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31. 決意


 数日後。今日はアーロンとライルは生徒会の仕事があるということで、ルシンダはエリアスと二人で劇の練習をしていた。


『お前は不思議な娘だな。一緒にいればいるほど、気になることが増えていく。お前は一体、何者なんだ?』

『私は何も持たないただの娘です』

『お前がただの娘のはずがない。お前を見るたびに、手で触れて確かめたくなる。こんなことは初めてだ』

『……』


 エルフ役のエリアスがルシンダの頬に触れ、二人が見つめ合う。本番ではここで暗転して次のシーンになる予定だ。

 けれど、なぜかエリアスは頬に触れた手をなかなか下ろそうとしない。


「あの、エリアス殿下? 何か問題でも……?」


 もしや演技に納得がいかないのだろうかと、ルシンダが尋ねる。するとエリアスはハッとしたようにわずかに目を見開いて、ルシンダから離れた。


「……ごめん。ちょっと、ぼーっとしてたみたいだ」

「いえ、大丈夫です。私の演技はおかしくありませんでしたか?」

「ああ、君の演技か。正直驚いてるよ、ここ数日でこんなに上達するなんて。何かあったの?」


 感心した様子のエリアスに、ルシンダが少しだけ自慢げに打ち明ける。


「ふふ、実は兄から良いアドバイスをもらったんです。自分でも演技しやすくなったと思ってたんですが、そんなに良くなってましたか?」

「ああ、本当に良くなったよ。……演技だってことを思わず忘れそうになるくらいに」

「そうですか! よかったです!」


 演技を褒められて無邪気に喜ぶルシンダに、エリアスが複雑そうな眼差しを向ける。


「……ルシンダ嬢。キリがいいところまで練習できたし、少し休憩にしない?」

「あ、そうですね。少し喉も乾きましたし」


 二人で教室の椅子に並んで腰掛け、水筒の水で喉を潤す。

 エリアスが窓の外を眺めながら、溜め息混じりに呟いた。


「もう、すっかり秋だな……」


 窓の外には赤や黄色の紅葉が見え、季節の移ろいを感じさせる。明るく色鮮やかな景色なのに、どこか物悲しい気持ちになるのはなぜだろうか。

 エリアスの綺麗な横顔も、憂いを含んでいるように見えてしまう。


「エリアス殿下の留学は来年の春までなんですよね?」

「……うん、そうだね」

「留学はいかがですか? ラス王国に来てよかったと思いますか?」


 何気なくそう尋ねれば、エリアスは少しだけ言葉に詰まった後、困ったように笑いながら言った。


「来てよかったと思うよ。……でも、来ないほうがよかったのかもしれないと思うこともある」


 秋の空気に混じる感傷的な雰囲気のせいなのか、エリアスが心の内を語り始める。


「留学に来たのは、目的のための手段に過ぎなかったはずなのに……いつのまにか、その手段のことばかり気になるようになってしまった。早く目的を果たさないといけないのに、まだこのままこうしていたいって思ってしまう」


(目的……? 手段……?)


 それが何を意味しているのか分からないけれど、エリアスはただ単にラス王国で学ぶために留学に来たわけではないのかもしれない。


「でも、それでは母上が浮かばれないから……こんなことなら、初めからラス王国に留学なんてしないほうがよかったんじゃないかって……」


 エリアスの真意は分からない。けれど、きっと母親のために何かを成し遂げたいのだろう。


「……ごめん。こんなこと、君に言ったって仕方ないのにね。ちょっと感傷的になっちゃったみたいだ。……忘れてもらえる?」


 自嘲気味に笑うエリアスは、亡き母を想うがゆえに何かに縛られ、もがいているように見える。

 さっきの言葉だって、忘れてと言いながらも無意識に助けを求めているのかもしれない。


 今まで少しずつ距離を縮めてきた異国の友人を、ルシンダは放っておきたくはなかった。


「エリアス殿下は本当にお母様を大切にされてるんですね。……私には母の愛というものがよく分からないですけど、エリアス殿下を見ていると、なんとなく伝わってくるような気がします。きっと、エリアス殿下を深く優しく包み込んでくれたんだろうなって」


 ルシンダがふわりと微笑む。


「エリアス殿下は、お母様が浮かばれないって仰いますけど、そんなことないんじゃないかなって思います。エリアス殿下が決めたことなら、きっと温かく見守ってくださるはずだって……。お会いしたこともないのに、勝手な想像なんですけどね」

「……いや、でも……」


 エリアスが何か言おうとするが、上手く言葉が出てこない。


「それに、留学にいらっしゃったことだって、間違いだなんて思わないでください。私はエリアス殿下と出会えてよかったって心から思いますし、きっと私だけじゃなくて、ミアもアーロンもライルも、クラスメートみんなそうです」


 ルシンダの言葉が、やけに胸に染み渡る。

 彼女を見つめる青紫の瞳が切なげに揺らめいた。


「なので私、エリアス殿下のいい留学の思い出にするためにも、劇の練習頑張りますね!」


 そう言って屈託のない笑顔を見せるルシンダに結局何も言えず、エリアスは曖昧な表情でうなずくことしかできなかった。



◇◇◇



 その日の夜、エリアスはサシャとの待ち合わせ場所に一人赴き、夜空に浮かぶ三日月を眺めていた。


『エリアス殿下が決めたことなら、きっと温かく見守ってくださるはず』


 ルシンダから言われた言葉。あれから何度も思い返してしまう。


(母上は、本当に許してくれるだろうか……?)


