375. 『欠陥』
「それで――」
夜霧を裂いて空を疾駆する最中。
「一体、どれぐらいの範囲が巻き込まれるっていうのよ!」
ホムラに掴ませた戦鎚の柄にぶら下がった俺の背中より、フェレシーラが問いかけてきた。
「最小で迎賓館一個分! 最大でその五倍! その場合は防壁部分を抜けた後、『爆炎』の術法式を起動してくる計算だ!」
二人分に術効を拡大した『浮遊』の魔術を維持つつも、俺は少女の問いに答えてゆく。
それに耳を傾けるフェレシーラが担うのは、ホムラに施した『身体強化』の神術だ。
ついでにいうと、フェレシーラは体勢的に不安定になるので走竜の肩当にしがみついてもらっていたりします。
さすがにお高い買い物だっただけあって、ちょっとやそっとじゃビクともしない。
まあお代を持ってくれたのはフェレシーラさんなんですが。
なんにせよ、『浮遊』のお陰で重さは殆ど感じないので問題なし、といったところだ。
当のフェレシーラは、妙に「私、重くない?」「別の方法にしなくて大丈夫?」と確認してきたが、時間的な余裕もなかったのでこの形に収まった感じだ。
神魔の術法を支えとした、高速飛行。
何故、突然そんな真似に及んでいたかといえば……
ヤバいなんて言葉では言い表せないレベルの、文字通りの爆弾を抱えていた鉄巨人。
鈍重なその身に抱えていた『爆炎』の魔術から逃れるための、形振り構わぬ大逃走に移るとなれば、現状の俺たちにはこれが最良の手段だったからだ。
周囲が闇に包まれたこの状況下、『照明』を頼りにしての自力での全力疾走は、地物に足を取られて転倒する可能性を考慮すると、ぶっちゃけかなりリスキーな選択だった。
さりとて、足元を気にして移動していては、肝心の『爆炎』から逃げきれなくなる可能性が非常に高くなる。
そうなってくると、ここは障害物の影響が絶無な空を行くより、他に選択肢がない形だった。
というわけで、この現状。
当然ながら一番頑張っているのは、俺たちをぶら下げて目下全力飛行中のホムラさん、という事態になっている。
「ピピピピピ……!」
「館の五倍って……なによその、ふざけた効果範囲は!」
「要は、館のみを範囲にして主要な敵を狙いに絞っているか、敷地内全部を対象にして鼠一匹逃さないとつもりかの、どちらかだな!」
「キュピピ――ピピッ!?」
「そりゃあやれるもんなら、後者なんでしょうけど……そんなのもう、立派な術法兵器の一種じゃない! しかも国家間協定で禁止されている、戦略クラスの奴に足を踏み入れてるレベルの!」
「そうなってくるな。いつの間にやら、話のスケールが随分とブッ飛んできたモンだ」
若干の他人事な口振りとなってしまうが、流石に仕方もないと言いたいところだ。
影人の大攻勢。
それに続く鉄巨人の到来。
そして魔人メグスェイダの出現。
たった一晩の間に、これだけ立て続けに窮地に見舞われていたところに、トドメと言わんばかりの発覚した、鉄巨人が抱えていた真の能力。
歩く『爆炎』ともいうべきその正体を前にして、俺の頭はショックを受けるのをとっくに通り越して、呆れの域に達していた。
「つーかこれ、幾らなんでも雑すぎるだろ。『白霧の館』さえ吹き飛ばせればいい、ってことなら戦士型の影人なんて投入せずにいきなりあのデカブツをぶつけてくれば良かったわけだし。そうじゃなくて迎賓館にいる人間が狙いなら、俺たちみたいにとっとと離れてしまえば余裕で逃げ切れたわけだし……色々と穴が多すぎないか」
「そんなの当たり前でしょ」
対策を練るというよりは、あまりに杜撰な相手のやり口を指摘し始めてしまった。
そんな俺に対して、フェレシーラがサラリと言ってのけてきた。
「相手は魔人。人間、人類種ではないもの。あいつらの思考は私たちとは違って当たり前だし、同じレベルだなんて思いたくもないし」
「なる。言われてみれば、って感じはするが……でも16年前の戦いでは、魔人も偽報や裏工作なんかをかなり使ってきてたんだろ?」
「そういう話も聞くには聞くけどね。実際、その手の策略がどの程度のものだったかは知らないから。大陸間連合の足並みがどの程度の士気と足並みだったか、首脳陣がまともだったかにもよるもの。だから、話半分ぐらいに思ってる。私はね」
「あー……たしかに」
楽観視する形で敵の想定レベルを引き下げるのは、問題外な思考法だが……
逆に相手が常に優秀だという固定観念に囚われるのも、それはそれで愚かしい判断だろう。
それに魔人にだって、人間のような感情があるのだということも、実際に目にすることが出来た。
なんとなく、魔人という生き物は影人のような存在なのでは、と勝手に思い込みかけていたが、あの蛇頭――メグスィエダは喧しいほどに感情的だった。
まあ、ジングのヤツが魔人だというのであれば、魔人という種そのものが糞喧しい戦闘種族、という可能性すら出てくるわけだが。
流石に魔人全般がそんな連中なのであれば、これまで読んできた文献にもそれらしい内容が記されていた筈だ。
酒場の吟遊詩人だって、弾き語りする上で格好のネタにしているだろうしな。
そんな事を考えながらも、俺はひたすらに夜を翔けるホムラに不定術での『体力付与』を施しつつ、背後を振り返る。
