357. 声を交わして
膠着状態。
そう考えれば、それほど悪い状況ではなかった。
「正に微動だにせず、ってところか……」
相も変わらず鉄巨人に動きはない。
崩壊した防壁の一角、第二監視塔が存在した場所で停止したままだ。
理由は恐らく、こちらのアトマを見失ったことによるもの。
標的消失状態による稼働停止。
あの馬鹿げた図体を無駄に動かさずに、今は索敵状態に入っている……といったところだろう。
目を凝らして皆が集う迎賓館の様子を伺うも、音や光、入口近辺にたむろする兵士の動きといったものを見るに、大きな動きはなく思える。
だが、いかに膠着状況といえど、彼らがその均衡の一端を握りしめているわけではない。
規格外の威容と力でもって、堅牢な防壁を苦も無く壊して退けた鉄の巨人。
それが再び動き出せば、館内に籠っていたところで意味はない。
むざむざと圧し潰されるよりは館外に打って出て、ミストピアの街を目指して行軍を開始する。
自分達に主導権がない以上、エキュムたちもその準備を進めているに違いない。
幸いにも、『防壁』を用いて『探知』の目を逃れているこちらに迫ってくる者はいない。
フェレシーラはといえば、俺の未だ腕の中で震えている。
幾度となく呼び掛けてはいるが、まるでそれが耳に入っていないようで、時折「とうさま、かあさま」「おいていかないで」と幼子のように呟くだけだ。
「ふぅー……」
一度大きく深呼吸を行い、考える。
こちらの推測が当たっていれば、ではあるが……
この『防壁』の術効が損なわれるか、突破されない限り、鉄巨人そのものが動き出す可能性は、現状低いと思えた。
万が一動き出したところで、あの巨体だ。
監視塔を崩壊された際の緩慢な動作をみるに、出せる移動速度はそこまで高くもないのだろう。
しかし、他の影人がこちらに押し寄せてこないとも限らない。
連中がアトマ視を備えていたとしても、それは飽くまで肉眼との連動で作用していると考えたほうがいい。
事実、先刻の中庭で方陣を敷いて奴らを迎え撃った際には、短剣を投げ放っての目潰しが通用していた。
それは影人の持ちうるアトマ視が、俺たちが視覚を介して『探知』を行うのと同様の動きをしている、という証左足りえるだろう。
故に相手の狙いがこちらであれば、動きの俊敏な影人を斥候役として放ってくる可能性はある。
というか、放ってくるのが普通だろう。
その様子が一向にない、ということは――
「もしかして、ついにあっちのリソースが枯渇したか」
「……?」
湧き出でた仮定を口にしたところで、フェレシーラがこちらを見上げてきた。
反射的に視線を合わせると、そこにあったのは不安げに揺れる青い瞳。
肩を伝ってくる震えこそ止んではいないが、その眼差しには先程までと違い、理知の光が灯っている。
「よお、フェレシーラ。落ち着いたか?」
「……うん。ごめんなさい、私」
「いいからいいから。今は大丈夫だ。だから、ちょっとこうしていような?」
意識的に平易な言葉を選び少女へと話しかけると、ゆっくりとした頷きが返されてきた。
まずは彼女と意思の疎通が取れるようになったことは、喜ぶべきこと。
事態が好転し始めている、と言いたいだが……
多分これは、まだ戻りかけといったところだろう。
なので無理はさせられない。
あの鉄巨人が姿を現す直前から、フェレシーラの様子はどうにもおかしかった。
その理由はわからずとも、その反応自体は予想がつく。
心的外傷からくる、防衛反応。
いわゆるトラウマからくる強烈な心理的負担が、彼女の行動に影響を及ぼしていたのだろう。
経験上、人はそういう事態に陥ることを、俺は知っていた。
なにはともあれ、だ。
こうなってしまった以上、フェレシーラに無理はさせられない。
どれだけ優れた戦士であり、神術士だとしても……彼女もまた一人の人間、少女であることに変わりはない。
歳だって、まだ17歳になったばかりだ。俺とそう変わらない。
だからこういう事もある。
だからこういう時こそ、傍にいれるヤツがしっかりとしていなければならない。
それが今は俺なのだ。
落ち着いていこう。
落ち着いてゆくべきだ。
そして、落ち着かせてやりたい。
「今はあいつの動きは止まっているよ。こっちを探しているみたいだけど、『防壁』を維持してアトマ視から逃れている」
「うん……」
