414. 地力差
耳木兎の魔人の右肩口にて、火が瞬く。
「カ……ッ!?」
そこを撃ち抜いた『熱線』に巻き込まれる形で、大きく開かれていたルゼアウルの右の翼もまた、赤きアトマの光条に貫かれる。
「なに、を――」
突如我が身を襲った魔術の顕現を、その根源を、琥珀色の瞳が凝視する。
そんなルゼアウルが見たのは、半ば炭化した己が右肩より抜け落ちてゆく、赤熱した刀身だった。
本来であれば、深く美しい蒼き輝きを放つ短剣。
それを追いかけるようにして、地に九つの羽弾が落ちる。
「まさか、短剣を起点に術を……!?」
「大当たり! 名答ってヤツだ!」
術者の統制を失い消えゆく羽根を踏みしめて、俺はルゼアウルに向けて突進を開始した。
術法が発動する、その起点。
あちらがこちらの左手だとばかり決めつけていた、『熱線』の投射箇所。
しかし今回その役目は、既に俺が投げ放ち、ヤツの肩口に突き立っていた蒼鉄の短剣にこそ課せられていた。
ぶっつけ本番の思い付き。
嘗ての師が俺に披露してみせていた『術者の肉体以外を起点とする』攻撃術。
それを見様見真似で、しかしワンランク条件を下げることで再現した奇襲法。
即ち『術者が愛用する品』足る、『蒼鉄の短剣』を起点とした術法の発露。
それこそが、勝利を確信していたルゼアウルの身に降り注いだ、『熱線』の正体だった。
「せあッ!」
「ぐっ!?」
大きく踏み込ませた左足を軸に据えての、右足刀蹴り。
標的の鳩尾目掛けて放たれたそれが、惜しくも魔人の腕に阻まれるも、しかし俺は止まらない。
右足で地を捉えると同時に、右の肘鉄で相手のガードを抉じ開けにゆく。
例え防がれようと構わない。
常に密接し続けて、まともに攻める機会を与えない。
否。
ここで絶対に、主導権を与えるわけにはいかなかった。
「ルゼアウルさま……!」
「なりません、ターレウム! これしきことで……ぐぬっ!」
主が攻め立てられる様を前にして、赤銅の魔人が戦斧を手に身を乗り出すも……しかし結局、飛んできた制止の声に身動きぬままで終わる。
惜しい。
ここでターレウムがルゼアウル側の敗北条件である、『特定の第三者の介入』に抵触してくれていれば、『制約』の術効で決闘終了となっていたのだが、流石にそれはないようだ。
まあ、それ自体はいい。
もしものもしものうっかりで、あちらがやらかせばラッキーぐらいの代物だ。
そんなことより大事なのは、そもそものこの決闘をルゼアウルが受けてしまったという、僥倖中の僥倖を利用しきることこそが、俺にとっての最も優先すべき目的だった。
むしろ問題は他にある。
まず、周囲の警戒に向かったローブの魔人ツェブラクの存在。
コイツがこの戦いに気づき、舞い戻ってきた際は洒落にならないことになるのは明白だった。
決闘の話など知る由もないツェブラクならば、ターレウムのように迷うこともなく、こちらに攻撃を仕掛けてくるだろう。
それも恐らくは、ルゼアウルを救う為にあの変幻自在の爪で容赦なく。
そうなれば、こちらはもう殆ど詰みに等しい状態となる。
何故かといえば、今回の『制約』にはツェブラクを『特定の第三者』として条件に盛り込めていなかったからだ。
如何な拘束力を持つ『制約』でも、術法式を構築した時点でその場に存在しないものに対してまで、条件付けを行うことは出来ない。
そんなことが可能だとしたら、遠く離れた人間をノーリスクで呪い放題だ。
しかし実際にはそうではない。
案外と『制約』に対する抜け道は多いのだ。
そして更に、もっと根本的な問題なのが――
「ぐぅ……うぅうぅうおぉおお!」
「!」
組みつきながらの格闘戦を拒絶する、獣の咆哮。
そしてそれに付随して撒き散らされる瘴気の波動。
退がらねば巻き込まれる。
巻き込まれたならば、無傷では済まない。
そう判断すると同時に、右の拳を固めていた。
「おぉ――ッ!」
眼前で吹きあがる黒い靄へと、瞬時に練り上げた己がアトマを乗せて、拳打を叩きつける。
「ぬぐッ!?」
瘴気の壁を貫きやってきたのは、確かな手応え。
そして全身を包む虚脱感。
予想外の反撃を受けたからか、ルゼアウルが大きく後退する。
そこに追い縋ろうとするも、体に力が入らない。
