91:ペトラ16歳の冬
今年の冬はいつもとは少し違った様子です。
ベリーが神託した通り、八月は冷夏でした。
夏前の雨の季節がなかなか終わらず、八月が来てもアスラダ皇国の大部分に日照不足が起こりました。夏が来ぬままに秋が来て、冬の今、皇国中に大寒波が押し寄せているとのこと。
わたくしたちのラズーは『天空石』のお陰で例年通りの気候ですが、ほかの地域は本当に厳しい寒さだそうです。
これらの情報は千里眼のイライジャ大神官からもたらされたもので、現在、獣調教のセザール大神官が寒さに強い動物を使って、各地域に不足している薪などを輸送しているそうです。
肝心の食料の方ですが、昨年から用意していた備蓄分と、今年のマルブランでの大豊作、そしてラズーの例年通りの収穫量も合わさったお陰で、なんとか春先までの食料は確保出来たそうです。
各地の神殿も炊き出しを行っているそうで、貧しい方々も食事にありつけているとのこと。
貧民街の皆様は『浄化石』を見に来た観光客相手にだいぶん荒稼ぎされたようで、冬の間の薪を買い込むことが出来たそうです。これはレオから聞きました。マリリンさん達が今日もたくましく生きていると思うと、とても嬉しいですわ。
各地の神殿に食料を回したので、大神殿の食事は現在とても質素です。
今までは白パンに色んな具材を挟んだものだったのが、スライスされた黒パンに代わり、スープに入っている野菜やお肉、魚の量が減りました。
わたくし、生まれ変わってからずっと食事に苦労してこなかったので、黒パンを食べるのは初めてです。前世のライ麦パンと同類かなと思ったのですが、もっと雑味がすごくて酸っぱかったです。あと固くてみっちりした感じでした。
ベリーはわたくしと違い、平気な様子で黒パンを食べていましたが。彼女も大神殿暮らしでひもじい思いをしたことのない人間ですのに、すごいですわ。
ベリー曰く、「黒パンも平気だよ。あと、レオがとにかく食って筋肉つけろって言うから、なんでも食べてる」だそうです。
わたくしはそれを聞いて、『ベリーが極度の寒がりだから、筋肉量を増やして基礎体温をあげた方がいいと、レオがアドバイスしてくれたのかしら』と、その時は納得しました。
でも、今にして考えると、すごくアヤシイ感じです。
いつもとは違う冬。それはアスラダ皇国全体のこともそうなのですけど、……ベリーとレオがどうやらわたくしに内緒で、二人きりの逢瀬を繰り返しているみたいなのです。
冬の間暇なわたくしは、最近では図書館で過ごすことが増えてきました。
昔はベリーと一緒に過ごしていれば良かったのですけど、今のベリーは神託の能力者としてあれこれ働いていますからね。会議に出たり、鉱山へアスラー・クリスタルを見に行ったり、領主館の方々に面会を申し込まれたり。
そんなわけで図書館で一人読書をして過ごしているのですが、たまに窓から、ベリーとレオが二人で庭園の奥へ移動していく姿が見えたりするのです。
やっぱりあの二人、付き合っているのでしょうか……。
それならそうと、報告なり相談なりして欲しい気持ちでいっぱいです。
アンジー様に『勝手な憶測でベリーちゃんとレオ君の関係を応援しない』と釘を刺されているため、わたくしから話題を振るのも躊躇われます。
もし二人が本当に恋人同士になったのなら、ベリーに親友として「おめでとう」くらい言いたいですし、レオには「ベリーの初キスはわたくしなんですよ」って、からかって差し上げたいです。
いっそ二人の後をつけてみようか、という気持ちも湧いたのですが、レオと逢瀬をしたあとのベリーの様子が、妙に汗だくなんですよね……。顔も赤いですし。
覗きに行って、もし本当に親友の濡れ場を見てしまったらとても気まずいので、断念しました。
ベリーもあと半年もすれば十七歳ですものねぇ……。
この世界の女性の結婚適齢期は早めで、十六~二十二歳くらいまでに結婚しなければ行き遅れ扱いです。そう考えるとベリーも早すぎるわけではないのですよね。
