88 愛し子はがんばる (セレネver)
時は遡り、リアが王城での勤務を始め3日目の真昼。
国内のどこかでは気だるげな吸血鬼の手によって組織が蹂躙され、阿鼻叫喚な世界が作られているそんな同時刻。
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陽光が差し込む。
穏やかな風が頬を撫で、セレネは擽ったそうに目を細める。
長い退紅色の髪がサラサラと宙を舞い、鼻にかかる前髪を小さな手で退けた。
目に入るは未だ慣れない、明るい世界とたくさんの色を魅せてくれる綺麗なお庭。
そして隣には、すっかり元気になったかっこいいお兄ちゃんの姿。
「どうだ? 出来てたか? リア姉みたいな動きだったか!?」
剣を置き、覗き込むようにしてセレネに顔を近づけてくるルゥ。
その目はキラキラとしており、本人としては出来ていると顔に書いてあるが、セレネは微笑を浮かべ言葉に詰まる。
(リアお姉ちゃんみたいって、前に遊んでもらった時のアレだよね? うーん、出来てた気がする? でもお姉ちゃんの動きはもっと速くて、それに綺麗だったなぁ……はっ! 今はお兄ちゃんだよ、セレネ。……うん、出来てたと思う!)
セレネは以前にリアとルゥが稽古と称して遊んでた時のことを思い浮かべ、その時の剣の振り方や足の動き、終わった後の姿勢にちょっとだけ違う気がしたが、多分同じものだと結論付けた。
「うん、出来てたよ! リアお姉ちゃんみたいだった! すっごくかっこよかった!」
「へへ、そうか? これで俺はリア姉に一歩近付けたな! でもダメだ、もっともっと練習して今度こそリア姉を驚かせるんだ!」
そう言ってニカッと笑う兄に、セレネは妙に胸が高鳴り嬉しさがこみ上げてきた。
お兄ちゃんは変わった。
元気になったのもそうだけど、前よりずっとずっとかっこよくなった。 ううん、ずっと前からセレネを守ってくれていつもかっこよかったけど……う~ん、何て言うんだろう?
……明るくなった?
お姉ちゃん達、というよりリアお姉ちゃんに会ったからかな?
色んなことを始めて、色んなことを頑張るようになった。
前のお兄ちゃんにはセレネはずっとごめんなさいだったけど、今のお兄ちゃんはがんばれーって思うんだ。 あ、そうだ!
セレネは視界に映り込む光を見て、何もない空間に手を置く。
「がんばって、お兄ちゃん」――【精霊の微光】
手に乗った光はふわふわと漂っていき、対象にしたルゥの身体へ包み込むようにして淡い光が溶け込んでいく。
「ん? なんか今、あれ?体が軽いような……うん、これなら!」
ルゥは振り始めた剣を止め、不思議そうにその手を見詰めて開いたり閉じたりを繰り返す。
そんな兄の様子に、リアから教わった【精霊魔法】が上手くいったことでセレネは「えへへ」と微笑みを浮かべる。
するとすぐ後ろ、屋敷の方から扉の開いた音が聴こえてきた。
「おはようございます、ルゥ、セレネ」
振り返るとそこにはメイドのお姉ちゃんの姿が。
「あっ、レーテ姉!」
「レーテお姉ちゃん!」
ルゥとセレネは跳ねるようにその顔を輝かせ、レーテの元へと駆け出した。
「お二人は相変わらずお早いですね。いつからこちらに?」
「へへ、今日は俺の勝ちだな。10時には起きれたんだ! ……あれ、9時?10時?」
「11時だよ、お兄ちゃん」
「え、あっ11時だった!」
最近、時計の読み方をレーテお姉ちゃんに教わって、セレネとお兄ちゃんは時計が読めるようになった。 でも、お兄ちゃんはまだ短い針と長い針を反対に読んじゃうことがある。
セレネはまた兄の間違えを指摘されると身構えたが、レーテは「そうですか」と静かに答え二人の頭へそっと手を乗せる。
あれ? 今日は怒らないの?
