59:俺物語①(レオ視点)
「おいボーズ、もうすぐ海が見えてくるぞぉ。あそこが聖地ラズーだ」
「うわぁ~、すごいきれいっすね。結構栄えてるんすね、ラズーって」
「ああ。なにせ古くはここが都だったからなぁ」
ここから三つ前の町から荷馬車に乗せてくれた農家のオッサンが、俺に話しかけてくる。
オッサンはラズーに農産物を出荷するついでに俺を荷馬車に乗せてくれた、大層親切な人だ。失礼にならねぇようにと、俺は明るく答えた。
実際スゲーいい眺めだし、心から感嘆の溜め息が出る。
俺は荷馬車に摘まれた木箱の間から顔を出し、初めて見る青海原と、古い建造物が立ち並ぶラズーの街を見下ろした。
皇都よりも小さいけれど、南の地方特有の明るい色彩が街の至る所に見えて、スゲーきれいだ。
干された洗濯物の赤や青の染料は皇都じゃ見ねぇ明るさだし、家々の壁や屋根の色も黄色や緑とか、めちゃくちゃ派手だ。
こっからは人の姿なんて小さすぎて見えないけれど、住人の日に焼けた肌にああいう色がよく似合うんだろう。
そんな活気溢れる街並みを見ているだけで、胸が踊る。
新しい土地で暮らすわくわくでいっぱいだ。
不安なんてちっともない。
「ほら、ボーズ。あそこが大神殿、お前が働きたいって言ってた神殿騎士団があるところだぞ」
オッサンが指差した方向には、緑豊かな丘があった。
その頂上にとてつもなくデカイ白亜の神殿がある。
あそこに俺が挑むべき神殿騎士団があって、ーーーオジョーサマが暮らしているんだ。
「……オジョーサマ、ついに俺が来ましたよ」
そう小さく呟いたら、思わず笑みがこぼれてしまった。
まだ会えねーけど。
オジョーサマに会うには、やっぱ神殿騎士団に入団してからじゃねぇと。
貧民街で粋がってた俺とはもう違うってとこを、ちゃんと証明してからじゃねぇと、オジョーサマの前に顔出せねぇからな。
ま、六年も前に会ったきりの俺のことを、今でもオジョーサマが覚えてくださってる可能性は低いけど。
▽
六年前の俺は、貧民街を根城にするただのクソガキだった。
父親の顔も知らねぇ。一応母親は居たけれど、貧民街で娼婦の真似事をしていた人で、俺が六つの時には男を作って蒸発した。
それ以来、俺は貧民街の片隅で路上生活をしていた。
そこには俺と同じような境遇のガキが結構いたから、気付いたらそいつらの真似をして残飯を漁ってた。
八歳くらいまでは物乞いでも生きていけたけど、体がデカくなると善人受けしなくなってきたからやめた。
その代わり盗みもやるようになったし、殴り合いの喧嘩もするようになった。
時々使いっ走りの仕事を見つけて、駄賃をもらうような真っ当なこともやったけど、まぁ、そういうまともなことは殆どなかったな。
そのうち腕っぷしなら同世代のやつらに負けなしになってきて、舎弟が増えていった。
『黒獅子のレオ』なんて呼ばれるようになり、裏社会の連中からも「うちの組に入らねぇか?」なんて声をかけられるようになってきた。
どうせ貧民街にいるガキの末路なんてみんな同じ。
大人になる前に死ぬか、運良く生き延びてもまっとうな道はない。
男は盗みや暴力で生きていくか、女ならせいぜい娼婦だ。ゴミの掃き溜めで生きて、体も脳ミソも精神も腐って死んでいく。それだけのこと。
そんなふうに将来を諦めきっていたある日、俺は貧民街でオジョーサマを見かけた。
今思えば一目惚れだった。
オジョーサマは、あんなゴミ溜めで見かけることの出来るような人種ではなかった。
着てるもんも違えば、髪の艶から肌の状態、歩き方や仕草、漂ってくる香り、喋り方に至るまで、貧民街の人間とは違った。
俺は一度も食ったことがないけど、砂糖菓子とかクリームたっぷりのケーキだけで女の子を育てたら、こんな感じの女の子になるんじゃねぇのかって思うくらい、生まれ育ちが違った。
俺はそんなオジョーサマに、どうしても話しかけたかった。こっちを見ろやって思った。焦がれるような衝動だった。
