図書館の町
翌朝、図書館に行き、最近謎が解けたとの噂を司書に聞いてみた。司書は僧侶のような服を着て、髪を出さないようにフードを被っている。
「ええ、そうです。最古の図書室が開かずの間と化していたのですが、先日、謎が解けて開きました。現在は、中の書物を検分している最中で、一般の方は出入りできませんが……」
「あ、そうなんですか。解いた方に話は伺えませんかね?」
「お忙しい方なので、どこにいるのかも……」
図書館と言えど、敷地は郊外のショッピングモールのように広く、司書だけでなく、庭師や掃除夫、警備員など職員も多いようだ。
本はとてもきれいに管理されていて、魔法陣が描かれたシールが貼られている。盗難防止のためらしい。呪いみたいなものだろうか。本棚の横に説明書きがあったが、よくわからない。
「そもそも魔法陣と言われてもなぁ……」
この世界に来て見たことはあるが、自分では使わない技術だと思っている。
賢者ともなると、自由自在に使えるようにならないとダメなのか。
「書物で学べば、魔法を使えるようになりますか?」
本を運んでいる司書に聞いてみた。
「そればっかりはわかりません。すぐに習得できる者もいれば、代々受け継いできた魔法というのもあります。もちろん、全く魔法の才能がない者もいるでしょう」
「自分に魔法の才能があるか確かめる方法ってありますか?」
「ええ。教会に行くといいでしょう。もしくは、ほらこの魔石灯というランプを手に持ってみてください」
弁当箱ほどのランプを司書から受け取り、魔力を注ぎ入れるイメージをしてみた。
が、うんともすんとも。何も起こらない。
「ああ……。もしかして、才能はないんですかね?」
「そのようですね。魔力自体もまったくありません。魔法使い以外の職業を探した方がいいでしょう」
さすが適性・遊び人だ。まったく才能がないらしい。
「不思議な方ですね。才能がないとわかって笑っていらっしゃる」
「笑ってました? 失礼。魔法の才能もないのに、これから賢者になる予定なんです」
どうやら賢者への道は相当に険しそうだ。人生を賭けるだけのことはある。
「はあ? いったい、どういう……?」
「裏技を使うしかなさそうです」
「魔法陣を学び付呪師にもなれますからね」
司書は微笑みながら、仕事に戻っていた。
「魔法ねぇ」
俺は中庭に行き、ベンチに座ってぼーっとすることにした。あくせく働いている人たちの傍で日向ぼっこをするのは、背徳感がある。
「司書が開かずの間を開けたのか?」
庭にある木を選定している庭師に聞いてみた。
「ん? なにか言ったか?」
面倒くさそうにこちらを振り返った。
「ああ、本当は庭師か清掃員が開かずの間を開けていたってことはないか?」
「クリエは司書だよ。間違いない」
開かずの間を開けた司書はクリエという名前らしい。
「忙しいらしいが、今、どこで仕事をしている?」
「さあ、遊んでいるんじゃないか。あの娘は別に仕事ができるわけじゃないからな」
「そんなこと庭師がどうしてわかる?」
「ポケットに馬券を入れて仕事をしているような娘だ。真面目とは言えないさ」
庭師が笑って、仕事に戻った。
「ありがとう。助かったよ」
俺は図書館を出て、競馬場へと向かった。
西の町は北部と南部で雰囲気がまるで違う。大通りを挟んで、図書館のある真面目な雰囲気の北部とエンターテイメントの文化が栄えている南部とはっきり分かれていた。
住民のファッションの着崩し方、酒場の量、商人の扱っている物が違う。どちらも通りにゴミが少なく清掃が行き届いていた。競馬場とコロシアムで公共の事業費が回っているのだろう。
南部ではほとんど僧侶風の服は見ない。司祭や牧師も、わざわざ僧侶服で来なくていい。
そんな中、競馬場ではひときわ大きな声で、馬を応援している女がいた。司書服を着崩し、金色の髪を振り乱している。
「行けぇええ! 走れぇえええ! 桜肉にしてやろうかぁあああ!?」
馬券を持つおっさんたちに交じって、若い女が眉間にしわを寄せて柵に片足を乗せて、警備員に注意されている。警備員の肩を掴んで叫んでいる様は、ギャンブル依存症のそれだ。
ドドドドドドッ!