わたくしもこの冬で十六歳になりました。本当なら貴族学園に入学する年齢です。
乙女ゲーム『きみとハーデンベルギアの恋を』は学園恋愛が中心でした。
攻略対象者は五人で、一学年上のグレイソン皇太子殿下のほかに、同級生が二人、あとは学園外ですが義兄アーヴィンお兄様と、一つ年下の攻略対象者がいた気がします。
そこでのわたくしはヒロインの意地悪な義姉で、皇太子殿下に重い愛情を向ける婚約者というテンプレ悪役令嬢です。
公爵家では使用人に命じてシャルロッテの食事を残飯みたいなものにさせたり、彼女に似合わないドレスや装飾品を用意させたり、時に自ら扇子で彼女をぶつシーンもありました。
それを父から咎められると、『わたくしに逆らったら、せっかく皇室に嫁いでもハクスリー公爵家は優遇しませんわよ』と言って、皇太子殿下の婚約者という権力を思う存分使っていました。
アーヴィンお兄様や義母には、
『所詮、分家からの養子の分際で煩いですわ。わたくしが殿下の男児を二人以上生んだら、我が子にハクスリー公爵家を与えるつもりですので、それまでの僅かな間、公爵家の甘い蜜を啜っていなさい』
やら、
『売女の分際で、公爵夫人ぶらないでちょうだい。わたくしのお母様が生きてさえいてくだされば、あなたのような薄汚れた女がこの家の敷居を跨ぐこともありませんでしたのに』
などと、全方位に喧嘩を売っているキャラでした。ハリネズミかしら?
貴族学園での悪役令嬢ペトラは、取り巻きを従えてシャルロッテをいじめまくります。ヒロインの私物を壊したり、人前で彼女に暴言を吐いたり、家族間のしつけと言い張って、やはり扇子でぶちます。
それでシャルロッテが学園の中庭で一人泣いていると、グレイソン皇太子殿下と初めて出会うのです。悪役令嬢ペトラはシャルロッテの美しさを理解していたので、今まで自分の婚約者に近付かせなかったわけです。
最初のうち、グレイソン皇太子殿下は自分の素性を隠してシャルロッテに接していました。いくら可憐な令嬢に見えても、悪役令嬢ペトラの妹です。シャルロッテにも性格に難があるのではと警戒していたのです。
けれどシャルロッテと接しているうちに、彼女の心の美しさを知り、気付いたときには後戻りできないほどに彼女に惹かれていました。
グレイソン皇太子殿下はそれまで悪役令嬢ペトラの重すぎる愛情に辟易していた分、シャルロッテの清らかさに癒されてしまったのです。
そして皇太子殿下が自分の本当の身分を明かしたときにはもう、シャルロッテの方も彼に恋に落ちたあとでした。
『ペトラお姉様の婚約者だと知っていたら、私はこんなにも心を打ち明けたりはしませんでした』
『黙っていて申し訳なかった、シャルロッテ』
『もう二度とグレイソン様と二人きりではお会いしません。次にお会いするときは、臣下としてです。さようなら』
『シャルロッテ……!』
始めてはいけない恋から逃げ出したシャルロッテですが、結局姉に皇太子殿下と二人きりで会ったことがバレてしまいます。そこからどんどん苛烈な制裁を加えられるようになりました。
最後の方ではテンプレらしく破落戸を雇って、シャルロッテを襲うように仕向けたのですが、影からシャルロッテを守っていた皇太子殿下に気付かれて未然に防がれました。
そして未来の皇太子妃が破落戸と繋がっていたということが問題になり、婚約破棄され、大神殿に幽閉が決まるのです。
グレイソン皇太子殿下はシャルロッテと婚約を結び、ハッピーエンドというシナリオです。
現在、シナリオをショートカットして大神殿でのホワイトな環境で暮らしているわたくしには、悪役令嬢生活はハードワーク過ぎて無理だなと思います。
后教育も受けて、家庭でも学園でもヒロインいじめて、取り巻きも従えて、婚約者のことも追いかけ回して、破落戸と関係を持つとか、分裂しなきゃ無理ですわ……。
しみじみ、大神殿に逃げてきて良かったです。
悪役令嬢ペトラが雇った破落戸は、79話で捕まった『ポール・チーニ』の連中です。すでにフラグが折れました。




