405. 乱れ荒ぶ息吹
見事こちらがルゼアウルの野太い嘴にブーツの底を叩き込んだ、その瞬間。
「やりやがった……!」
ホムラの翼に胴尾を絡ませていたメグスェイダが、なんとも言えない声音の叫び声をあげてきた。
それを背に受けながらも、俺は踏みしだいた魔人を足場として後方に跳ねる。
「グッ……ホ!?」
そうしてトンボ返りを打ち着地を果たすと、地に膝をつく耳木兎の魔人の姿があった。
手応えあり。
あちらは明らかにダメージを受けている。
やはり、ルゼアウルは後衛型。
どれだけ強大な力、魂絶力を秘めていようと、物理戦の類を不得手としている。
そして慣れぬ戦いからか、それとも単純な慢心からか……
はたまたの両方が噛み合ってしまった結果なのか、コイツはよりによって護衛の魔人と従僕たる影人を周囲に分散させてしまうという、悪手に走っていた。
なんにせよ、このまま畳みかけるのに絶好のチャンスであることに間違いはない。
一瞬、アトマ光波での追撃を選びかける。
だがしかし、今しがた放った蹴りのみならず、そこまでの術法に籠めまくってたアトマの負荷が、俺の判断に待ったをかけてきた。
正直言って、ここまで多量のアトマを一日の間に消耗したことはなかった。
戦いの合間合間で瞑想法を用いた休息を取ってはいたが、万全には程遠い状態だ。
迎賓館に現れた鉄巨人を誘導しようとした際に襲われた立ち眩みが、その証だろう。
ここで無理に光波や術法を練ろうものなら、不発になるか、最悪は暴発の恐れもある。
とはいえ、迷っている時間も余裕もない。
アトマに限界が来ているのであれば、再び間合いを詰めて格闘戦に持ち込み――
「フラムっち! 後ろ!」
「!」
一歩踏み出しかけたその瞬間、右後方から切羽詰まった声が飛んできた。
ティオの声だ。
それを認識するのと同時に、左に跳ぶ。
直後、こちらが存在していた空間を細く鋭い物体が通り過ぎていった。
爪だ。
ティオが交戦していたローブの魔人、ツェブラクが操る尖爪だった。
それをからくも避け切ったのと同時に、俺は自身の選択ミスに気が付いていた。
「やば……!」
「ごおおおおおおッ!」
響く怒声に思わず竦みかけた体を、無我夢中で前方に投げ出す。
走竜の肩当てで砂利土を押し退けるようにして身を丸め、勢い逆らわずに地をごろごろと転がる。
ブォン! という派手な風切りの音と共に、巨大な何かが背中を掠めていったのがわかった。
確認はできなかったが、赤銅の魔人ターレウムが振り回していた戦斧だろう。
ツェブラクの攻撃を考えなしに裂けた結果、位置関係的に危うく自ら挟み討ちになりかけていたのだ。
しかし、そうであれば……!