 そうだったらいいな、と思う。

 元々ラス王国へ留学に来たのは、勉学のためではなく、別の理由があってのことだった。


 マレ王国での後継者争いに勝利すべく、聖女であるルシンダ・ランカスターを手に入れるため。それが本当の目的だった。


 でも、留学生としてルシンダを始め、アーロンやライルたちと触れ合ううちに、マレ王国では感じたことのない居心地の良さを覚え始めた。


 勉強も、ラス王国特有の薬草を実際に扱えるのは嬉しいし、歴史や風土についての授業なんかも興味が引かれる。

 魔術の授業も母国とは違った方法が取られているのが新鮮で面白い。

 教師もクラスメイトも親しみやすいし、臨海学校や文化祭で騒がしくなるのも、なんだかんだで楽しい。


 そんな風に日々を過ごす中で、エリアスはだんだんと違和感を抱くようになってしまった。


 早く目的を果たして故郷に帰らなければならないのに、もっとここにいたい。留学生のエリアスとしての時間を、できるだけ長く引き延ばしたい。


 そして何より、王位継承に利用するためだけに接近していたはずの聖女に、特別な感情を持ち始めてしまった。


 当初は、手に入れるのに時間がかかるようであれば、多少強引な手も使うつもりでいた。けれど今となっては、彼女に無理やり何かを強いるだなんて、とてもできない。


 春の陽射しのような優しさがあるかと思えば、突拍子もない思考と行動力があったり、しっかりしているようでどこか無防備なところがあったり。


 いつのまにか、目的とは関係なく、彼女のことを目で追うようになってしまった。


 彼女のことをもっと知って、自分のことももっと知ってもらいたい。

 焦らず距離を縮めて、自分を意識してもらいたい。

 彼女にとって頼れる存在になって、本当は心に寂しさを抱えた彼女を守ってあげたい。


 そんなことばかり願うようになってしまった。


(……王位継承にルシンダ嬢を利用したくはない。他の手を考えよう。母上もきっと、理解してくださるはず……)


 形見のペンダントを握りしめ、そう決意したとき。奥の木陰から足音が聞こえた。


「サシャ……」


 黒っぽい外套をまとったサシャが深々と頭を下げる。


「エリアス様、お待たせして申し訳ありません。こんなに早くいらっしゃるとは思わず……」

「ああ、ちょっと考えごとをしたくて」

「考えごと、ですか」


 まるでエリアスの心を見透かそうとするかのようなサシャの眼差しから目を逸らし、早々に本題へと入る。


「……それで、本国の様子は?」

「そうですね。いつもどおり大きな変化はない、と申し上げたいところですが……」


 サシャが困ったように眉尻を下げる。


「ここにきて第二王子殿下の動きが活発になってきたようです。こちらも早く聖女を手に入れないと厳しい状況です」


 控えめな言い方ではあるが、その目を見れば自分に決断を求めていることはよく分かった。


 けれど、もう決めたのだ。

 大切な人に卑怯なことはしたくない。


 エリアスはうなずく代わりにサシャを真っ直ぐに見つめ返した。


「サシャ、すまないが、聖女を利用するのはもうやめる」


 心は決まっていたが、サシャに伝えるのは少しだけ勇気がいった。

 これまでサシャは聖女を……ルシンダを手に入れるために骨身を惜しまず動いてくれた。それなのに、今さら方針を転換して失望されるかもしれないという、恐れに似た気持ちがあった。


 しかし、意外にもサシャは怒ることも呆れることもなく、この流れが織り込み済みとでも言うように落ち着いた笑みを浮かべた。


「……他に何かお考えが?」

「今はまだ思いつかないけど、何か考える」

「かしこまりました」

「……ごめん、サシャ」


 申し訳なさそうに謝るエリアスに、サシャがかぶりを振った。


「いえ、こちらこそエリアス様にご負担をお掛けして申し訳ありませんでした。しばらくは作戦のことは忘れて、学園生活をお楽しみください」

「わかった、ありがとう」


 自分の考えを尊重してもらえた安堵で頬が緩む。

 そんなエリアスを、サシャは無言のまま笑顔で見つめていた。


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