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【書籍2巻&コミカライズ企画進行中】悪役令嬢ペトラの大神殿暮らし ~大親友の美少女が実は男の子で、皇室のご落胤だなんて聞いてません!~(WEB版)  作者: 三日月さんかく
第2章 ペトラ9歳と無口な美少女(本当は少年)

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28/121

27:いっしょに温泉



 職員のマシュリナさんにご相談して、乗馬のレッスンを受けることになりました。


 治癒棟でのお仕事が終わったあとに週三回ほど、大神殿の敷地内にある馬場に向かい、飼育員さんに乗馬を教わります。


 最初は馬との接し方を教わり、飼育員さんがゆっくりと手綱を引いてくれる馬にただ跨がって馬場を一周する、というような所から始まりました。馬に乗ってみるとものすごく視界が高くて、馬車とはまるで違う景色が広がったことが面白かったです。


 ひとりで馬に乗れるようになるまではまだまだたくさん練習が必要ですけれど、いつか颯爽と遠乗りに出掛ける日が来ることを夢見て頑張ろうと思いますわ。






「それで、ベリーはなにをしているのですか?」


 馬と親しくなるために、わたくしは飼育員さんから渡された木桶を持って、厩舎のなかに入りました。

 木桶の中にはニンジンがたくさん入っています。馬のおやつ用です。

 子供が持つには少々重たいですが、ニンジンを落としてばらまかないように慎重に持って歩いていました。


 そんなわたくしの前に現れたのは、ベリーです。


 以前はわたくしが庭園に探しに行かなければ会えない存在でしたけれど、一ヶ月ほど前の休日の夜にわたくしの部屋へ突撃してきた以来、彼女はこうして自らわたくしの前に姿を現すようになりました。


