112:返還要求(ベリスフォード視点)
二日前、私たちはトルヴェヌ神殿に無事に到着した。
神殿では、すでに皇城のハーデンベルギアが全て枯れたという一報が入っていて、上を下への大騒ぎをしているところだった。
私たち大神殿の一行が到着した途端、神殿の責任者である神官は安堵の涙を浮かべたほどだった。
花が枯れた原因は私なので、不安にさせてしまって本当にごめんなさい。
けれどお陰で時間稼ぎがちゃんと出来たようで、ペトラと異母弟の婚約発表は延期されたと聞いて、私はホッとした。
その翌日、ハクスリー公爵家へ向かったアンジーが、ペトラのお兄さんを連れて神殿にやって来た。
「以前はベリーと挨拶させていただきましたが、改めまして、ベリスフォードと申します。神殿までご足労いただき、ありがとうございます」
お兄さんはちょっと驚いたように目を丸くした。その瞳の銀色がペトラの瞳とそっくりだと私は思った。
「以前お会いしたときは、確かヴェールを被っていらっしゃいましたが、男性だったのですね」
「はい。あの時は女性の格好をしていて、申し訳ありませんでした」
「いえ。あの日ペトラが連れて来たのが男性だったら、僕はあれほど和やかにお茶を楽しめなかったでしょう。尋問に手間取っていて」
「…………」
涼やかな笑みを浮かべるお兄さんの後ろに、牙を剥いた大蛇の幻影が見えるような気がするのは、何故なんだろう。
「今は尋問する時間も惜しいので、また今度にしましょうね、ベリスフォード君」
「あ、……はい」
お兄さんの笑顔にビクビクする私を、同席するアンジーやセザール達が面白がって観察している。ひどい大人達だ。
私は「それで、ハクスリー公爵閣下の件なのですが」と話を本題に戻した。
お兄さんもようやく怖い笑顔をやめて、普通の表情に戻る。
お兄さんは机の上にいくつかの書類を広げた。
「神殿騎士のレオ君と、貧民街の方々のご協力のお陰で発見できた裏帳簿です。義父が行った脱税が記載されています。こちらの書類は、義父の執務室から見つけた裏付け証拠です。
これらを皇帝陛下に告発し、ハクスリー家は皇室との縁談から手を引こうと考えています」
セザールとイライジャが裏帳簿や裏付け証拠を確認し、「これは額が大きいですね」「侯爵への爵位格下げと、当主の交代、現ハクスリー公爵閣下は貴族籍剥奪というあたりでしょうな」と話し合っている。
「閣下はいつでも護送出来ますよ~。今、神殿騎士に見張らせてるんで」
たっぷりハクスリー公爵を詰ってきたと言っていたアンジーが、説明を付け加えた。
ペトラはお兄さんや妹のことは気にかけていたけれど、実の父である公爵のことはちっとも好きじゃなさそうだった。たぶん公爵が貴族籍剥奪になっても、ペトラはあまり気にしないだろう。
それからお兄さんに、ペトラ返還のための計画を説明していると、トルヴェヌ神殿の神官がやって来た。
「皇城に先触れを届けた職員が戻って参りました。明日の午前に、皇帝陛下が謁見してくださるそうです」
「そう。教えてくれてありがとう」
これで明日、ようやくペトラを迎えに行ける。
ペトラは昔から強い精神力を持った女の子だったけれど、とても寂しがり屋な一面もあるから。望まない場所で強制された生活に、あまり傷付いていなければいいのだけれど。
会えたら慰めてあげられるといいな。
……まぁ、ペトラが男の私を受け入れてくれてからだけれど。
私は自分が着ている神官服を見下ろし、そんなことを思った。
▽
案内された謁見の間には、正面の玉座にたぶん皇帝陛下らしい赤髪の男性と、皇后陛下らしい白銀の髪の女性、その一段下の場所に異母弟が居た。
異母弟の冷たい表情を見るだけで、私の内側も凍てついていく。
その口でペトラに酷いことを言ったり、その手でペトラを監禁する指示を出したのかと思うと、革靴の裏でグシグシ踏んでやりたい気持ちになる。
