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27. 手に入れたかったもの


「はい、もう大丈夫ですよ」

「ありがとう! すっかり治ったみたいだ!」


 先ほどまで片腕を骨折していた騎士の笑顔に、ルシンダがほっとして微笑む。


 今日は騎士団から要請があり、魔獣討伐で負傷した騎士たちの治癒に当たっていた。


 なかなか難度の高い討伐だったようで深傷(ふかで)を負った騎士が多く、ほぼどんな怪我でも治せるルシンダが派遣されたのだった。


 骨折や裂傷、火傷に毒に、みな酷い状態で早く治してあげなければと使命感が湧いてくる。


 お昼から二十名の治癒をこなし、小休憩で一息ついていると、治療室の扉がガラッと音を立てて開いた。


「ルシンダ、大丈夫か? 魔力回復薬を持ってきたから、よかったら飲んでくれ」

「ライル!」


 ルシンダの調子を気にして来てくれたらしく、ライルがガラス瓶に入った魔力回復薬を差し出す。


「ありがとうございます。助かります」

「無理せず早めに飲めよ」

「はい」


 回復薬を受け取ったルシンダが、ライルの腕を見て「あ」と声を出す。


「ライルも腕を怪我してるじゃないですか。負傷者リストには入ってなかったはずですが……」


 右腕に切り傷のような跡がある。

 深くはないが、利き腕の傷は剣術にも差し障りがありそうだ。


「ああ、これは魔獣討伐でできた傷じゃないんだ。新人の訓練で魔術の暴発に巻き込まれて、回避はしたんだが折れた剣が(かす)ってしまった」

「そういうことでしたか。でも、ちゃんと治しておいたほうがいいですよ。せっかくですから、私が治癒します」

「……ありがとう。それなら魔獣討伐の負傷者の治癒が終わったら頼むよ。俺のは軽傷だから最後で大丈夫だ」

「分かりました。じゃあ、またあとで来てくださいね」


 最後にライルも治癒することを約束して、本来の仕事に戻る。


(あと残り十人ね。よし、頑張ろう!)


 ルシンダはライルからもらった魔力回復薬の蓋を開け、ごくごくと一気に飲み干した。



◇◇◇



「もう全員分終わったのか?」


 負傷者リストの最後の一人の治癒を終えたあと、ライルが治療室へとやって来た。


 さすがに三十名の治癒となると時間がかかり、気づけばもう夕方になっていた。


「はい、みなさん元気になりましたよ。お待たせしてすみませんでした」

「いや、大勢いたから時間がかかって当然だ。何時間も治癒に当たってくれて本当にありがとう。俺の同期も火傷のただれが綺麗に消えたって喜んでたよ」

「あ、アンディさんですね。楽になったならよかったです」


 自分の力で人を助けられるのは嬉しいし、やりがいがある。

 魔獣の討伐や結界を張る仕事も楽しく充実感があったが、治癒の仕事も直接誰かの役に立てて、目の前で喜ぶ姿が見られるのが好きだった。


「さあ、ライルの怪我も治しますよ。傷のある場所を見せてもらえますか?」


 簡素な作りの椅子に向かい合って座り、ライルに右腕を出してもらう。


「ここだ」


 出された右腕は、剣を使う人らしく、よく筋肉がついて引き締まっている。そして、その肘の裏の下にざっくりと裂けた跡があった。見るだけで痛そうだ。


「剣が掠ったのが手首じゃなくてよかったですよ。真っ直ぐ綺麗に切れたからか、傷はほとんど塞がっている感じですね」


 そう言いながら、そっと傷跡のあたりを撫でると、ライルの腕がびくりと跳ねた。


「あっ、ごめんなさい! 痛かったですか?」


 うっかり傷に触れてしまっただろうかと焦って謝るルシンダに、ライルもまた動揺した様子で謝る。


「すまない、大丈夫だ。少し驚いただけで、なんともない」

「それならよかったです。急に触ってしまって失礼しました」

「いや、それはいいんだ。治癒に必要だろうし……俺も嫌じゃないから」


 なぜか顔が赤くなるライルにつられて、ルシンダの頬も熱くなる。


「そ、そうですか……。では、治癒を始めますね」


 ライルの腕に手をかざし、魔力を込めて光の魔術を展開する。傷跡をなぞるように魔力の光を走らせると、次第に跡が薄くなり、やがて完全に傷が消えた。


「できました。どうですか? 引きつる感じとかはありませんか?」


 傷跡のあった場所をもう一度触って確かめてみる。撫でてみた感触では、特に問題はなさそうだ。


「ああ、最初から傷なんてなかったみたいだ。さすがルシンダだな」

「ふふっ、よかったです。また怪我したら、いつでも治癒しますから呼んでくださいね。友達なんですから遠慮しないでください。じゃあ、私はこれから後片付けして──……ライル?」