 ベリーはいつも通り見習い聖女の白いワンピースを着て、木苺色の長い髪を腰まで流しています。

 わたくしが差し上げた青紫色の髪紐は、彼女の左手首にぐるぐると巻かれていて、もはや腕飾り扱いのようです。ベリー本人が気に入っているのなら、それで良いですけれど。


 彼女は絶世の美貌になんの感情も乗せず、ただ馬房の前に立っていました。それだけなのに絵になる少女です。


 馬房の前にある木の棒にベリーが手をかければ、なかに居る馬が嬉しそうに彼女の手に鼻を寄せます。

 ベリーもそっと手を出し、栗毛におおわれた首筋をゆっくりと撫でました。


「……ずいぶん、あなたになついているのですね」


 ちょっと面白くない気持ちで、わたくしは唇を尖らせました。

 わたくしはまだ馬との信頼関係が出来ていないので、馬はあんなふうに甘えた仕草を見せてはくれません。

 なのでベリーがとても羨ましかったのです。


「馬と仲良くなるコツとか、ありますか?」


 ベリーがどんなふうに馬と仲良くなったのか知りたくて、尋ねてみます。


 でもこの子、ずっと大神殿で暮らしているので、長年馬場に通っていた可能性もあります。

 時間をかけて築いた信頼関係には、ちょっと太刀打ちできそうにはないですね……。


「……?」


 わたくしの質問に、ベリーは首を傾げました。


 そしてフルフルと首を横に振ります。


「……もしかして馬場に来たのは初めてですの?」

「…………」


 コクリ、とベリーが頷きました。


 どうやら馬に好かれる天性の才能をお持ちのようです。

 わたくしは溜め息を吐きました。


「まったく参考になりませんわねぇ」


 地道に頑張るしか道はありませんわ。

 わたくしはニンジンの桶を抱え直し、一番奥の馬房から順に馬におやつを配ろうと足を踏み出しました。


 ぐにゅっ。


 薄い革靴の裏で、泥のかたまりの様なものを踏んだ感触がした瞬間。

 ぐるんと視界が回って、厩舎の天井が目の前に広がりましたーーーわたくしは桶を両腕で抱えたまま、受け身を取ることも出来ずに転倒したのです。


「いっ、たぁぁ……っ!」


 仰向けに転んだので、後頭部をしたたかに地面に打ち付けました。

 あまりの痛さに自分で自分を治癒することも思い付かず、頭を抱えてもだえてしまいます。


 ぽてぽて、と小走りで近付いてくるベリーの足音が聞こえてきましたが、わたくしは「ううううぅぅぅ~……」と涙目で唸ったままでした。


「……《Heal》」


 ベリーの女の子にしては低い声がぼそりと聞こえ、彼女の手から治癒の光がパッと輝きました。

 おかげですぐに痛みはなくなったのですが、わたくしは地面に転がったまま唖然とベリーを見上げました。


「も、もしかしてベリー、特殊能力二個持ちなんですの……? 神託だけではなく、治癒も……?」

「…………」


 ベリーは無言のまま、コクリと頷きました。


 神様は、いったいどれだけこの少女を愛していると言うのでしょうか。

 絶世の美貌に神託の特殊能力、初見の馬にもなつかれ、そのうえ治癒能力持ち。

 この世界のヒロインであるシャルロッテよりも寵愛されているんじゃないかしら、という程のチートっぷりですわ。

 わたくしなんて悪役令嬢設定の治癒能力を根性でレベル上げしましたのに、恵まれている子は本当に恵まれているのですね……。


 わたくしは転倒以上の衝撃を心に受けつつ、「……とにかく治癒していただき、感謝いたしますわ」とお礼を言い、体を起こそうとしました。

 地面に手をつくと、ずにゅり、とした粘土のような感触がします。


 そういえば転倒した時も泥に足を滑らせたのでしたっけ……。


 そう思って周囲に視線を向ければ、ーーーそれは泥ではありませんでした。


 馬糞です。


「ひぃ……っ!?」


 馬車や馬が当たり前のこのアスラダ皇国で、これまで一度も馬糞を見たことがないとは言いません。

 この馬場でも見かけますし、厩舎の中など馬糞の臭いがしみこんでいます。


 けれど流石に、素手で馬糞に触れたのは生まれて初めてでした。


 手に、革靴の裏に、見習いの白いワンピースに、べったりと付いた汚れを見て、理解し、実感した瞬間。

 公爵家育ちの軟弱なわたくしの精神は耐えきれず、そのまま意識を手放してしまいました。





 ……なんだか、あたたかい。


 硫黄の香りがする湯気と、なにも纏わぬ体を包み込む熱い浮遊感。


 額を滴り落ちる水滴がゆっくりとわたくしの鼻筋を通っていき、顎先からぽちゃりと音を立てて消えていくのを、ぼんやりとした意識の中で感じます。


 わたくしが身じろぎをしようとすると、口のなかにお湯が入ってきました。


「わぷっ……!」


 びっくりして、完全に目が覚めましたわ。


 顔をあげれば、わたくしは温泉に浸かっている状態でした。


「は、えぇ、……?」


 まったく見たことのないお風呂場です。


 温泉の湯気が充満しているので全体を見渡すことはできませんが、見習い聖女が使う大浴場よりもこじんまりとした浴室のようです。

 そしてハクスリー公爵家の浴室と同じくらい豪華な設備が見えました。


 治癒棟の玄関ホールで見たのと同じ、古代の青いモザイク画が壁や床や天井に広がっています。

 浴槽のはじにはアスラー大神の石像があり、そこから温泉が勢いよく流れていました。

 白く濁った湯は大浴場と同じもので、ちょうどいい温かさです。この温泉の効能は血行促進と美肌らしく、わたくしのお気に入りです。

 外から水も引かれているらしく、黄金で出来た蛇口もありました。


 後ろを振り向けば、明かり取りの窓があり、そこに嵌め込まれているのは『ラズー硝子』のようです。透明ガラスと半透明ガラスを組み合わせて作られたラズーの特産品は、街で見かけたときと同じ氷のような美しさに輝いておりました。


 そういえばこのあいだシャルロッテから、『ラズー硝子』のヘアピンが無事に届いたことへのお礼の手紙をもらったなぁ、ということを、わたくしは思い出しました。

 一緒にアーヴィンお従兄様やリコリスやハンスからも手紙が届き、少しだけホームシックのような気持ちになったものです。


「それにしても、いったいここは、どこなのでしょう……?」


 厩舎で馬糞にすっ転んだことは、覚えています。

 ショックを受けて気を失ったことも。


 まさかお風呂場で目覚めるとは思いませんでしたけれど、馬糞にまみれたわたくしを哀れに思った誰かが、わたくしを清めてくださったのでしょう。石鹸の甘い香りが身体中に残っています。


 いったい誰が洗ってくださったのだろう、と考えたところで、白い湯気が少しだけ晴れて、浴槽の隅のほうが見えました。

 同時に、壁に凭れるようにして温泉に浸かっているベリーの姿が現れます。


「ベリー!?」

「…………」


 わたくしはギョッとしました。

 彼女が一緒に浴槽に浸かっていたことに、まったく気付かなかったからです。

 あいかわらず人形のように静かなんですもの……。


 ベリーは白い温泉に胸の辺りまで浸かりながら、青紫色の瞳でじっとこちらを観察するように見ていました。


「もしかして、わたくしをお風呂に入れてくださったのは、あなたなんですか?」

「…………」


 わたくしの質問に、ベリーはコクリと頷きます。


「髪も体も洗ってくださったの?」

「…………」


 ベリーはもう一度頷きます。


「まぁ、本当にありがとうございます、ベリー。おかげですっかり綺麗になりましたわ。

 このお風呂場までわたくしを運んでくださったのも、ベリーなのかしら?」

「…………」


 今度はベリーは首を横に振ります。


 さすがに厩舎からわたくしを運ぶだけの腕力は、ベリーにはないようです。

 ここから見える彼女の裸の上半身は、わたくしよりずっと小さくて、うすっぺらで、肋の形が浮いていました。完全に発育不足です。

 公爵令嬢育ちのわたくしのほうがずっと筋肉がありそうでした。


 たぶん馬場の飼育員がここまで運んでくださったのだろう、と想像しつつ、わたくしは質問を重ねます。


「ここはどこのお風呂ですの? わたくし、見習いの大浴場しか知らないのですけど……」


 この質問には、ベリーはなんの反応も返しません。


「わたくしが着ていた服はどこでしょうか? まだ洗濯係りの方に渡していないのなら、先に汚れを落としておきたいのですけれど」


 汚れたワンピースをそのまま洗濯係りの方に渡すだなんて、あんまりですから。

 予洗いだけでも済ませておきたいですわ。


 そう思って尋ねると、ベリーは浴室の隅を指差しました。


「まぁっ」


 脱ぎ捨てられたワンピースが、浴室の隅でべしゃべしゃに濡れて丸まっています。

 こんなに美しい浴室にはそぐわない異物でした。


 わたくしは慌てて浴槽から立ち上がります。


 こんなに綺麗な浴室でアレを洗濯するわけにはいきませんわ。

 一度外の洗い場に出て、徹底的に汚れを落とさなくては……!!


「すみません、ベリー、桶をお借りしますわね。あと、脱衣場にわたくしの使えるタオルや衣類はありますか?」


 ベリーは不思議そうにわたくしの裸を見上げていましたが、質問の意味を理解したのか、一度だけ頷きました。


 わたくしはベリーにお礼を言うと、浴槽のそばに置かれていた木桶にワンピースを入れて、浴室から飛び出しました。


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