31:領主館へ行こう
ラズーの領主館に向かう日がやって来ました。
アンジー様と共に大神殿の馬車に乗り、騎乗した神殿騎士に守られながら出発します。
馬車の窓を覗くと、空模様はあいにくの曇りです。まだ雨粒は落ちては来ませんが、空気が生ぬるく、これからくる大雨を予想させます。
ラズーはアスラダ皇国の南に位置する海沿いの地域で、冬は雪があまり降らないほど気候が穏やかなのですが、夏から秋にかけて台風がやって来ます。
この天気では今夜には土砂降りになるかもしれません。
領主館から早く帰れたらいいのですけれど。
「アンジー様、今日は何時ごろ大神殿に帰ることが出来そうですか?」
なんだかいつもより気合いの入ったご様子のアンジー様にお尋ねしますと。
アンジー様は「フンスッ」と鼻息を吐き出しました。
「今日は領主様と戦って、ペトラちゃんを大神殿に早々にお帰ししますっ!」
「……今日は特別功労賞の授与と食事会ですよね? 戦闘の必要はありませんよね?」
戦闘の必要があったとして、アンジー様に勝てるのでしょうか?
「ドローレス曰く、領主様のご子息とペトラちゃんのお見合いが本当の目的だって!」
「あら、まぁ、そうでしたの……」
聖地ラズーを治めているのは、現皇帝陛下の弟君であらせられるパーシバル1世様です。
ご子息はお二人いらっしゃって、八歳の長男がパーシバル2世様、六歳の次男がパーシバル3世様だったはず。
……ひとつのご家庭に三人も『パーシバル』様がいらっしゃるのも大変ですわね。
このパーシバルご兄弟は、皇太子殿下のつぎに皇位継承権の高い方々なので、ハクスリー公爵家の直系であるわたくしと結婚することで、勢力を強めたいというお考えがあるのかもしれません。
せっかく大神殿まで逃げてきたというのに、貴族社会からの完全脱却はなかなか難しいようですわ。
「一応聞くけど、ペトラちゃんってお貴族様と結婚して大神殿をやめること、考えてるぅ~?」
「いいえ。まったくそのようなことは考えていませんわ」
「そっか、そっかぁ」
神官聖女には、結婚の自由が許されています。
大神殿にも既婚の方はたくさんいて、普段は神殿内で寝泊まりしていても、休暇になればそれぞれのご家庭に帰宅されています。
わたくしはまだ九歳なので、結婚について具体的なことはまったく考えていません。
けれど、既婚の方が休暇になると「家族の顔を見てくるわ」と嬉しそうに帰っていくのを見て、羨ましい気持ちになります。
たぶんわたくしは結婚がしたいというより、自分だけの家族がほしいのかもしれません。
現世の母はすでに亡く、前世の家族も記憶の中にしかいません。
シャルロッテやアーヴィンお従兄様とは手紙で連絡を取り合うくらいには溝が埋まりましたが、『わたくしだけの家族』とまでは思えません。
一緒にいると安心出来て、自分を取り繕わなくても良くて。相手に優しくしたいと心から思えて、相手から優しくされているとちゃんと信じられる。
そういう家族が出来るのなら、わたくしも結婚してみたいですわ。
ただ、そのお相手に貴族の方は想定していませんけれど。
「じゃあ、ペトラちゃんがお見合いを無理強いされないよう、あたしが防衛に務めましょう!」
「ありがとうございます、アンジー様」
そういえばアンジー様はご結婚は、と話の流れで口にしそうだった台詞を、わたくしは飲み込みました。
前世の世界と違い、結婚について聞いてもセクハラ扱いはされませんが、よく考えたら見た目はお若いアンジー様の実年齢が四十二歳だったことを思い出しました。
それに以前ラズーの街で飲み物を売っていた店主が、アンジーさんが独身であることをほのめかしていた記憶があります。
……わたくしから尋ねてはいけませんわね。
「おっ、そろそろ領主館が見えてくるよ~」
ラズーの市街地を抜けますと、遠くからもラズー領主館の高い石壁が見えてきました。
その向こうにある領主館は、かつてこの地が都であった頃に皇族が暮らしていたお城です。
現在の皇都にある城は豪華絢爛な造りをしていますが、ラズーの城は戦いに備えた造りをしていて、巨大な堀がありました。今ではただの美しい川のようです。
当時の建造物のすべてが残っているわけではありませんが、役人たちが働く領主館と、領主パーシバル一世様のご家族が暮らす居住部分は当時のままのようでした。
堀に掛けられた桟橋を渡り、門のところで守衛達が馬車の誘導をしてくれます。
誘導された場所で馬車から降りると、領主館の使用人がぴしりと立ってわたくしとアンジー様を待ち構えておりました。
「ようこそ、アンジー聖女様、ペトラ・ハクスリー見習い聖女様。領主パーシバル1世様が住居でお待ちです」
「え? 使用人さーん、今『住居』って言った? 『住居』って言ったよね? あたしたち、特別功労賞を授与されるって聞いて来たんだけど、ふつう、領主館の応接間とか執務室とかでしょ。今日の用事って公用じゃなくて私用なんですかぁ~?」
アンジー様、わたくしのためにめちゃくちゃ喧嘩腰になっておられますわ……。
「住居へご案内致します」
「いたいけな女の子を初っぱなから自宅に呼ぶ男って、がっつきすぎてると思うな~。使用人さんもそう思うでしょー?」
「パーシバル1世様のご命令ですので」
「まずは第三者の多いところで話し合おうよ。うちの娘を紹介するのはそれからでも遅くない。ジューキョはむり」
「ペトラ様はハクスリー公爵家のご令嬢だと伺っておりますが」
「ペトラちゃんは大神殿の娘なので、領主館の嫁にはやりません」
「あの、アンジー様、もう十分ですわ。それ以上はアンジー様が不敬罪になってしまわれますから……」
わたくしがアンジー様の腕にそっと手をかければ、「相手はまだ使用人だもん。相手に有利な陣地に引き込まれては、こちらの勝機が危ういぞっ」と険しい顔でおっしゃいました。
「いい、ペトラちゃん、お見合い戦争はすでに始まって……」
「ハーッハッハ! アンジー聖女、久しいな!」
アンジー様が使用人と火花を散らしている最中。
城の方からゾロゾロと、護衛やメイドを引き連れて歩く金髪のふくよかな男性が姿を現しました。
男性はお腹の辺りが特にふくよかで、ぽよんぽよんとしています。
金銀宝石の装飾が施された衣装が、未だはち切れていないのが不思議なくらいでした。
「うげぇ、領主様もう来ちゃったじゃーん!!」
アンジー様ががっくりと肩を落とします。
やはりあの御方が……という気持ちで、領主パーシバル1世様の華々しいご登場をわたくしは眺めました。