当のペトラはどこだろうと見回せば、少し離れた場所でメイドと護衛の男性に守られて立っていた。
思ったよりも元気そうで、ホッとする。
ペトラは状況が状況だから、一生懸命表情を取り繕っていたけれど、大神殿のメンバーひとりひとりの顔を見て、その銀の瞳を喜びに輝かせていた。会えたことが嬉しくてうれしくてたまらない、というように。
なんとなく、今ペトラが考えていることが分かる。
『アンジー様も来てくださったわ! セザール大神官も! まぁ、イライジャ大神官まで! ご面倒をお掛けして本当に申し訳ないわ。けれど、とてもとても嬉しいですわ!』
そんなふうに歓喜に満ち溢れているペトラの視線が、ついに私のところで止まった。彼女がどんな反応をするのか、とてもドキドキする。
ペトラの表情がピシリと固まった。
私の頭の先から爪先までをゆっくり見下ろし、だけどまだ納得出来ないようで、ペトラは再び私の上から下まで観察する。
ペトラはゆっくりと首を傾げ、考え込むように顎に手を当て、それでもまだ現実が受け入れられずに今度は首を反対方向へと傾けた。
……本当に悩んでいるね。
それでも聡いペトラは、最後には私が男だという現実に気が付き、唖然としたように私を見つめた。
彼女の顔色がじわじわと真っ赤に変化し、かと思えば、いきなり真っ青になってふらついた。
最後は床にへたり込み、メイドと護衛に介抱されるという有り様になる。
ようやくペトラに男として認識されたという喜びと、今すぐペトラに駆け寄って謝って説明したい気持ちでいっぱいになる。
ごめんね、ペトラ。君をちゃんと取り返してから全部伝えるから、もうちょっと待っていてね。本当にごめん。
私とペトラの無言の再会を、アンジー達がニヤニヤしながら観察しているのが分かる。
けれど、それよりもっと鋭い視線が真っ正面から降り注がれてくるのを感じた。
私を凝視する皇帝陛下と皇后陛下、そして訝しんでいる異母弟の視線だ。
異母弟はたぶん、私の髪と瞳の色があまりにも皇帝と似ているから、偶然にしては出来すぎていると思っているのかもしれない。
「……そこに居る見習い神官よ、もっと私の近くへ来なさい。そなたは何者だ? 名はなんと申すのだ? ……ご両親について話せるか?」
皇帝が玉座から身を乗り出すようにして、声を震わせながら呼び掛けてくる。そこにはもう私が誰なのか、ほとんど確信している雰囲気があった。
私とはいったい何者なのか。
それを私は随分長い間、考え続けてきた。
私の出自はややこしく、私の生まれ持った能力は膨大で、私の取り巻く環境は愛情と制約に満ちていた。
けれどその中でペトラと出逢い、私は私の中に自我を発見した。ペトラの打算のない愛情によって心を育ててもらい、ペトラを通して色んな人や場所や物事に触れた。
そして私は思考と選択を繰り返して、今こうしてここに存在する。
何者だと問いかける運命に、私は正面から答えてあげる。
与えられたもの、学んだもの、他者との関わりの中で培ったもの、ーーー自分自身で選び取ったもの。
それら全てのもので育った、私という人間を。
「私はキャルヴィン皇帝陛下とウェルザ元大聖女の息子。名をベリスフォードと申します。大神殿所属の見習い神官であり、次代を担う神託の能力者です」
皇帝にも、ペトラにもちゃんと伝わるように、胸を張って私は答えた。
私は選んだのだ。自分に課せられた運命を全部飲み込んで、それでも男として、大神殿で、ペトラと生きる未来を。
皇帝は私と同じ色の瞳を歓喜に輝かせて、ーーーペトラはただただ絶句していた。
「おおっ! そうか! そなたは私とウェルザの……」
「いやぁぁぁぁぁあああ!!!!!!」
玉座から立ち上がった皇帝よりも早く、皇后が椅子から立ち上がって絶叫した。
「ありえないっ!!!! そんなの許さない!!!! 嫌よっ、嫌だわっ!!!!