「こんのぉ……! こっち、向いてなさい!」
続いてやってきたのは、ブーツで駆けるフェレシーラの声と鈍い打撃音。
予想通りのフォローを受けて、俺はその場を振り返り視界を確保する。
「ぐぅ!?」
その視線の先にて怯む、赤銅の魔人。
「ターレウム!」
そのくぐもった叫びに呼応したのは、ヤツの主であるルゼアウルだった。
膨れ上がるプレッシャーが、攻撃の予兆を伝えてくる。
対するこちらは、ようやく受け身を取り終え立ち上がったばかり。
ルゼアウルが嘴を開き、大きく外気を取り込む。
アトマと違い、『探知』での視認は効かないが……恐らくヤツが放とうとしているのは、風の息吹。
直感的に、それがあちらの奥の手だとわかった。
撃たせるわけにはいかない。
だが、生中な手段でそれを食い止めることは叶わぬことは目に見えている。
手甲の霊銀盤に意識を乗せて、強引に術法式の構築へと移る。
十中八九、あちらは撃ち合いにくる。
羽角を失い異能を削がれたルゼアウルにとって、地力勝負はむしろ最善手だ。
ならばこちらはブラフになれば幸いと繰り出していた、不定術での『熱線』モドキでは到底太刀打ち出来ない。
瞬考と集中の狭間で、霊銀盤が火花を散らして悲鳴をあげる。
「――あ」
ガクリと、膝から体が崩れ落ちるのがわかった。
「フラム!」
フェレシーラの声が耳朶を打つも、全身を襲ってきた痺れに上手く体が動かせない。
反動が来ていた。
ここまで一日中、戦い続けていたことによる反動……いつかは訪れていたであろう、当然の帰結。
「ピイィ!」
「く、るな……!」
頭上よりやってきたホムラの叫びに、精一杯、それだけを返す。
視界が霞み、瞼が落ちそうになる。
暴風が渦巻く。
耳木兎の魔人を起点に、ごうごうと耳障りな震えを従えて、強大な力が束ねられてゆく。
「フェレス!」
そこ声が叩きつけられてきた。
間を置かず、体に何かが巻きつく。
「受け止めろ!」
その叫びと共に、両肘の辺りにグンと衝撃がかかる。
一瞬の浮遊感。
そして回転する視界。
両肘にかかっていた力が失われた直後、今度は背中に衝撃がやってきた。
「――ふぐっ!?」
「くぅ……!」
肺から空気が押し出される、音と声ともつかぬ息もれと、苦しげな声が重なる。
力なくその場に崩れ落ちると、亜麻色の髪が肩越しに流れ落ちてきた。
しかしそれも一瞬のこと、荒れ狂う風がすべてを吹き飛ばしにかかっていた。
「くっそ……! 貸し一つだかんな! 離れてろよ、チビ助!」
痛みで覚醒した意識の先で、金縁の鍔付き帽が吹き飛ぶのが見えた。
見ればそこには、体を仰け反らせて呼気を取り込むティオの姿があり。
逆巻く風が、急速にその熱を失い始めていた。
それは一体、ルゼアウルとティオ、どちらが発したものだったのか――
「ぉおおおおおおおぉォッ!」
耳木兎の魔人と青蛇の神官。
両者の口蓋より放たれた、翡翠の奔流と凍気の波濤が中空にて衝突を果たしていた。
「な……」
突然の事に、俺は声を失う。
風の息吹と鬩ぎ合う氷の息吹を前にして、意識と思考が混乱を来す。
だが、それも長くは続きはしない。
「くおおおぉ……っ!」
「フォオオオオオォッ!」
間近でせめぎ合っていた氷と風。
その均衡が徐々に崩れ始めている。
押されているのは凍気の主、ティオのほうだ。
一体なにがどうなっているのか全く理解が追いついてはくれないが、それだけはわかる。
乱れ狂う氷の嵐に、二体の魔人は動けずにいる。
だが……
「フェレ、シーラ……」
「ええ! 少しだけ、我慢していて!」
やっとのことで俺を支えてくれていた少女の名を呼ぶと、力強い声が返されてきた。
「万物の魂源、その主。光輝司りし、勝利の女神よ……!」
支えを失いずるりと地に落ちた俺の耳に、厳かな詠じの声が落ちてくる。
フェレシーラの全身を眩いアトマが包む。
「ぬぅ、女!」
「おまえ……!」
完全なる詠唱に移行した白羽根の神殿従士の一撃を阻まんとして、二体の魔人が吹き荒れる冷獄にて動こうとした、その瞬間――
「ピーッ!」
「え、なんだいチビす……けぇ!?」
「がっ!?」
「あうっ!?」
横合いから飛び込んできた天翔ける閃光が、ルゼアウルを庇わんとしていた異形の瞳をまとめて灼き焦がす。
阻む者なき耳木兎の魔人の喉首目掛けて、フェレシーラの両掌より巨大な『光弾』が撃ち出されたのは、その直後のことだった。