馬群がゴール板を走り抜ける。
「なんだよ! クソッ! 5番鼻差か! 大穴だなんて、やってらんないよ!」
女の大きな声が響き渡り、馬券が宙を舞う。つられておっさんたちも馬券を捨てていた。
おっさんたちが去っていくなか、若い司書はその場に留まり、警備員にしおらしく頭を下げている。
警備員も先ほどまで叫んでいた女の変わりように、「注意」だけして去っていった。
それを確認した司書は、捨てられた馬券を拾い集めている。何かに使うのだろうか。
いや、違う。この司書が、開かずの間を開けたクリエだとしたら、全ての行動に意味があるのかもしれない。
俺は馬券を拾うのを手伝った。
「ほら」
「え? ありがとう」
両手いっぱいのハズレ馬券を持った司書は俺を見て、呆けた顔をしていた。
「あんたがクリエか?」
「私のことを知ってるの?」
やはり、この司書がクリエだった。
「開かずの間を開けた司書だろう。探していたんだ」
「そう。でもちょっと待って、おじさんたちが戻ってくる前にずらかろう」
「ん? どういうことだ?」
『1着8番』
掲示板に貼られた6レース目の順位表が出ていた。地球のようにカメラもないのだ。混戦だったから、見えている者の声が大きければ、信じてしまうのかもしれない。
クリエが大声で叫んだ「5番」が1着だと思ったおっさんたちは当たり馬券を捨ててしまっただろう。
「おっさんたちを騙したのか?」
「私は運営じゃないから騙せないよ。思ったことを言っただけ。さ、早く行かないと……」
クリエの逃げ足は速かった。俺もスキルを取っているので、遅れは取らない。
とっとと馬券を換金して、町の北にあるカフェ兼バーに向かった。
「私は馬券を買ったことがないの。八百長もしてない。ただ、捨てた馬券を拾って換金しているだけ。騒いでいるのが面白くて、私も声を上げているだけよ」
「なんだ? 饒舌だな。悪いことをしている自覚はあるのか」
クリエはお茶も頼まず、言い訳を始めた。
「俺は賭けちゃいないし、結果が出るまで馬券を放り投げたりしないタイプのおっさんだ。それに今は金に困っていない」
「そうなの? じゃあ、このジャンボボロネーゼを食べていい?」
「いいぞ。デザートもつけていい」
「……!?」
クリエは頭の回転が速く、俺がどういった職業の者なのか窺っているらしい。
店員を呼んで、お茶にパスタ、食後のデザートまで頼んだ。
「俺は遊び人だ。冒険者のようなこともやっていたが、異能の者がこの町にいるって聞いてやってきたんだ?」
「異能? それって私のこと?」
「たぶんな。飯を奢るから、どうやって開かずの間を開けたんだ?」
「ん~、血筋かな」
適当なことを言っているのはわかる。
「本に血でも垂らしたのか?」
「それで開くなら苦労しないよ」
「説明が難しい。このカップを見てて」
クリエがお茶のカップにミルクを入れて、かき混ぜ始めた。
「ここに砂糖を入れるでしょ」
「うん」
角砂糖を入れていた。一つ目だけ本当に入れて、後は入れたふりをして壺に戻していた。
「ここまで入れれば、とても甘いお茶ができるでしょ?」
「できない。初めの一つしか砂糖を入れていないだろ」
簡単な手品だ。手先が器用なことはわかった。
「遊び人のおじさんには向いてなかったか」
そう笑ってクリエはお茶を口に運んだ。
「うわっ! あっつい!」
思わず、冷たい水が入ったコップを渡してやる。
「ありがと」
お茶には湯気すら立っていない。
クリエはお茶も水もごくごくと喉を鳴らして飲んでいた。騙されたらしい。
「つまらない嘘だな」
「そう。私が使うのは、こういうものすごく単純な幻惑魔法だけ。でも、それが魔物化した本まで騙せたの」
「その幻惑魔法っていうのが開かずの間を開けた方法か?」
クリエは頷いて、大皿に乗ったパスタを一人で平らげていた。
デザートまで食べたあと、もう一度お茶を頼む。
「図書館では本が魔物化するのか?」
「ええ、昔は活版印刷がなかったでしょ。手書きで模写した本には、思いがこもってしまうことがある。そこに魔法陣なんか書いて魔力が溜まっていたら、本が魔物化しちゃうのよ」
「なるほど物体じゃなくて、魔物だったから幻惑魔法に引っかかったと……」