もしかしてお姉ちゃんの方が遅かったからかな? えへへ
レーテお姉ちゃんはよくこうして頭を撫でてくれる。
笑わないし冷たく見えるけど、本当は優しいことをセレネは知っている。
「へへっだからさ、今日はいつもより美味しいの作ってくれるよな?」
「あ、セレネも! セレネも今日早く起きたんだよ? 8時!」
「ええ、ではすぐに準備を――いえ、今日は外に出ましょうか」
二人の言葉にレーテは、頷きながら手を離し背を向けながら思い出したように言葉にする。
その瞬間、ルゥとセレネはピタリと動きを止め、恐る恐る顔をあげるのだった。
「「外?」」
「はい、ちょうど材料を切らしてしまいましたので、今日のお昼は外食にしましょう」
いま外って言った? ううん、セレネの聞き間違いかもしれない。
だってリアお姉ちゃんとアイリスお姉ちゃんが『外は危ない』って、一緒じゃないとダメって……あれ?
レーテお姉ちゃんが一緒ならいいのかな? でも――
「やったー! 外だぁ!」
「お外? 街に出てもいいの? でも、お姉ちゃん達が」
「お二人からは許可を頂いております。ですがくれぐれも、私から離れないようにしてください。いいですね?」
「じゃあ本当にっ……えへへ」
自然と笑みを漏らし、俯いて思い浮かべるは二人のお姉ちゃん。
一人は自分を痛いのから救ってくれた、女神様みたいなお姉ちゃん。
もう一人は怖いけど、魔法や色んなことをセレネに教えてくれるツンツンしたお姉ちゃん。 でもやっぱり、ちょっと怖い。
気付けば、周囲には数多の光がその感情に呼応するようにくるくると漂い、それを見て思わず表情を緩めてしまう。
そうして一度屋敷に戻り、再びレーテの手によって二人は久しぶりの街中へと足を踏み出していた。
レーテは外出用に赤い目を隠す為、リアから黒いアイマスクを渡されており、それを付けてメイド服のまま外に出ている。
そして、ルゥとセレネには要らぬちょっかいを避けるためにも黒ローブを羽織り、迷子やもしもの時に対処できるようしっかりとレーテがその手を握っていた。
わぁ! 人がたくさん。
あれはなんだろう? お肉……串焼きかな? あっこっちには果物! 美味しそう……、っ!
「ひっ」
「……セレネ? どうしました?」
お姉ちゃんの声が聴こえてくる。 目の前には自分の何倍も大きな男の人が、セレネを見下ろしている。
なにもされていない……でも、その顔と目がセレネとお兄ちゃんを虐めてきたあの大人と重なる。
怖い……またセレネを叩く? また、お兄ちゃんを虐める?
精霊さんっ、どうしよ……どうしよう、っお姉ちゃん。
「………。あぁ、あそこにしましょうか」
「っ?」
あ……手、温かい……。 大丈夫……? そうだ、今はレーテお姉ちゃんが居る。
リアお姉ちゃんもアイリスお姉ちゃんも、レーテお姉ちゃんは強いって言ってた。 だから大丈夫。
「大丈夫か、セレネ?」
レーテ越しに顔を覗かせ、体を小さくするセレネに心配そうな表情を浮かべるルゥ。
そんな優しい兄の顔を見て、ピタリと体の震えが止まりセレネは繋がれた手を両手で包み込んだ。
「うん、大丈夫だよ。 ……えへへ」
「安心なさい。貴女に触れることができるのは、この世界に4人だけですから。だから怖がる必要はありません」
そう言ってこちらへ顔を向けるてくるレーテ。
黒いアイマスクでその目は見えないものの、自分を励ましてくれているというのはすぐにわかった。
(お姉ちゃん、いつもと違う話し方……うん、大丈夫)
セレネは握った手に力を籠め、俯きかけていた顔を上げる。
そうして、大人が多い人だかりの中をレーテに引かれてすいすい進んでいき、あっという間にお店の前へとたどり着いた。
中に入ればたくさんの人間が居て、その中にも少ないけど自分と同じ獣人の姿が見えた。
大人たちは大声で話し、色々な音がガヤガヤと鳴り響かせセレネの耳へと入ってくる。
『大丈夫』なんて言ったけど、でもやっぱり……まだちょっと怖い。
だからレーテお姉ちゃんの服に顔を隠していたら、いつの間にか椅子に座っていた。
テーブルはお店の端っこで、セレネの目には壁だけが見える。
逆に、レーテお姉ちゃんは皆から見えるとこに座っているけど、怖くないのかな?