すると遠方に微かな、しかし確かに闇に瞬く赤々とした輝きが見えた。
「……始まったか」
如何に『浮遊』の術効で自重を激減させた状態とはいえ、このままずっとぶら下がり状態を保っているのは無理がある。
「ホムラ、そろそろ高度を下げてくれ。最悪落ちても死なない程度で、スピードを落とさず木の生えてないところを選んで……いけるか?」
「ピ!」
こちらの指示に、一際威勢よく小さな相棒が応えてくる。
速度はそのままに、平地を選び取っての低空飛行へと移行してゆく。
「逃げ切れたところで、延焼は免れないかな……」
そこに、フェレシーラがぽつりと呟きを発してきた。
「まあ流石にな。なにかしらの被害は避けられないけど、結果的には迎賓館から皆が移動してなくって良かったじゃないかな。最悪、『爆炎』に巻き込まれていたかもだし」
「それはそうだけど。あの子、近くにいたりしないかしら」
「あの子って――ああ、ティオのヤツか?」
「うん……」
「大丈夫だろ」
背中越しの声と吐息に、俺は努めて強気な返答を行っていた。
「あいつって、妙に勘が良かったりするんだろ? それにあの近くにいたら、絶対戦いに首突っ込んできたに決まってるし」
「それは……そうかもしれないわね。あの子ってば、目立ちたがりだし。魔人と戦っているときだって、ひょっこり顔を出してくるんじゃないかって」
「そうそう。だからさ。大丈夫だって」
確たる根拠もないその言葉に、彼女の声と肩当てを握りしめていた掌から、強張りが消えゆくのが伝わってきた。
どうやら俺の気休めに乗っかってきてくれたらしい。
そのことに、こちらもまた安堵の溜息を溢してしまう。
それにしても……ティオのヤツ、どこで何をしているのやら。
聞いた話では、影人の襲撃が起きてすぐに単独行動に入っていたとのことだが、さっぱり顔を見ないので、ぶっちゃけ半分忘れてたぞ。
ま、あいつのことだからな。
いきなりひょっこり、またこっちが忘れた頃に姿を見せてくるんだろうけど。
「でも、本当に危ないところだったわね」
「ん? なにがだ?」
「勿論、あの木偶の坊と戦ったときのことよ」
なんて事を考えていたら、フェレシーラが別の話題を振ってきた。
「あの時、私かなりムキになって攻めていたから。そんな危険な罠が仕込まれていたのなら、下手をしたら『浄撃』が引き金になって暴発とかしていたかもって」
「ああ、それなんだけどさ。多分あいつの『爆炎』のトリガーは遠隔操作式なんだと思うぞ。それに式の守りも胸部に集中していたし。足だけ殴る分には、そうそう悪影響はなかったんじゃないかな」
「遠隔操作って……え? それならフラムかジングの奴が狙いぽいし、逃げるのをやめて戦い始めた時点で、とっくに発動してるんじゃないの?」
「うん。それだとお前のいう通り、そうなるな。でも今の今まで……多分、メグスィエダのいっていた『時間稼ぎ』が成立するまで、『爆炎』が起動する気配はなかった。だからさ――」
ざっと組み立てた仮説でもって、俺は話を進める。
「いまも見た感じ、時間をかけて点火してるような感じだし。起動から発動までに相当時間がかかるタイプなんじゃないかって。あれだけの規模の術法式に加えて、鉄巨人自体の操作と維持までこなすとなると、タイムラグの問題をクリア出来なかったんだとおもう」
「……ええと。つまり、あの木偶の坊は、やっぱり木偶の坊だったってこと?」
「だな。ま、良く燃える木偶の坊って感じで、危険なことに変わりはないけど。逃げるだけならわかっていれば何とかなる、ってとこだと思う」
「なるほど。だから今回の黒幕だかが、あの魔人を差し向けてきて足止めをしていたと」
「たぶんな。ついでにいうと、蛇頭は何も知らなかったんだと思う。同情するつもりは更々ないけどさ」
「そうね……」
立ち木と立木の合間を縫い翔ける中、フェレシーラは時折背後を振り返り、徐々に光量を増してゆく鉄の巨人の末路を気にしているようだった。
こちらはホムラの尽力のお陰で、かなりの距離を移動している。
仕込まれた『爆炎』が、迎賓館を防壁ごと呑み込むと想定しても、その倍近くは進んでいるだろう。
これで巻き込みを受けるようであれば、そもそも鉄巨人に防壁を突破させる必要もなかったので、安全圏に逃れられたとみて間違いない。
「ま、問題は周囲への延焼とかだよな。お前も言ってたけど」
「ええ。さすがにあの状況じゃ、そこまで手を回すのは到底無理だったけど。相当な被害が出るのは確実ね。折角盛り返してきたこの土地を、魔人の好きにさせるだなんて……口惜しい限りよ」
「……実は、それなんだけどさ」
再び項垂れてきたフェレシーラに、俺はついつい、確証もないのに返事をしてしまっていた。
上手くいかなければ、肩透かしで終わるだろう。
だけどそれまで、彼女がこうして落ち込んでいるのを、俺は見たくなかった。
だから俺は、敢えて口にしてしまう。
「もしかしから、あの『爆炎』の被害を……最小限とは言わずとも、多少は食い止められるかもしれないんだ」
肩当の紐がグイと握りしめられる感触が、それを後押ししてきた。