「そう。そもそも開かずの間の入り口すら見つかってなかったんだけど、私が見つけちゃったから幹部たちは大慌て。冒険者をやっているなら、仕事にありつけるかもよ。あの部屋、今は本の魔物だらけだから」
「それにはあまり興味がない。それより幻惑魔法について教えてくれないか?」
「いいよ。意識ある物の不安をかき立てたり、頭に血を上らせるような魔法ね。競馬場でも使っていたけど、気づかなかったでしょ」
「気づかなかった」
「上手い幻惑魔術師は、誰にも気づかせずに大衆の心理を操るの」
「クリエは、その幻惑魔法を練習のために競馬場に通っているのか?」
「それもある。ロザンには利かなかったみたいだけど。不安が一切ないの?」
「不安がないってことはないぞ。図書館で俺には魔力がないことがわかった。でも、目標は賢者になることなんだぜ」
クリエは鼻で笑っていた。
「笑ったな」
「ロザンだって笑ってるじゃない? でもロザンに幻惑魔法が利きにくいことはわかったわ。魔力ってものすごく感情に左右されるものなの。だから、魔力がない人には利きにくいと思う」
「残念だな。幻惑魔法で賢者になる夢でも見させてくれれば、よかったのに」
「夢なら無料だもんね」
「そう。無料より高い物はないな。こっちはそれに人生賭けちゃってるから」
「賢者ねぇ。なりたいとも思ったことないな」
「自分で名乗れば、なれるような称号だといいんだけど。図書館に賢者になれる本とかないのか?」
「賢者になれる本はないけど、賢者が書いた本はあったはずよ」
「え? そうなのか?」
「うん。しかも、開かずの間だった最古の図書室に」
「本当か!?」
「ええ」
お茶を飲んで、ようやく俺の頭も回り始めた。
「一般公開は数年先よ」
「大丈夫だ。俺は遊び人でも冒険者の端くれだから」
西の町にも冒険者ギルドはある。
もちろん掲示板には図書館の依頼書もあるが、ほとんどが図書整理の手伝いばかり。唯一、夜中の警備の仕事があったので、それを請けることに。
そもそも朝起きるのが下手な自分からすると、ぴったりな依頼だ。
「ということで、夜中の警備をすることになった。クリエは最古の図書室までのルートを確保してくれるか?」
「どうして?」
「最古の図書室に行かないのか? 開けただけで満足しているとでもいうのか?」
「だから何度も言うけど、本の魔物が棲みついているのよ。ケガをしたらどうするの?」
「回復薬も薬草もあるだろう。何を言ってるんだ? 一緒に賢者の書いた本を探さないか?」
「興味ないわ。だいたい図書館内の魔物の討伐なんて司書の戦闘部隊に任せるべきよ」
「そんな部隊があるのか? そういう部隊があるなら、早く言ってくれ。とっとと情報を聞き出しに行こう」
俺は図書館へと向かった。クリエの動きは緩慢だ。飯を食べた後だから眠いのだろう。気持ちはわからなくない。
一旦、宿に戻って、いくつかの賄賂袋を用意。投げる用のナイフを懐にしまい、図書館へと向かった。
「クリエさん! あなたどこに行っていたの!?」
図書館に入るなり、クリエが怒られた。
「そのぅ……」
「競馬場で幻惑魔法の訓練を実施していましたよ。相当な手練れです。彼女を警備に加えられたら、百人力ですね」
「あなたはどなた?」
「あ、失礼。冒険者ギルドから依頼を請けて参りました。ロザンです。夜間の警備を担当させていただくのですが、いくつか質問をしてもよろしいですか?」
袖の下に賄賂袋をねじ込みながら、聞いてみた。
「あら、冒険者の方? 質問とは何でしょう?」
俺が、クリエの上司に対応している間に、クリエはどこかへと逃げていった。
「盗賊等の対処法は心得ているのですが、図書館には本の魔物がいるとか? なかなか珍しい魔物でして、対処法を教えていただきたいのですが、よろしいでしょうか。まさか火器など使って火事にでもなったら大変な事態になりかねません」
滞りなく一息でしゃべると、クリエの上司も大きく頷いていた。
「確かにその通りです。実は、この図書館にも戦闘部隊という者たちがいます。無論、魔物は昼夜問わず現れますから、是非とも情報を共有した方がよろしいかと思います。どうぞ、こちらに」
クリエの上司はいつの間にか、俺を信用してくれたのか、戦闘部隊の詰め所へと案内してくれた。お金は大事に使いたいと思う反面、目的のためなら手段を選んでいられない自分がいる。