「あれだけのデカブツだ。無駄に動かすわけにもいかずに操者が様子をみさせているか……標的を発見するまで動かない様に、術法式が組まれているかの、どちらかだ」
こちらの説明に返されてくるゆっくりとした返事の声を耳に、俺はフェレシーラへと話しかけ続ける。
そうすることで、己の気が落ち着いてゆくのを、はっきりと自覚していた。
「あいつが現れるまで、地響きの一つもなかった。だからアレは間違いなく、防壁の間近で生み出されたモノだ。そうでなきゃ、幾らなんでも辻褄が合わない」
「……それって、すぐ近くに影人を操ってるやつがいる、ってこと?」
「うん。その可能性はあると思うよ。そしてあの影人は地面を移動する能力を備えていないし、生み出した奴も簡単に出したり引っ込めたりは出来ないはずだ。それが出来るなら、あの鉄巨人に館の防壁をスルーさせて進攻させればいいからな」
「――それなら」
その言葉と共に、目と鼻の先にあった青い瞳が輝きを放ち始める。
同時に、あれほど感じていた彼女の震えが治まってゆく。
「そいつを見つけ出して叩き潰してやれば――この戦いも終わりね」
「その可能性も……あるな」
ニヤリとした、それでいてとてもとても魅力的な笑みを浮かべてきた白羽根の神殿従士に、俺は苦笑いでもって返すより他になかった。
「ちょっと……っていうか、だいぶみっともない姿を見せちゃったみたいね」
「そうか? 俺が風呂釜沸かすときにやらかしたのと比べたら、まだまだ全然だと思うけどな」
「あー、たしかに。あれはみっともなかったものねぇ」
「おい……そこは否定するとこだろ!?」
「騒がない騒がない。見つかったら大変なんでしょ?」
「ぐ……っ! お前、おぼえとけよ……!」
戦鎚を手に茶化してくる少女に早速やり込められてしまっていると、「そこは、勿論」という返事と共に、暗がりの中であってもそうとわかる極上の笑顔がやってきた。
「今回の件が落ち着いたら、私から話させてもらうから」
「それは……願ったり叶ったり、ってヤツだけどさ。大丈夫か?」
「ええ。ちょっと子供の頃の、怖かった出来事を思い出しちゃったみたいで……でも、もう平気よ。大丈夫」
「本当にかぁ? ここぞって時でまた震えだされでもしたら、面倒見きれないぞ?」
すっかりと普段の調子を取り戻してきたフェレシーラに、俺は敢えて発破をかけようと茶化してゆく。
そんなこちらに向けて、彼女はニコリと笑い、ただ一言。
「ずっと傍にいるよ……って、言ってくれたもの」
突然の台詞に、ピタリと固まる俺。
「大丈夫だ。フェレシーラ」
続く声もまた、同じ調子の……聞き覚えのある調子の声であり。
「俺はどこにもいかないよ……って、そう言ってましたよね? どこかの誰かさんが」
「おい……お前なぁ……っ!」
明らかに『フラム・アルバレットの声真似』をしてきていた少女へと向けて、俺は小声ながらも怒りを爆発させていた。
「先に声真似すんなって言ってたのは、そっちだろ! こんな時にふざけんなよ……っ!」
「あーら。私は言ったのは、欠片も似てないのはってことですけれど? こう……キリッとして感じ、中々の再現度だったでしょう?」
「アホかっ! んな気取った言い方してねえよ! もうちょっとこう……落ち着いた感じでキメてただろ!?」
「んー。どうだったかしら。もう一度言ってくれたら、差がわかるかもしんないですけどぉ」
「いわねーよ! てか、首謀者倒しにいくんだろ! いい加減この話、終わるぞ!」
「はーい。それじゃ、後の楽しみにとっておきましょうね」
「だからなぁ……!」
結局は、いつも以上の調子となって完全復活を果たしたフェレシーラに、ぶつくさと返しつつも、心の中ではほっと一息。
一時はどうなることかと思ったら、どうやらこれで一安心、といったところだろう。
無論、不安や問題は山積みなことに変わりはない。
いきなり遊撃隊の任を放り出したことへのフォローも必要だし、なによりあのデカブツ対策をキッチリと済まさねばならないだろう。
しかし例え、そうであったとしても。
「ありがとうね、フラム。貴方がいてくれて……本当によかった」
「なんだよ、今さら。そんなの、お互い様だろ」
「そうね。お返しに、ちゃーんと私がいてくれてよかったって、言わせてあげるわね」
こうして自信満々で返してくれる彼女が傍にいてくれたら、こちらとしてはもう「なんとかなるだろ」としか、思いようがなかった。