落ち着きなく周囲を見渡していると、いつの間にか料理が運ばれてきた。
あれ? ここは料理選べないのかな? 美味しいの……出てくるといいなぁ。
そうして並べられたお皿の数々に、セレネは涎が出そうになり思わずその喉を鳴らす。
『色鮮やかなサラダ』『ポテトのスープ』『鶏むね肉のキノコ焼き』『葉物汁』
それらはどれもレーテが一度は作ってくれたものであり、セレネの大好物だった。
――そう、セレネは限りなく近いベジタリアンなのだ。
「うおっ、また随分と……野菜だらけだな」
「えへへ、お兄ちゃんも食べる?」
「あー、いや兄ちゃんは大丈夫だ。セレネが全部食べていいぞ!」
「いいの? でも、本当は全部セレネが食べたかったら……ありがとう!お兄ちゃん」
眉をぴくぴくと動かし表情を引き攣らせたルゥに、セレネは気付くことなく満面の笑みを浮かべる。
そうしてふっと、何処か離れた所へ顔を向けるレーテに首を傾げるセレネ。
「レーテお姉ちゃん? どうしたの?」
「……いえ、いただきましょうか」
黒いアイマスクで、何処を見ていたのかはわからない。
しかし、レーテの醸し出す雰囲気からセレネは不思議に思いつつも、目の前の料理に意識を移すのはそう時間はかからなかった。
やがてテーブル一杯に広がっていたお皿は空になり、一休憩していたセレネ達はレーテの一声で店を出ることにした。
お腹一杯に美味しい物を食べられ、気持ちの良い陽光とそよ風に幸せを感じるセレネ。
するとすぐさまレーテに手を引かれ、兄のルゥも同様に少し早歩きで店から離れた細い道へと入る。
(レーテお姉ちゃん?どうしたの? あっ、やっぱりお姉ちゃんは吸血鬼だから……太陽さんが嫌いなのかな)
自分は好きな物でも相手はそうとは限らない。
むしろレーテにとっては苦しめるものだと気づき、手を引かれながら沈んだ気持ちになるセレネ。
すると裏路地を慣れた足取りで進んでいくレーテは、何度目かの角を曲がると唐突にその足を止める。
「そろそろ出てきてはいかがですか? ここまで来られたのです、偶然ではないのでしょう?」
え? レーテお姉ちゃん、何を言って――
「へぇ、俺たちがつけてるの気付いてたんだ?」
「何処まで行くのかと思ったが、まさか誘ってたのか? そっちがその気なら俺らは大歓迎だぜ!」
声につられて振り返ると、細い道の角からぞろぞろとやってくる大人の男達。
セレネはビクリと反射的に肩を跳ねさせ、足が地面に張り付いたように動かなくなる。
「まぁ、だとしても……犬どもは邪魔だな、殺そう」
「いや、犬も連れていく。まだガキだが、片方はそれなりに売れるだろ」
そう言って男はセレネを見下ろすと、その口元をにやつかせる。
その目はまるで、足から頭にかけて何かが這いずって登ってくる感覚に加え、肌を直接舐められたような気持ち悪い目つき。
(ひっ……今、セレネのこと見てた? 片方、売る?誰を? また、あの暗い場所に……っ)
「もともと殺すつもりでしたが、猶予はいらなそうですね? 自分達が誰の所有物に手を出したか、後悔しながら死になさい」
唐突に影に呑み込まれ、不思議に思い見上げるセレネ。
そこにはレーテとルゥが立ち並び、二人の手には短剣と直剣が見えた。
「二人とも。ここから動いてはいけませんよ」
「待ってくれレーテ姉、俺もやれる! セレネを怯えさせたんだ。 あいつら、許さねぇ!」