「本の魔物だと? なぜそれを知っている?」
本棚を整理している司書の服とはまた別の装具のようなものを身にまとった集団が、図書館の地図を広げて会議をしているところだった。
「図書館であれば、古い本ほど人の思いが詰まっていますから」
クリエの受け売りをそのまま言う。
「冒険者なのに、意外に調べているな」
「ダンジョンを探索する冒険者が敵を知らないということは死に直結します」
ありふれた台詞もいくらでも出てくる。こちらは人生がかかっている。
「そうか。だが、教えられることはあまりない。本が襲ってくるというだけだ」
「どのような形状で、どう動くかなど教えてもらえませんか?」
「本だから開いて閉じることが基本だ。あと目が付いていたり、牙が付いていたりすることもある。基本的に、空中を飛び回り、本としての機能は失われていて、古代語で書かれていても文法は無茶苦茶で、大したことは書いていない」
「動きを封じてしまえばいいと言うことですか?」
「その通りだ。だが、魔法を放ってくる」
魔法ね。コロシアムで見たが、魔法と言っても火や氷の礫を放ってくるだけだろう。
幻惑魔法でも放ってきて、意識を操られたりするのか。
「革の表紙の本が多いから、最古の図書室ではよほどの火力でなければ燃え広がることはない」
現象を飛ばしてくるだけなら、ナイフで刺せると思う。
「だが、最古の図書室には、まだ立ち入り禁止だ。あくまでも我々、司書戦闘部隊の管轄だ。もしも他の場所で出た場合、対処してもらうだけで、冒険者たちに協力してもらうのは、よほどの緊急事態が起きた時のみだ」
「承知しました」
そう返して、部屋を出た。
「よほどの緊急事態を起こさないといけなくなったな」
簡単なことだ。
こういうとき、供給を断つのが正攻法だが、排出を止めた方が早い。
つまり、どこの世界でもトイレを詰まらせれば、緊急事態になる。
図書館の水洗トイレに切り刻んだ頭陀袋を突っ込んで詰まらせてから、俺は宿に帰って一眠り。夕方頃冒険者ギルドまで出かけていって、図書館からの依頼を受ける。
「緊急依頼だ。図書館の警備を一晩頼みたいそうだが、誰かやらないか」
冒険者ギルドの職員が、酒を飲んでいる冒険者たちに声をかけた。
「俺が行くよ。酒も飲んでない」
「おう。隣町から来た冒険者だな。シーフか。まぁ、警備だけなら誰でもいい」
トントン拍子に俺は図書館の警備を請け負い、依頼を請けた冒険者たちと図書館へ。
「ロザン、本当に来たんだね」
司書のクエリが驚いていた。昼間サボっていたから、夜中の業務に回されたのだろう。
警備を仕切る司書戦闘部隊は元開かずの間だった図書室で、ほんの魔物の対処をしているため、今夜に限り、冒険者たちが警備をする事になったと司書長が説明した。
「図書館の周辺警備だ。時間制で巡回をしてくれればいいです」
「了解」
俺は休憩をしながら巡回すると仲間の冒険者たちに伝え、薬草と回復薬を持って、夜の図書館を散策。クリエが付いてきた。
「トイレを詰まらせたのは、ロザン?」
「そう。クリエ、幻惑魔術を教えてくれ」
「別にいいけど、魔力がないから使えないんでしょ?」
「俺が使うわけじゃない。クリエがどういう魔法を使えるのか教えてくれるだけでいい」
「何かの相手をするつもり?」
「そうだな。あの開かずの図書室、入口はあそこだけじゃないだろ?」
「そうなの?」
「たぶんな。図書館の端っこにある部屋なら、窓からも入れるけど、あの部屋はど真ん中にある。歴史ある図書館なら、壁を突き破って開けようとしたものもいただろうし、天井からこじ開けようとした者もいただろう? 侵入経路はいくつもあるはずなのに、長年開けられなかった。つまり、誰かが侵入者を管理していたってことじゃないか?」
「そんな司書は図書館にいないよ。皆、いい娘ちゃんたちだから」
「だからこそ化けやすいんだ。俺が人に化けられる魔物なら、図書館を狙う。しかも俺の機器察知スキルで見ると、ずっと二階の本棚の一部が赤く光っているんだ」
俺たちは階段を上り、ちょうど開かずの間の真上に来ていた。
「幻惑魔法を解除できるか?」
「できるけど……」
パンッ!