だからオジョーサマが貧民街に治癒活動に来る度、俺はオジョーサマの前に顔を出した。
特に話す内容なんかなかったけど、とにかくオジョーサマの気を引きたかったから、舎弟たちと一緒に「貧民街はオジョーサマが来るような場所じゃねぇぞ!」って大声で叫びまくっていた。
今思い返すと、俺は相当アホである。
その台詞を真に受けてオジョーサマが貧民街に来なくなったら、もう二度と会えねぇだろうが。
でも、オジョーサマが来るような場所じゃねぇとは思っていた。俺の言葉は悪かったけど、心配してたのも本当だ。
オジョーサマはそんな俺の言葉などまるで響かないという顔で、治癒活動を続けていた。
一番最初にあの女帝マリリンがオジョーサマに落ちたのも悪かった。
昔は貧民街の元締めをしていた男の愛人だったという女帝マリリンは、未だに多くの人脈を持ち、貧民街でも『銀世代』と呼ばれる恐ろしいジジババたちを動かす力を持っていた。
『銀世代』の連中は、かつて義賊の真似事をしていたと聞く。
横領を働く役人の家に襲撃し、金目のものを奪ったり。貴族のご令嬢を拉致して売りさばこうとする奴隷オークションを爆破し、令嬢の家から謝礼金をせしめたり。偽金を作っていた組織を壊滅させて、国から多額の褒賞金を手に入れたりと、かなりやりたい放題やったらしい。
そんで、手に入れた大金を全部パァッと使い果たしたアホ共が、『銀世代』の連中である。
もうちょっと考えて使えよ。取っとけば老後の資金になっただろうが。
そんなわけで今でも貧民街のあばら屋暮らしをしている『銀世代』の連中に、女帝マリリンは声をかけ、オジョーサマの患者にさせた。
で、『銀世代』の連中もオジョーサマにころっと落ちた。
肩凝りやら膝の痛みやらが緩和して元気になった『銀世代』のジジババは、オジョーサマのために何かしたいと、ひそかに新聞社へ侵入した。
そんでオジョーサマの功績を称える号外を勝手に作って、街中にバラ撒きやがった。実に手際のいい老人共だぜ。
平民街や貴族街にも進出して、オジョーサマを称える噂を流しまくった犯人も『銀世代』の連中だ。そうじゃなきゃオジョーサマの話があんな短期間で街中に浸透するもんか。本当に恐ろしい。
どんどん、どんどん、オジョーサマが遠い人になる。
いや、最初から遠い人だとは知っていた。貴族の令嬢だってことは知っていたし、女帝マリリンから『ハクスリー公爵家』の長女だってことも教えてもらった。どうしたって俺なんかが触れていい少女じゃない。
そう頭ではわかってんのに、俺はどうしてもオジョーサマに近付きたかった。
オジョーサマが野菜の育て方を教えるとか言って、人を連れてきたときに参加したのも、もしかしたら今のクズな生き方を変えて真人間になれば、俺でもオジョーサマの側に行けっかなって、夢見ちまったからだ。
そんで、真人間になる第一歩、とか思って野菜を平民街に売りに行く途中で、俺は馬車事故に遭った。
事故の記憶はおぼろげだ。細切れにしか覚えてねぇ。
だけど、オジョーサマが助けに来てくれたことだけはちゃんと覚えている。
オジョーサマの治癒能力は温かくて、眩しくて、このまま死んだら天国に行けるんじゃねーかなって思うくらい心地良かった。
治癒が終わったあと、オジョーサマは俺の顔を覗き込んで泣いてくれた。
「あなたを……助けられて、嬉しいのです」
「ほんと、変なオジョーサマだなぁ」
もう、この人に何かを望むのはやめよう、と俺は思った。
オジョーサマが俺のことを見てくれなくてもいい。気に掛けてくれなくてもいい。
話しかけてもらえなくても、触れられなくてもいい。
こんなガキくせぇ欲求は全部放り投げて、ただただオジョーサマの為になることがしたい。この人を守りたい。
だってこんなに大好きになっちまったから。
その日は俺の人生ががらりと変わる、転換日だった。