共にダメージはある。
いや、むしろ肩と翼を『熱線』で貫かれたことを加味すれば、損耗自体はルゼアウルの方が大きい。
しかしそれでも――
「ふぅ……いやはや、驚きましたよ」
二本の羽角。
右肩と右の翼。
距離を詰めてからの連続攻撃。
そしてたった今、俺が放った渾身の右ストレートを頬に受けて、尚。
「術法の起点を誤認させることで、直に攻撃術をぶつけてくるとは。完全に裏を掻かれました」
ルゼアウルは、平然として戦いの場に立っていた。
「短剣を喉に受けていれば、危うかったかもしれませんね。もっともその場合、流石に喋りづらいので短剣はすぐに抜いていたので、事無きを得たやもですが」
「……そうかよ」
ホッホと笑う耳木兎の魔人に対して、俺は毒づくことすら叶わずに、やっとのことで戦闘態勢を維持していた。
幾度となく浴びせた攻撃も、ルゼアウルにとっては決定的な痛手ではない。
この戦いで勝利を勝ち取る上での、もう一つの、そして最大の問題。
それはルゼアウルと俺の基本的な能力に、大きな隔たりがあるということだった。
「ま、フェレシーラの『浄撃』が通用していなかった時点でわかっちゃいたけどな……」
「ム? ……ああ、あの教団の聖女とやらの攻撃のことですか」
思わず内心を吐露してしまったところに、ヤツは反応を示してきた。
「アレはアレで、それなりに効きましたよ? 貴方の攻撃術を無効化するのを優先したので、好きにやらせておきましたが……メグスェイダやムグンファーツであれば、只では済まなかったでしょうね。ターレウムも梃子摺っていたようですし」
「……化け物が」
一連の攻防を終えて、「ホ、ホ」と笑い続けるルゼアウル。
そこに何か気の利いた軽口で返そうとするも、口を衝いてきたのは本心からの悪態のみ。
パワー、タフネス、そしてこちらの魂源力に対する魂絶力……それらすべての、絶対的な差。
俺にとっての最大の問題点は、この耳木兎の魔人にとっては、今回の決闘を『受けてやった』最大の理由でもあるのだろう。
ローリスクハイリターン。
ひっくり返しようのない地力を武器に、『制約』の術効により手間を省いた情報収集と身柄の確保を両立できる。
まあ、如何にヤツが好奇心旺盛で、目の前にぶら下げられた餌に弱い手合いだとしても……
結局はその餌自体に旨味がなければ、唐突に突きつけられた決闘なぞに応じてくる筈もない。
「今度は貴方から、か……」
我知らずの内に、俺は呟く。
そうして己の掌に視線をおとせば、そこに在るのは肌がひりつくほどの熱。
オーバーヒート。
不意打ちで放った『熱線』の起点を、手元から離れた短剣に無理矢理に設定したことの反動が、不調を示していた霊銀盤に多大な負荷を及ぼした、その影響だ。
どう足掻こうが、この状態で不定術法式を起動することは出来ない。
下手をすれば、アトマを流し込んだ段階で破損しかねない。
「降参をば。出来れば|貴方を無駄に傷つけたくはありません」
「無駄に、って辺りがポイントだな」
「……フラム・アルバレット。これでも私は貴方に敬意を表して言っているのですよ? これ以上の戦いが無駄であることは、わかっている筈です」
余計なお世話でしかないその発言の揚げ足を取りにいくと、諭すような言葉が続いてきた。
「仲間を逃がす時間であればもう十分に作れたでしょう? 貴方の言う覚悟なくして、ここまで出来ないことは理解できました。ならばそちらも、勇気と無謀を履き違えないことです」
「へっ――」
覚悟。
そこに触れられたことで、今度は簡単に口が開いてくれた。
「馬鹿いうなって。まさかこの程度の算段で、アンタに勝負なんて挑むわけがないだろ?」
「強がりはお良しなさい……といったところで、聞く耳は持ちそうにありませんね」
「そういうこったな」
余裕を示すルゼアウルに甘えて、俺は地に転がっていた短剣へと手を伸ばす。
アトマの熱に炙られた刀身は青黒く変色してしまっており、未だ握り手も熱を帯びている。
「それじゃ正真正銘の、フラム・アルバレットからの最後の一手」
逆手に構えた刃に、力を巡らせ狙いを定め――
「受けてもらうぜ、『砂閣』のルゼアウルさんよ!」
俺は全力で以て、勝ちを掴みにいった。