 ルシンダが驚いて両目を瞬かせる。


 ライルの腕から離そうとしたルシンダの手を、ライルが握りしめたからだった。


「あの……どうしたんですか?」

「──夢。夢を見たんだ」

「夢……?」


 ライルの言っていることが分からず困惑するルシンダに、ライルが静かに語り始める。


「渓谷に行ったとき、悪魔が俺たちに夢を見せただろう? あのとき、俺はルシンダの夢を見たんだ」

「……!」


 メレクが術で見せるのは、たしかその人にとっての悪夢だと言っていたはずだ。そこに自分が出てきたというのは、一体どういうことだろうか。


「嫌な夢だったんですか……?」


 ルシンダの問いに、ライルは否定も肯定もしなかった。


「クリス先輩がいなくなった後の夢だった。傷ついていたルシンダがだんだん元気になっていって嬉しかった。このままルシンダの笑顔と幸せを守りたくて、今までずっとそばで見守ってきた。……そのつもりだった」


 ルシンダの手を握るライルの手が、わずかに震える。


「だが、それはただの逃げだったと、クリス先輩が帰ってきて気がついたんだ」

「逃げ……?」

「手に入れたいものがあったのに、なんだかんだと理由をつけて、前に進もうとしなかった。そして、取り返しがつかなくなったとき、自分とは違って恐れず手を伸ばした者に八つ当たりしてしまったんだ。……本当に情けないよな」


 ライルが自嘲するように小さく笑う。

 こんなライルの姿を見るのは初めてだった。


 学生時代から、いつもルシンダのことを時にさりげなく、時に真正面から支えて助けてくれた。


 どんなときも堂々としていて、清々しい人だった。


 それなのに今、八つ当たりだとか情けないとか、そんな言葉を辛そうに吐き出していて、胸が苦しくなる。


 ライルがそんなにも熱望し、それでも手に入れられなくて悔やんでいるものとは、一体なんなのだろうか。


「……ライルは、何を手に入れたかったのですか?」


 ルシンダがぽつりと尋ねると、ライルは切なげに瞳を細めて笑った。


「お前だよ、ルシンダ」


 窓から差すオレンジ色の光が、ライルの赤い髪をさらに鮮やかに照らし出す。


「俺は、お前がずっと欲しかったんだ」


 ライルの真っ直ぐな言葉と声が、ルシンダの胸に突き刺さる。


「ライルが、私を……?」


 信じられなかった。

 ライルから大切にされているのは感じていたが、それは彼の友情と正義感からだと思っていた。


 でも、こうして告白されてみれば、今までの彼の思いやりの本当の理由が理解できる。


(私、馬鹿だな……。今まで気づかなかったなんて)


 ライルの想いがルシンダに届かなかったのは、ライルだけのせいではない。ルシンダが恋愛感情に疎すぎたせいでもある。


「ライル、あの、私……」


 なんと言って謝ろうかと泣きそうなルシンダの頬に、ライルが優しく触れる。


「ルシンダは謝らなくていいし、同じ気持ちを返してもらえないことも分かっている。それでも、俺がお前を好きだってことを伝えたかったんだ」

「ライル……」

「ははっ、これだとただの自己満足だな」


 明るい調子で笑ってみせるライルに、ルシンダがふるふると首を振って答える。


「自己満足なんかじゃありません。私はライルに好いてもらえてたのを知って、びっくりしたけど嬉しかったです。ライルの気持ちとは違うかもしれませんが、私にとってもライルは大切な人です」


 ルシンダの一生懸命な眼差しを受け止めて、ライルがくすぐったそうに笑った。


「……やっぱり好きだ」

「え……」


 ぱっと赤く染まるルシンダの頬をもう一度そっと撫でると、ライルは椅子から立ち上がった。


「引き止めて悪かった。後片付けは俺がやっておくから、ルシンダは騎士団長のところへ行って大丈夫だ。報告しないといけないだろう?」

「あ、はい、でも……」

「いいから。俺も少し一人になりたいし」

「そ、そうですよね。では、私はこれで失礼しますね」


 ルシンダも慌てて立ち上がり、報告書と荷物をかき集める。


「じゃあ、気をつけて帰るんだぞ」

「はい。ライルもなるべく怪我しないように気をつけてくださいね。心配ですから」

「ああ、大事な友達に心配かけないよう気をつけるよ」


 そう言って、手を振り見送ってくれたライルの表情は、どこかすっきりしたように見えた。


 安堵と申し訳なさと切なさと、いろいろな感情が混じり合った胸を押さえながら、ルシンダは治療室を後にした。


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