キャルヴィン様はわたくしのものなのっ、わたくしの夫よ!!!! わたくしが手に入れたの!!!! 幼少の頃から焦がれて焦がれて、やっと手に入れたのよ!!!!
今になってなによ、それっ!!!! ありえない! ありえない!! あの女っ、絶っっ対に許さないわっ!!!!」
流れる白銀の髪を振り乱し、目を血走らせて絶叫するその姿はまるで幽鬼のようだった。
紅く染められた爪が輝くほっそりとした指で、皇后は私を指差した。
「近衛騎士よ!!!! そこに居る男を殺しなさい!!!! 早くっ!! 今すぐに殺すのよ!!!!」
「おいっ、セシリアっ! 止めるのだ! 騎士達よ、セシリアの命令は無効だ!」
「いいえ有効ですわっ!!!! 早くっ、誰でも良いから早くっ、あの見習い神官とやらを殺して!!!! あの女に似た顔なんて、しかもキャルヴィン様と同じ髪と瞳の色を持つなんて、絶対に許さない!!!!
誰も殺らないのなら、わたくしが殺るわ!!!! その顔をズタズタに切り裂いてやる!!!! 誰かっ、わたくしに剣を貸しなさい!!!!」
喉から血を吐く勢いで叫ぶ皇后に、皇帝が大声で嗜める。
「セシリア! ベリスフォードは私の息子だ!! 傷付けることは許さん!!」
「では、わたくしの心がズタズタに傷付くのは構わないとおっしゃるの!!? キャルヴィン様が悪いのよっ!!!! なぜあんな女に目を向けたりなさったの!!!? わたくしの方がずっとずっと、貴方を愛していたのに!!!! 何故わたくしを愛してくださらないのよぉぉぉっ!!!!」
「近衛騎士よ! セシリアを連れ出してくれ!」
セシリア皇后は暴れたが、近衛騎士に取り押さえられて、そのまま謁見の間から退室させられた。
なんだか、すごいものを見てしまった気持ちでいっぱいだ。
小さな頃から一途に愛し続けた人の一等になれなかったことは、たぶんあの女性にとって、己の魂を土足で踏み躙られるくらいに辛いことだったんだろう。
皇后を支えるものは皇帝への愛情だけで、それを求める為に人生のすべてを捧げ、そして壊れてしまった。
お母さんがあの人に同情した気持ちが、ちょっと分かるかもしれない。
まぁ、セシリア皇后があれ以上暴れて私に刃物でも向けたら、アスラーが彼女に神罰を与えてしまったと思うので、退室してくれて良かったけど。
皇帝は咳払いをすると、「見苦しいものを見せてすまなかった」と一言言った。
「さて、ベリスフォードよ。私に会いに来てくれて、とても嬉しい。皇室は君を皇子として歓迎する。今まで君に父親らしいことは何一つしてやれなかったからね、君が望むことは出来るだけ叶えてあげよう」
「私が本日皇城へ上がったのは、皇子としての地位が欲しいからではありません」
先触れの内容など忘れてしまったかのように言う皇帝に、私はハッキリと告げた。
「ペトラ・ハクスリー見習い聖女をお返しください。彼女は大神殿の人間です。
彼女を不当に監禁し、我々の許可なく彼女を還俗させ、皇室に嫁がせようとするなど言語道断。ペトラ見習い聖女に対する監禁罪だけではなく、大神殿に対する越権行為に値します。我々はこれを許すわけにはまいりません。
此度の過ちを犯したグレイソン皇太子殿下とハクスリー公爵閣下への処罰を要求します!」
私は私の持っているものすべてを使って、ペトラを彼女の運命から救い出して見せる。




