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29. 心を占める人


「ルシンダ様、こちらでございます」

「はい、ありがとうございます」


 侍女に先導され、ルシンダは広い庭園へと案内された。


 隅々まで丹念に手入れされた王宮庭園。艶やかな緑と季節の花々が目を楽しませてくれる。


 どこからかひらひらと飛んできた一匹の蝶々を目で追っていると、聞き慣れた穏やかな声が聞こえてきた。


「ルシンダ、来てくれてありがとうございます」

「アーロン! こちらこそ、招待状をありがとうございます」


 出迎えてくれたアーロンに挨拶する。

 今日は白を基調とした王族らしい装いで、陽の光のせいだけではなく、きらきらと輝いて見える。


 ルシンダも王宮にふさわしい格好で来たつもりだったが、もっと着飾ってくるべきだっただろうかと反省していると、アーロンがルシンダを見つめて微笑んだ。


「ルシンダの今日の装いは庭園の緑によく映えますね。とても似合っていて綺麗です。もちろん、ルシンダはいつも美しいですが」

「ありがとうございます。アーロンは本当にお上手ですね」

「誰にでも言うわけではありませんよ」

「え……?」


 アーロンがルシンダに一歩近づく。


「一緒に庭園を散歩しませんか? ちょうどピンクローズが見頃なんです」

「そうなんですか? ぜひ見たいです」


 散歩の誘いを承諾すると、アーロンは侍女と護衛を下がらせた。何かプライベートな話があるのかもしれない。


「では、行きましょう」

「はい」


 アーロンがルシンダの手を取り、エスコートする。


 思えば、初めは王子様からのエスコートなど緊張するばかりだった。けれど、従兄妹関係になり、パーティーでエスコートしてもらう機会も増え、次第にこの手を取ることに抵抗がなくなって、彼の細やかさに気がつく余裕も出てきた。


 今だって、歩く速度や歩幅、段差などの些細なことにさりげなく気を配ってくれている。


 アーロンの温かな手を心地よく感じていると、耳元で彼の囁くような声が聞こえてきた。


「ルシンダ、着きましたよ」

「ア、アーロン、びっくりしました……!」


 パッと後ずさり、耳を押さえて訴えると、アーロンがくすりと笑った。


「すみません、今日はこのくらい許されるんじゃないかと思いまして」

「今日は……?」


 どういうことなのかよく分からないが、これくらいのことで驚いている自分も大袈裟なのかもしれない。


 そう考えて落ち着きを取り戻すと、アーロンが言ったとおり、目的地の薔薇園に到着したことに気がついた。


 明るい日差しのもと、可憐なピンクローズが華やかに咲き誇っている。


「わあ……綺麗ですね!」

「気に入っていただけてよかったです」


 生垣に近づいて、花びらの繊細な色合いや造形美にうっとりしていると、アーロンが少し離れた場所から問いかけてきた。


「私が今日、ルシンダを呼んだ理由が分かりますか?」

「理由……?」


 そういえば、いつもの『いとこ会』のような感覚で訪問していたが、具体的な用件は不明だった。


 例の呪い騒動のことだったら、他の皆も招待するだろうし、ルシンダひとりを招く理由が分からない。


 しかし、首を傾げるルシンダの返答を待つことなく、アーロンが次の質問を投げかけてきた。


「この場所に思い当たることはありませんか?」

「この場所…………あ」


 今度の質問には答えられそうだった。


「ここは、私とアーロンが初めて出会ったお茶会が開かれた場所ですね」


 十歳のとき、アーロンと年齢の近い令嬢とその母親に王宮でのお茶会の招待状が届いた。そのお茶会が開催されたのは、この庭園だったはずだ。


 ルシンダが自信満々に答えると、アーロンが嬉しそうに目を細めた。


「正解です。この庭園は、私にとって一番思い出深い場所なんです。だから、伝えるならこの場所でと思いまして……」

「伝えるって──」


 何を、と言おうとしたところで気がついた。


 いくら自分が鈍感な人間でも、ここまでくればさすがに分かる。


 アーロンの熱のこもった切ない眼差し、緊張したようにごくわずかに震える声が、すべてを物語っている。


 一歩一歩近づいてきたアーロンが、ルシンダの手を宝物のように大切そうに掬いとる。


「ルシンダ、あなたのことがずっと好きでした」


 さぁと一陣の風が吹き渡り、ピンクローズの香りが匂い立つ。


「初めて出会った日からあなたに焦がれ、魔術学園で再会してからあなたという人を知り、気がつけば私の心はあなたで占められていました」


 アーロンの言葉がルシンダの脳裏に学生時代のさまざまな出来事を思い起こさせる。


 あの頃から、彼はずっとルシンダに心を寄せてくれていたのだ。

 親切で紳士的な振る舞い、たまに見せていた独占欲は、彼の想いの表れだった。


 あのときは自分自身が誰かに好かれるということがあるなんて信じられなくて、アーロンの気持ちに気づくこともできなかった。


 でも今なら、ちゃんと理解できる。


 ルシンダが溢れそうになる涙をこらえると、アーロンは少し驚いたように目を見開き、泣き笑いのような表情を浮かべた。


「自分がこんなに誰かを好きになれるなんて知りませんでした。……そして、想いが報われないことがこんなにも辛いということも」

「……」

「ルシンダのためならすべてを捨ててもいいと思えるくらい、本当に好きだったんです。でも、ルシンダの心にいるのは私ではない……そうでしょう?」


 自分の中でもまだはっきりと形になっていない、曖昧な気持ち。

 でも、そうだったらいいなと思っている。


 ルシンダは、こくんと小さくうなずいた。


 アーロンが寂しそうに、けれど柔らかく微笑む。


「私の想いを聞いてくれて、ありがとうございました。失恋の痛みはありますけど、不思議と晴れやかな気分でもありますね。……あ、今回のこと、気まずく思わないでくださいね。ルシンダに避けられたら本当に辛いので」

「避けたりなんてしません。私もアーロンに避けられたら辛いですから」

「ルシンダ……」

「アーロンは、私が貴族になってから初めて親切にしてくれた人でした。私にとっても、アーロンは特別な存在なんです。だから……これからも仲良くしたいです」


 アーロンの想いに応えることはできない。

 でもその分、自分のアーロンへの気持ちをしっかりと伝えたい。


 緊張と、涙をこらえているせいで震え声になってしまう。

 それでも、彼の心に届くように青い瞳を真っ直ぐに見つめて伝えれば、アーロンははにかむように笑ってくれた。


「……嬉しいです。恋人になることは叶わなくても、これから友人として、従兄として、ルシンダの支えになりたい。それは許してくれますか?」

「もちろんです。私にも、アーロンを支えさせてください」

「ありがとうございます」


 アーロンがルシンダの手を離し、一歩後ろへと下がる。


「この庭のピンクローズを花束にして差し上げますね。今、手配してくるので待っていてください」


 くるりと踵を返し、アーロンが遠ざかってゆく。

 いつもより早足に見えるのは気づかなかったことにして、ルシンダはアーロンの後ろ姿に呟いた。


「ごめんなさい。ありがとう……」


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