クリエは手を合わせて、呪文を唱えた。次の瞬間、魔法陣の書かれた本の背表紙が、剥がれ落ちた。
「この本が怪しいってこと?」
「そういうことだ。マスクか手ぬぐいをしておいたほうがいい。爆発はしないだろうけど、毒を使ってくるかもしれないから」
機器探知スキルで真っ赤になっている本の背表紙を引き抜いてみると、周辺から紫色の煙が発生した。
「ヤバい! 逃げるぞ!」
「どうしたの!? 本を戻してもダメ?」
「ダメだ。睡眠系の毒か?」
とっとと階段を降りて、外に出た。
二階だけが毒の煙が出ているのかと思ったら、図書館全体で毒煙が出ている。
「避難しろー!」
呼びかけてみたが、今は夜なので本来は誰もいない。いるとすれば、司書戦闘部隊と本の魔物ぐらいだ。俺たち冒険者も中には入っていない。昼間働いている司書たちは別館で眠っている。
「これ、本に眠り薬が付着するんじゃないか?」
「たぶん、明日は休館日にして、丁寧に布で拭く作業だ。最悪だよ」
クリエは頭を抱えていた。
「とりあえず、毒が収まったら、戦闘部隊を助けに行こう。ついでに、こんな罠を仕掛けた犯人を見つけたら捕縛しないとな」
「いると思う?」
「わからん。でも、自分が守ってきた部屋に誰にも侵入されたくはない」
「もしかしたら、なんかお宝があるのかもよ」
「おっ。目が金貨になってる」
さっきまで落ち込んでいたクリエは、テンションが上っていた。わかりやすくていい。
煙が出なくなった頃を見計らって、再び図書館内に侵入。警報が鳴りっぱなしだが、器にしている場合ではない。
開かずの図書室に入ると、戦闘部隊の司書たちが倒れていた。本の魔物も床に散らばっている。
司書たちを外に放り投げて、本の魔物をナイフで一突き。目の前にあった魔物から順番に魔石を取り出していった。本の魔物というよりも、本に化けている魔物といったほうがいい。思念が強すぎて、紙も革表紙も融合した魔物になってしまったようだ。復元も叶わないだろう。
「ロザン……、司書長に角が生えている!」
「ああ、そいつが犯人だな」
司書長と呼ばれていた女性の額に角が生えて、肌の色が青白く変色していた。着ていた服を破いて縛り上げておいた。人の姿に戻っても逃げづらいだろう。
「ぐ……、なんだ? どうなってる!?」
司書長に化けていた魔物が起き上がって、俺達を見上げた。
「すまん。睡眠毒の罠を起動させたんだ」
「なんだ? それは!?」
「いや、二階の本に隠していただろ?」
「何を言っている。貴様ら、こんなことをしてただで済むと思うな!」
「え!?」
どういうことだ? 罠を仕掛けたのは、この魔物じゃないのか?
戸惑っている間に司書長に化けていた魔物は、服を自ら破り捨て、翼が生えて、意思のような皮膚に様変わり。見る間にガーゴイルになっていった。
「焚書は大罪、文化を殺し、文明を焼き滅ぼす。罪の深さを知れ!」
ガーゴイルが腕を振り上げた。
俺の危機察知スキルは早鐘を鳴らしていた。
ガァアアア!