「それは――「なに暢気に喋ってるんだ? なぁ!」」
レーテの頭上から腕にかけて、振り下ろされる筈だった剣の軌道は空を切る。
鮮血が宙を飛び散り、喉から大量の血液を垂れ流す男は力無く倒れていく。
「フレッド!?」「「ッ!!」」
「――また、今度にしましょう」
たった今殺した男など眼中にないと、何事もなく振り返ったレーテはその首を微かに傾げ、ルゥを説得しようと語り聞かせるように話す。
セレネはいつの間にか現れた黒い影――もう一人のレーテに目を覆われ、ひんやりとしながらもどこか安心する感覚に包まれる。
それからはあっという間だった。
最初こそ大人の男の人達の叫び声が聴こえていたが、それも段々と小さくなっていき、気付けば静かな世界にセレネは包まれていた。
そして再び視界が開けた時、小さな道は所々を赤く染め上げ、大人の男の人たちは地面に倒れ伏していたのだった。
場が静まり返り、セレネは血臭をその鼻で感じながら見慣れた血の道を歩きレーテの元へと向かう。
するとルゥは手に持った剣をピクリとも動かさずにいたが、徐々にその肩を震わせていった。
「すっげぇ……レーテ姉かっけぇ。ちょっとやりすぎな気がするけど、俺もいつか……」
「お、お姉ちゃん……大丈夫?」
「はい、私は――っ」
返事の途中で、勢いよく振り返るレーテ。
顔を向けた先は細い道のずっと先、さっきセレネ達が歩いてきた場所だった。
そこには黒いローブで顔を隠し、もう一人の大人の人と話す二人の姿。
レーテお姉ちゃんは多分、あの人たちを見ているんだと思う。
――……あれ? なんだろう、この甘い匂い。
風に運ばれてきたのは果物の甘い香りとは別の、頭がくらくらしてきそうな気持ちが良い香り。
なんだろう……これ? ずっと嗅いでいたいような、そうじゃないような……変な匂い。
そう思って居ると、セレネの視界にレーテの姿が映り込んだ。
レーテは一直線に黒ローブの元へと疾走し、瞬きの間に手前の男を斬り付け、すぐさまもう一人の黒ローブへと直剣を振りかざした。
何が起きてるのかわからず、どうしたらいいか立往生してしまうセレネ。
レーテお姉ちゃん? どうしていきなり……もしかして悪い人たちなのかな?
「セレネはここにいろ! 俺はレーテ姉を手伝う!」
そう言ってルゥはレーテの元へ駆け出し始めた。
お兄ちゃんっ、……あっあの人が逃げちゃう! ダメ、逃がさない。
「精霊さん、あの人を捕まえて」――【精霊の悪戯】
離れた所では、黒ローブを纏った者が自身に迫りくるレーテへ何かを投げたのが目に入った。
レーテはそれを斬り落とそうするも、突然に剣の軌道を変え、上体を無理やりに逸らす。 その一瞬の隙に、黒ローブはこちらへ背を向けて逃げ出したのだ。
しかし、セレネの手によって放たれる"光りの靄"はあっという間にその足元へ辿り着き纏わりつくと、黒ローブの者は足を縺れさせその場で転倒させるのだった。
「やった! レーテお姉ちゃんは……大丈夫。お兄ちゃんは?」
見れば、ルゥは最初にレーテが斬った男を取り押さえており、レーテもすぐに黒ローブの者を無力化させたことでセレネは漸く胸を撫でおろす。
あの人たちが何だったのかはわからないけど、レーテお姉ちゃんが突然攻撃したのには意味があるはず。
……あれ? さっきの良い匂いが……消えちゃった。 どういうことだろう?
セレネちゃん視点は新鮮で楽しい(*´-`)




