り注いでくるのは、憐れみの眼差し。
溜め込んだ魂源力の噴き出し口を失い、聳え立つ瘴気の壁を貫く術を持たぬ俺に対する、憐憫の情というヤツだ。
だが、ルゼアウルがそうした感覚を抱くのも当然だろう。
なにせ俺はコイツの前で、常にフェレシーラのより借り受けた霊銀盤を用いて、戦い続けてきたのだ。
それを失った俺に残る武器は、これまた彼女より譲り受けた蒼鉄の短剣のみ。
これ自体が、力不足ということはない。
むしろ破損してしまった霊銀盤と同等か、それ以上に俺を支え続けてくれている、フラム・アルバレットにとっての最高の得物だ。
だがしかし、いまそれに如何に持てる力を注ぎ込んだところで……そもそも俺自身が充満した瘴気の前には距離を詰めることも叶わず、ヤツの喉首に迫ることなど出来ないだろう。
逆に言えば、見事それが成せたのあれば……勝機は十分にあるといえた。
ただしその為には、ルゼアウルの瘴気の波動を攻略する必要がある。
そう。
ヤツにそれを撃たせない、のではない。
むしろこの魔人に全力で瘴気の波動を撃たせることがこそが、ルゼアウルを倒す為には必須だった。
「最早勝負は見えていますが……この決闘を持ち掛けたのはそちらですので。殺すわけにはいきませんが、半死半生はお覚悟を」
闇が膨張する。
瘴気の波動が解き放たれる。
全身を駆け巡っていた痛みと熱は、僅かながらに治まり始めていた。
爪先に、足の指全てに力を籠めて、俺は立ち上がる。
眼前には迫るのは、ドス黒い闇そのもの。
両の手には燃え尽きた銀の残滓、定まらぬ術の名残り。
「それは――」
そして手甲の中には、もう一つ。
「こっちの台詞だ、大まぬけ!」
それを思い切り、目の前にやってきてくれていた瘴気の塊へと向けて叩きつけながら、俺は叫んでいた。
「な――」
ルゼアウルが絶句する。
それも当然だろう。
なにせいま、ヤツの琥珀色の瞳にはハッキリと映っている筈だ。
己が生み出した闇が、ちっぽけな人間の腕に呑まれているのが。
この俺が身に付けていた手甲に、極上の瘴気がみるみる内に喰われている様が、映し出されている筈だった。
まあ正しくは、その内側に潜ませていた翔玉石の腕輪に、なのだが。
「うっひょひょひょひょひょー! おいおいスゲェな! 入れ食いってヤツだぜこりゃあよぉ! あー、うんめぇうんめぇ! ゴチゴチ、ってなもんよぉ!」
「……って五月蠅いぞ、ジング! 喋り出した途端それかよ!」
「んだとゴルァ!? こっちはテメェがボコボコにされてんのに文句いいてぇのを、ずーーーーーーーーーーっと我慢してやってたんだろうがっ! ちったぁ感謝しやがれぃ!」
宙に黒い渦を巻き瘴気を取り込むのは、ご存知アホ鳥ジングくん。
腕輪に口を開き、上機嫌での『食事』に勤しむ姿は、コミカルですらある。
まあそれも仕方のないことだろう。
なにせコイツはいま言ったとおりに、俺がルゼアウルとやり取りを開始してから沈黙を守り続けてきたのだ。
ぶっちゃけジングが瘴気を取り込めるかどうか以前に、話の途中は元より、戦闘中に余計なお喋りをして、ルゼアウルにその存在を警戒されてしまうことの方が、余程気がかりだったぐらいだ。
しかしそんな不安を余所に、ジングは只管に待ち続けてくれていた。
それこそルゼアウルが『俺がジングを喧しいからとずっと封印している』と思い込ませて……果てはその存在自体失念してしまうほどに根気強く、俺が全力の瘴気を受け止めるのを待ち続けてくれていたのだ。
……実はチラッと、もしかしてコイツ、自分だけ爆睡してるんじゃないだろーなとか思ったりもしたが。
とはいえそれで変に心の『声』で呼び掛けると、アホなジングは普通に声を出してくる可能性もあったので、一応信じてみた、といった次第だ。
一応だけど。
「まさか……瘴気を取り込んでいるというのですか。そんな馬鹿な……」
「馬鹿も何もないさ! こっちは鷲兜に確認済みでな!」
愕然とその場に佇むルゼアウルへと、俺は突っ込みながら叫ぶ。
それは俺がジングから体の支配圏を取り戻した、直後のこと。
ルゼアウルたちと交戦する前に、俺はジングと交わした密かなやり取りにて、ある確認を終えていた。
ジングにとって、他の魔人が放つ攻撃は活動源足りえるのかと。
俺の精神領域にてルゼアウルよりゼフトを奪っていたコイツの姿をみて、そんな思い付きから口にした質問に対して……ジングは自信たっぷりに、こう答えてきたのだ。
『ヤツらの中に瘴気を操るヤツがいりゃあ、余裕も余裕。幾らでも喰ってやらぁ』と。
それを聞いた瞬間、ルゼアウル対するこちらの奥の手は決定した。
姿を現して早々、瘴気を放ちそれを武器とする耳木兎の魔人。
そいつが絶好のタイミングで全力の瘴気を放つ瞬間に、ジングに喰わせて無効化する。
それこそが、俺のみでは成し得なかったであろう、この決闘に勝利する為の筋書きだった。
そしてその奇策が成ったいま、俺がやるべきことはただ一つ。
「ぉお――ッ!」
正真正銘、最後の攻撃。
全ての瘴気をジングに吸収させている時間はない。
それでは間に合わない。
漂う瘴気の真っ只中を強引に突っ切り、ルゼアウルの胸部に右肩口からのタックルを見舞う。
「ぐぬっ……小癪な!」
虎斑の翼が素早く魔人の体を包みその衝撃を殺しにかかるも、しかしこちらの狙いはそこにない。
右腕で翼の守りを抉じ開けて、左手を一気に滑り込ませてゆく。
そこにあるのは未だ再生し切っていない、『熱線』の直撃にて焼け焦げたヤツの右肩。
折角の翼での堅固なガードも、支えが効かねば意味はない。
そして俺の左手に忍ばせていたのは、残るたった一つ武器。
定まらぬ術に勝るとも劣らない、フェレシーラが俺に与えてくれた、もう一つの牙。
「ガッ……!?」
青黒く変色した、蒼鉄の短剣の刀身。
それを深々と己が不覚の証へと深々と突き立てられて、ルゼアウルが身を仰け反らせる。
「再生の隙を嫌ったのが、間違いだったな! ルゼアウル!」
耳木兎の魔人が洩らす苦鳴の声が肌を伝い、こちらの耳朶を震わせる、その最中――
「クカカッ……やっちまえ、小僧ぉ!」
嬉しげな鷲兜の哄笑と共に、俺はもてる力を振り絞り、アトマを刃を撃ち出していた。