ガーゴイルが誰もいない壁に向けて腕を振り下ろす。
「今のうちに!」
クリエの声でようやく俺はガーゴイルが幻惑魔法にかかっている事に気づいた。本棚が壊れ、本が散乱している。こんなところに一秒だっていてはいけない。
部屋から出て、外に避難。
ガーゴイルが追いかけてきたが、外に出た途端。呪いでも解けたのか、司書長の姿に戻り、倒れてしまった。
「なんだと思う?」
「わからない。呪いだとしたら、かなり強力なんじゃないかな?」
「とりあえず、捕縛しておこう」
破れた服を着せて、腕を縛っておいた。
「な……、なにがあった?」
ようやく起き出した戦闘部隊の司書に、クリエが説明していた。俺も集まってきた冒険者たちに説明をする。もちろん、すべて司書長に罪は被ってもらう。その点において、なぜか俺とクリエは、示し合わせたように同じことを言っていた。
「司書長がガーゴイルに体を乗っ取られたか、もしくは呪われて、図書館全体に睡眠系の毒が撒かれました」
「毒が収まったのを見計らって、戦闘部隊の司書たちを救出。ガーゴイルが暴れたため、捕縛したところです」
間違ってはいない。
一旦、俺は冒険者ギルドに報告しに戻り、図書館を離れた。
朝方になっていたが、すでに町は図書館で何があったのかと噂が立ち始めていた。
俺と、街の人達には情報の格差がある。おそらくここで俺は何かをやるべきなのだろう。図書館で金貨よりも価値が高いもの……。答えはすぐに出た。
「本は知識と経験か……」
禁書の中になにか有益な情報があるのか。魔法書は俺が使えないだけで、価値はある。図書館の、どこに価値があるのか……。
考えながら坂道を下り、冒険者ギルドに状況を説明。職員も慌てて、ガーゴイルについての資料を出してきた。
「図書館って随分、すごい場所なんだな」
「もちろんです。魔法から、国の歴史、各学問に魔物の研究まであらゆることが体系化されて保管されていますよ」
「そうだよね……。この世界における膨大な知識の編纂だよね。経験を書いている?」
「そういう本もありますね」
「この世界における経験値って……」
「魔物を倒せば、その経験によって得られるというものですね」
「魔物を倒さないと経験値はもらえない?」
「そんなこともないですよ。スキルや技術の習得には訓練や特訓などがありますから」
「レベルは?」
「レベルも、そのはずです。同じ魔物を何体倒しても、新しい経験は得られないので経験値はどんどん下がっていくはずです」
「なるほど……。逆に新しい倒し方を見つけた場合は、もしかして経験値は多く貰えたりする?」
「ああ、たぶん、そうなんじゃないですかね?」
「それって、そんな研究している人はいない?」
「そうですね」
「んん~?」
レベルやスキルがある世界で、それほど研究されていないということがあり得るのか。
そんな経験値ばかり考えるような物好きはいないということか。
「普通は剣術や魔法の研究に一生を費やすということ?」
「そうですね。剣道、魔道と道になり得るものに、人は進むのでは?」
経験値、それ自体は道になりにくいということか。
とはいえ、裏を返せば、そんな経験を誰も踏んでいないということは可能性があるということでもある。遊び人が賢者になるには、それなりに人とは違うことをしないといけない。
「魔力を使わずに、魔法を使う方法はありますか?」
「魔石を使えば、いいんですよ。一応、結構、魔石は結構高価なので、もったいないので誰もそんなことはしませんが、召喚術や死霊術では使うと聞いたことがあります」
「なるほど……」
俺が求めていた道が見えてきた。
「それより、図書館の本の魔物なんですけど……」
「ああ、ページが癒着というか、融合してしまっていて、文字が文字として読めるような状態ではありませんでしたね」
「やはり、魔力と怨念が結びつくと魔物化するようですね」
地図が必要だな。歴史も知る必要がある。死霊術の基礎を学べる本さえあれば……。
「ええ。じゃあ、魔石の鑑定をお願いします。図書館に戻ります」
「お願いします」
俺は冒険者ギルドの井戸で顔を洗ってから、図書館へと戻った。考えるにはいい距離だ。必要なのは、基礎死霊術、基礎召喚術、ダンジョン学あたりの本が読めればいいが、ないかもしれない。
「あ、戻ってきた!」
クリエが坂の上から声をかけてきた。
「なにかあったか?」
「司書長が起きて、自白した」
「ああ、そうか……。睡眠毒の煙は?」
「それについては知らなかったみたい。そもそも罠を仕掛けたのは私たちでもないしね」
