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17. 彼のいなかった三年間 〜ライルの夢〜


『ルシンダ、もう日が暮れる。馬車まで送るから一緒に行こう』


 生徒会室で仕事を終えたあと、ぼんやりと元副会長の席を眺めていたルシンダにライルが声をかける。


 我に返ったルシンダが、時計を見て驚いたように目を見開いた。


『……もうこんな時間だったんですね。すみません、今支度します』


 覇気のない作り笑顔を浮かべ、のろのろと机の上を片付け始める。


(──あれからずっと、こんな調子だな)


 クリス・ランカスターがラス王国を去ってから1か月、ルシンダは日に日に元気をなくしていた。


 少し前まで自分の家族だった人物が急に遠くへ行ってしまったのだ。寂しく、悲しい気持ちになるのは当然だろう。


 無理して元気を出すのも辛いかもしれないと思い、ライルはルシンダの気持ちが落ち着くまで、寄り添って支えようと決めていた。


(だが、クリス先輩がルシンダを置いていなくなるとは思いもしなかった)


 クリスは誰の目から見ても相当な妹思いで、ルシンダのことを大切にしていた。


 聞いた話によると、ランカスター夫妻というのは昔からあまりいい両親ではなかったようで、ルシンダとクリスは幼い頃から互いを心の拠り所にして暮らしていたらしい。


 それを知ったときは、一時、自分がクリスとルシンダの関係を妬んでしまったことを恥ずかしく思ったものだ。


 それだけ強い絆で結ばれた兄妹で、学園でも常にクリスがルシンダを守っていたのに、卒業と同時にロア王国へと旅立ってしまった。


(フィールズ公爵家の養女になったから、自分の役目は終わったということなのだろうか?)


 たしかに、新たにルシンダの兄となったユージーンも、クリスとは違った種類の妹思いだ。前からルシンダには甘かったが、家族になってから過保護ぶりに拍車がかかっている。


 ユージーンがいるなら、クリスも安心して兄の役目を終えられると思うはずだ。


 だから、これからは自分の人生のために旅立つことを決めたのかもしれない。


(……だが、本当にそうなのだろうか)


 どこか、もやもやと引っかかるものがあって、納得しきれない。


 このもやもやは一体何なのだろうかと考えていると、帰り支度を終えたらしいルシンダがこちらを見上げてライルの名を呼んだ。


『……ライル、お待たせしました。帰りましょうか』

『ああ。帰ろうか、ルシンダ』



◇◇◇



 それからの学園生活は、有意義に過ごせたと思う。


 学業もそうだし、ルシンダの寂しさもいくらかは埋めることができたはずだ。徐々に作り笑顔ではない、本物の笑顔を浮かべてくれるようになったときは本当に安心した。


 三年生となり、彼女が魔術師団への所属内定を決めた頃は、自分も騎士団に魔術騎士として入団することが決まっていた。


 夢が叶うことを嬉しく思うと同時に、今後、共に任務を果たすこともあるだろうルシンダを守れるよう、もっと強くならなければと決意した。


 そして、学園の卒業式の日。

 この日のルシンダはとても綺麗だった。


 彼女にひざまずき、ずっと秘めていた想いを今夜告げてしまおうと思った。


 バルコニーで星空を眺めていた彼女に近づき、彼女の名前を呼ぶ。


『ライル? どうしたんですか?』


 こちらを振り返るルシンダに淡い月の光が差し、あまりの美しさに一瞬、言葉を失う。


『……月が明るいな』


 なんとか返事をすると、ルシンダが柔らかく微笑んだ。


『今日は満月なんですよ。しかも、雪月と言って、一年で一番真っ白な輝きを放つ月なんですって』

『そうなのか。初めて知ったよ。ルシンダは物知りだな』

『ふふっ、天体の話は面白くて好きなんです』


 何気なく言われた「好き」という言葉に、心臓がどきりとする。自分に言われた訳でもないのに反応するなんて、我ながら意識しすぎだ。


 動揺する心を落ち着けようと深呼吸していると、ルシンダがふと思い出したように言った。


『そういえば、一年生のときの林間学校のことを覚えていますか? あのときも、ライルと一緒にこうして星空を眺めましたよね』


 ルシンダの言葉に、ライルも当時のことを思い出す。


『ああ、よく覚えている。懐かしいな』

『あのとき、ライルから王宮魔術師団のことを教えてもらって、将来の夢の選択肢の一つになったんです』

『そうだったのか。もうすぐ、夢が現実になるな』

『はい、本当に嬉しくて楽しみです。魔術師団に入ったら早く一人前になれるよう、もっと努力するつもりです』

『……そうか。ルシンダは努力家だから、きっと大丈夫だ』

『ありがとうございます。ライルもきっとすぐ正騎士になれますよ。頑張ってくださいね』

『──ああ、ありがとう』


 結局、ルシンダに想いを告げることはできなかった。


 魔術師団での仕事に胸を躍らせている彼女に、自分の告白で水を差すようなことはしたくなかった。それに、彼女自身、今はきっと恋愛のことなど眼中にないだろう。


 まずは自分も彼女に負けないくらい努力して実力をつけよう。告白はそれからでも遅くないはずだ。


 そう思い、卒業後はとにかく仕事や訓練を真面目にこなすことに集中した。


 任務では次第にルシンダと共に行動する機会が増え、戦闘ではペアを組むことも多くなった。気心の知れたルシンダとは連携もスムーズで、他の騎士たちから「相性ぴったりだな」なんて言われることが嬉しかった。


 この心地いい関係にもう少しだけ浸って、あとしばらくしたら彼女に想いを告白しよう。


 そんな風に思っていた。

 彼が帰ってくるまでは。


「クリス・ランカスターが魔術師団の特務隊長に就任した」


 そんな話を耳にして、ライルは心底驚いた。


 クリスがラス王国に帰ってきたというにも驚いたし、魔術師団の特務隊長となったことも衝撃だった。


 でも同時に、ルシンダは嬉しいだろうとも思った。

 ずっと恋しがっていたクリスにやっと会えるのだ。久々の再会を喜ぶ姿が見られたら、自分も安心だと思っていた。それなのに……。


 あの日、夜会会場で警護の任務に当たっていたライルは、ホールの上階からルシンダの様子を眺めていた。


 そして気づいたのだ。

 彼女がクリスを見つめる眼差しが、自分へ向けるそれとは全く異なることに。


 恥じらいや喜びを秘めた、愛おしげな眼差し。

 自分が心から欲していたその眼差しが、自分ではない男に向けられている。


 そして、その男の瞳にもまた彼女と同じ──いや、それ以上の想いが宿っていることに。


 全身の熱が一気に冷めていくのを感じた。

 なぜ、どうして、いつのまに。


 二人は兄妹だったじゃないか。

 クリスは妹を守るために過保護だったのではなかったのか?

 ルシンダだって、まだ恋愛より仕事に夢中だと思っていたのに。

 もう少ししたら、ルシンダに想いを告げようと思っていたのに。


 さまざまなことが頭をよぎり、冷静ではいられなくなってしまった。


(彼が帰ってくる前に想いを伝えていたら、何かが変わっていたのだろうか──……)


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