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40. 秋晴れの日に


 ある秋晴れの朝。

 マレ王国第六王子の元侍従サシャは、ラス王国の騎士と共に馬車に乗り込もうとしていた。


 これから馬車で国境まで護送され、マレ王国の騎士に引き渡される。その後は東の監獄で三年の刑期を務めることになっており、刑期を終えた後は自由の身が約束されているが、マレ王国の王都からは永久追放、ラス王国も今後十年はその地を踏むことは許されない。


 それほど重大な罪を犯したのだと、サシャは痛感した。

 冷静に考えれば、エリアスまでも糾弾されかねない危険な行為だった。いや、きっと情深いエリアスであれば、サシャが単独で動いたことであっても、自分にも責任があると考えているに違いない。


 その証拠に、エリアスはマレ王国の騎士に宛てて「彼を決して手荒に扱うことのないように」と、サシャのために手紙を書いてくれたと聞いた。

 きっと、サシャがマレ王国に引き渡された後、罪人であるとして酷い処遇にあうのではないかと心配しているのだろう。


 自分はどんな目に遭おうと自業自得だ。

 大切な主人の母君の願いをすり替え、聖女は利用しないとの命に背き、主人のためだと言い訳をして自分の欲を叶えようとしていたのだ。

 大罪人と言われても仕方がない。どんな罰でも甘んじて受けるつもりだ。


 ただ、投獄されてから最後まで主人と話すことができなかったのが心残りだった。

 自らの愚行を謝りたかった。これまで賜った恩の御礼を伝えたかった。


「おい、そろそろ出発する。馬車に乗れ」


 騎士が張りのある声で催促する。

 サシャはうなずいた後、ゆっくりと天を仰いだ。これから主人が暮らすラス王国の空を、その暗い瞳に焼きつけるかのように。


(願わくは、エリアス様の未来がこの青空のごとく晴れやかなものでありますように──)


 そう心の中で呟いたとき、秋晴れの日には似つかわしくない湿った冷たい風がサシャを包んだ。

 そして、上空できらきらと白い光が瞬く。やがて白い光は風に弄ばれながら、ひらひらとサシャの元へと降り注いだ。


「これは……雪か?」


 騎士たちが不思議そうに空を見上げる。

 秋晴れの空から降る雪。あり得ないことだ。

 でも、サシャには分かった。


(──これは、エリアス様の魔術……)


 繊細で美しい雪の魔術。この雪は間違いなく主人が降らせたものだ。

 サシャはそっと手のひらを天に向けた。

 花びらのように優雅に舞う雪が、サシャの手のひらに落ちて儚く消える。


(ああ、温かい……)


 サシャは雪の名残りをぎゅっと握りしめると、王宮を振り返って深々と一礼した。


(エリアス様、貴方にお仕えできたことは私の誇りです。これから先もずっと、貴方の幸せを願っています)


 顔を上げたサシャの瞳には、以前の輝きが戻っていた。



◇◇◇



 フィールズ公爵家に移ってから、ルシンダの生活は一変した。まず初日からしてルシンダの想像をはるかに超えていた。


 到着早々、屋敷総出での出迎えから始まり、美しい温室で新たな家族揃っての和やかなお茶会、夜はどこの王族の生誕祭だろうかというほど豪勢な晩餐、そしてルシンダのために設えられたセンスの良い部屋で、王宮の貴賓室にも引けを取らない寝心地のベッドに眠り、爽やかな朝を迎えた。


 翌日から、さすがに晩餐は多少控えめになったが、使用人たちは歓迎の態度を崩さないし、家族団欒のお茶会も初日だけの特別なものではなく、ほとんど日課のように開かれた。


 公爵夫妻は、まるで自分は本当の娘なのではないかと思ってしまうくらい愛情たっぷりに接してくれ、ジュリアンは「ルー姉様」と呼んでくれてひたすらに可愛い。


 ユージーンは一切の遠慮を投げ捨てたように溺愛が止まらないし、とにかく、公爵家での生活はルシンダが寂しいなどと思うような暇がわずかにも無かった。


 学園生活はといえば、いくつか混乱はあったものの、教師たちの配慮のおかげで次第に落ち着きを取り戻していった。


 サシャの事件については、色々と複雑な経緯もあることから、生徒に対しては薬草学のサイラス(・・・・)先生は家族の事情により急遽退職することになったという説明で押し切ることになった。


 しばらくは「また薬草学の先生が変わるの?」「薬草学って呪われてるのかな?」などとオカルト的な噂が立ったが、新しくイケメン教師が着任すると、あっという間にその話題で持ちきりとなり、不穏な噂はなくなっていった。

 ただ、友人のマリンは憧れていたサイラスの退職でしばらく落ち込んでいたようだった。


 それから、ルシンダの姓が変わったことについては、こちらも多少ざわつくのではないかと覚悟していたが、案外あっさりしたものだった。


「まあ、光魔術が使える聖女様なんだし、そういうこともあるでしょうね」「元々ユージーン様とも親しくされてたしね」。

 そんな調子で、大して騒ぎになることもなかったので、ルシンダはほぼ今まで通りの学園生活を送ることができた。


 ただ、一つだけ今まで通りにはならなかったことがあった。


「クリス……先輩は今日もいらっしゃらないんですか?」


 放課後の生徒会室でルシンダが尋ねる。

 ちなみに、フィールズ公爵家の養女となった今、クリスを「お兄様」と呼ぶのは違うように思ったので、とりあえず「先輩」を付けることにしたのだが、未だに慣れない。


「……ああ、クリス先輩はまた家の仕事の引き継ぎがあるそうで来られないみたいだ」


 ルシンダの問いに、書類仕事をしていたライルがペンを止めて答えてくれた。

 クリスは爵位を継いでから家のことで多忙らしく、なかなか生徒会に顔を出せなくなっていた。今は、書紀のライルがクリスの仕事を引き受けてくれている。


「ライルは大丈夫ですか? 仕事の内容とか、分からないことが多いんじゃ……」


 心配して聞いてみたが、ライルは問題ないと言うように笑ってみせた。


「ユージーン会長もフォローしてくださっているから大丈夫だ。それに、クリス先輩が事前に副会長の仕事について詳細な資料を作ってくれていたみたいで、それを見ればほとんど一人で対応できるから心配いらない」


 ライルがその引継ぎ書を見せてくれる。

 読みやすく丁寧な字で、副会長の仕事内容が何ページにもわたって記されている。目次のページまで作られていて、至れり尽くせりだ。


「……それにしても、こんな資料、一日二日じゃ到底作れないし、一体いつから準備してたんだろうな? まさかこんか事態になることを予想していた訳ではないだろうけど……」

「まさか、いくらクリス先輩でも……」


 そんなはずはない。そう言おうとしたものの、ふと何か引っかかるものを感じて、ルシンダは口をつぐんだ。


(……そんなはず、ないよね? いくらクリス先輩が優秀とはいえ、こんな状況になることを予め想定していただなんて……あるわけないよね……?)


 クリスは几帳面で計画的だから、きっと自分が卒業した後のことを見越して、元々少しずつ資料をまとめていたのだろう。その他の理由なんて、きっとないはずだ。何もおかしなことはない。


 そう自分を納得させるように言い聞かせ、ルシンダは自分の仕事に取りかかった。


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