「確かに……。本を拭くんだろ? 手伝うよ」
「いいの!?」
「ああ、読みたい本がいくつかあるんだけど……」
「何? 一応、私も司書の端くれだから手伝おうか?」
「死霊術の本ってない?」
「ああ、ないと思う。禁書にもないと思うよ。死霊術は本当に危ないから、教会で関連する物は燃やしちゃう事が多い」
「そうか。無闇に生き返らせちゃ困るもんな。召喚術は?」
「あるよ。剣を出したり、狼の霊体を出すくらいの魔法書ならね」
「歴史書と地図を見て、現地に行くか。弱い魔物が載っている本はある?」
「それは、たくさんある」
俺達は毒で汚れた本を拭きながら、遊び人でも倒せる弱い魔物をリストアップしていった。
「意味があるの?」
「あるよ。レベル上げの研究でね」
「なにそれ」
「いろんな倒し方をしてみようと思って。豆腐の角で頭をぶつけるようなことさ」
「豆腐?」
「豆の料理だ。この世界にはないか……」
「わからない。私は、この町しか、ほとんど知らないから」
クリエは戦争孤児で、記憶もない頃に連れてこられて教会で文字を学び、司書になったのだとか。
「賭け事が好きなのは牧師の影響ね」
「へぇ」
神を信仰していても、賭け事は好きな人は多い。
だらだら駄弁りながら、本を拭いていたら、戦闘部隊の司書がやってきた。
「助けてもらってありがとう」
「いえ、別に。普通のことをしたまでです」
「眠り毒の件なんだけどな、もしかしたら、この図書館を建てた賢者が仕掛けた古い罠かもしれない。禁書自体が魔物化することを見越して、仕掛けたかも知れないと……」
「ああ、なるほど……。この図書館は賢者が建てたんですか?」
「精霊魔法から、まじない、呪術、死霊術などの禁術まで修めた賢者様さ」
「よくそんなに術を」
「精霊に愛されて、魔力が多かったのだろう」
「そうっすか……」
「いや、失礼。とにかく、戦闘部隊司書一同、感謝している」
「全然、気にしないでください」
戦闘部隊の司書は、颯爽と詰め所に戻っていった。
「毒って、そんなに長持ちするのか?」
「さあ?」
「賢者は変なことを考えるんだなぁ。面白いけど……」
異能。他者とは全く別の視点で、先を見通し、意識していないことを思考する。もしかして遊び人が賢者になるのは必然なのか。
「レベル上げの方法をやっぱり変えるか……」
「なに? レベルを上げたかったの?」
「ああ、周りから遊び人と言われても、それが一番賢者に近い気がする」
「そうかな……」
「いろいろ知っていたほうが、確かにエンターテイメントにはなるか。クリエ、幻惑魔法を教えてくれ」
「いいけど、ロザンは魔力ないんでしょ?」
「ない。でも練習していたら、魔力が成長するかも知れないだろ?」
「いや、大抵そんなことはないよ。魔法を使いたいなら、魔石を集めることね」
「そうか。やっぱり魔法は才能か」
俺は笑ってしまった。才能がある者たちがやっていないことができるはずだ。
「落ち込まないの?」
「ああ、魔力なんてなくても賢者にはなれるさ」
「それは無理じゃない?」
「誰かやったことはあるのか? 夢すら見ていないんじゃないか?」
「それは、そうかも知れないけど……」
「とりあえず、古い戦場跡はないか。もしくは恨みが集まってそうな人が集まるところ……。図書館もそうだな」
「戦場跡は、すぐ北の方にあるよ。図書館の恨みは知らない。皆、知識欲はすごいけど、人に教えるのが当たり前だから、恨むような人いるかな?」
「いるさ。人が集まれば差ができる。しかも、自由なようでいて、皆、それぞれ仕事をしないとクリエみたいになってしまうと思っているからな」
「え? なに? 私って、バカにされているの?」
「そりゃそうさ。司書なのに、本も読まずに競馬場にばかり入り浸ってるからな」
「現実から学ぶ知識のほうが多い可能性について気づいていないってこと?」
「学びに関して、自分が納得することよりも知識として記憶していることのほうが比重が大きい人たちは、意味がわからないのだろう」
「ロザンは、どっちもわかっているの?」
「俺は遊び人だからな。知識も経験も、全部遊びにする。ビブリオバトルでもする?」
「なにそれ?」
その後、一週間かけて本を拭きながら、クリエにビブリオバトルを教えた。対決が生まれれば、それだけ人の感情が動き出す。賢者が、図書館全体に睡眠毒の罠を仕掛けた理由が少しわかった気がした。
「恨みも凝り固まると魔物が出てきてしまう。リセットしたくなるのか……」




