111:凶事(グレイソン視点)
後半はペトラ視点です。
「グレイソン皇太子殿下、西の宮のハーデンベルギアも全て枯れておりました!」
「北門付近の花も全滅です!」
「皇室がアスラー大神から見放された、何をやらかしたのだと、かなり多くの貴族から嫌疑の声が上がっております。このままではいずれ平民達からも暴動を起こされてしまいます!!」
「今からでも遅くはありません。ハクスリー公爵令嬢を解放いたしましょう。きっと大神殿の見習い聖女を捕らえたことに、神はお怒りになったのです。神罰が下る前に、どうか……」
数日前、皇城に咲き乱れていたハーデンベルギアが突然全滅した。
そのお陰でシャルロッテの姉との婚約を発表する予定が延期になってしまった。
花が枯れた理由はまったく分からない。
貴族街や平民街では変わらず咲いているというのに、何故か皇城のハーデンベルギアのみが枯れてしまったのだ。
だというのに、皇城内の人間が僕の周りに集まっては、寄って集って好き勝手なことを言う。
僕はギロリと周囲の者達を睨み付けた。
「ハクスリー公爵家の長女とハーデンベルギアが枯れたことは何ら関係がない。あの女はただの治癒能力者だ。アスラー大神が贔屓するのは、神の愛し子である神託の能力者だけだと昔から決まっている。
何故花が枯れたのかは分からないが、絶対にあの女関連ではない」
あんな女を捕らえたから神罰が下るなど、あってたまるか。
僕は絶対にあの女と婚姻しなければならない。そうしなければ、ハクスリー公爵がシャルロッテを僕に差し出してくれない。
シャルロッテが僕の傍に居ないなんて、死ぬことよりも堪えられないことだ。
「この件については父上に意見を仰ごう。父上は今どこにいらっしゃるんだ?」
「皇帝陛下はいつものように、執務室におられるかと……」
「分かった」
僕は父上の執務室へと急いだ。
▽
父上の執務室に入ると、何故か母上が居た。母上は執務机に向かっている父上へ、泣きながら何かを訴えているところだった。
「キャルヴィン様っ、これは絶対にあの女の呪いですわ!! 死しても尚、あの女がわたくしを呪っているのです!!」
「……セシリア、静かにしてくれ」
「キャルヴィン様が悪いのですわ!! わたくしは幼少の頃からずっとずっとキャルヴィン様だけを見つめ、お慕いし、どんなに辛い教育にも堪えて完璧なわたくしになったのに!!! キャルヴィン様が血迷ったりされたから!!!」
「セシリア、公務の邪魔だ」
「ひどい、ひどい、ひどい!! キャルヴィン様は酷すぎます!! あんな下賎な血の女、無学で、野蛮で、浅ましいーーーっ」
「誰か、セシリアを連れ出してくれ。公務が進まない」
泣き喚く母上が使用人達に連れ出されたあとで、父上は僕の存在に気付いて顔を上げた。
赤というには少し紫がかった色の髪に、僕と同じ青紫色の瞳。皇帝の椅子に座り続けた人間だけが醸し出せる深みが加わった、鋭い顔つき。
父上の視線が僕を捉えた瞬間、僕の背筋は自然と伸びた。
「どうした、グレイソン。……いや、枯れたハーデンベルギアに関して、お前のところにも陳情が来ているのであろう」
「はい。その件で来たのですが……、母上は何故あのように取り乱されていたのでしょうか?」
「セシリアもハーデンベルギアが枯れたことで、精神的に参っているようだ」
「……そうですか」
花ではなく女性の話をしていたと思ったが、父上がそう言い切るのなら、深追いしない方がいいのだろう。
気を取り直して、僕は花の話を始める。
「ハーデンベルギアが枯れたのは、僕が大神殿の見習い聖女であるハクスリー公爵令嬢を皇城に留め置いているからだと言っている者達がおりました。僕はそれとは関係がないと思うのですが、父上はどうお考えなのでしょうか」
「さぁな」
父上はどうでも良さそうに呟く。
「皇城のハーデンベルギアのみが枯れたとなれば、私かセシリアかグレイソンか。そのうちの誰かに裁きが下るのだろう」
「そんな……っ」
「こうなれば直に大神殿からも連絡が来るであろう。私はその裁きを座して待つ」
「何故そのような悠長なことを仰るのですか、父上! 皇室の危機なのですよ!?」
「私はもう……、この色の無い世界に疲れ果てた。アスラー大神の手で正気を失えるのなら、もうそれでよいのだ、グレイソン」
公務を行うだけの人形だと影で言われているほど表情の動かない父上が、そう言って珍しく口許を緩ませた。
長年微笑みを忘れていた父上のその表情は、いびつで、身近な者以外には笑んでいることも分からないだろう。
それくらい錆び付いていた父上の感情が、いま目の前で動いていて、僕は愕然とする。
「せめてお前には、愛する人と結ばれてほしかった」
父上は静かにそう言うと、僕にもう何も言わせる間も与えず、執務室から追い出した。
▽
わたくしは四階の窓から皇城の庭を見下ろし、枯れたハーデンベルギアの後片付けに追われている庭師見習いのアル君の様子を眺めます。
ハーデンベルギアは切り花にすることもありますが、そうすると二、三日後には自然に消滅する不思議な花です。枯れたところを見たことがなかったので、とても興味深い光景でした。
そうやってじっくり枯れた花を見ていると、アル君がわたくしに気付いて嬉しそうに手を振ってくださいます。
以前の患者が今こうやって元気に暮らしているところを見るのは、嬉しいものですわね。
わたくしも手を振り返しました。
「もうっ、ペトラお嬢様ったら! ハーデンベルギアが枯れるなんて、とてつもない凶事なんですよ? 皇城のメイド達も随分怖がっていて、中にはそれを理由に退職した者も出ているんですって」
「お嬢様、まさか大神殿でアスラー大神にお会いして気に入られちゃったなんて事はないんですか? このタイミングで神の花が枯れるなんて、お嬢様関連を疑っちまいますよ」
「アスラー大神に拝謁したことはありませんわ」
まだレオが大神殿に到着したとは思えませんし、アスラー大神がわたくしの為などにその御力を使うとも思えませんけれど。
きっとベリーが何らかの方法でわたくしの状況に気が付いて、怒ってくれているのだな、と思います。
神託の能力者の親友を害することもまた、ベリーの心身への攻撃と見なされたのでしょう。
わたくしとベリーの友情は強固ですものね。
皇都に来てからずっとずっと最悪でしたけれど、ハーデンベルギアが枯れたことにベリーの意思を感じ、わたくしの気持ちはとても慰められました。
セザール大神官の馬をお借りできれば、二週間くらいでベリーが迎えに来てくれるかしら?
そんなことを思いながら、つい鼻唄を歌っていると。
わたくしの部屋の扉を叩く音が聞こえてきました。すぐにリコリスが対応してくれます。
「ペトラお嬢様」
訪問者の対応をしたリコリスが、笑顔でわたくしのもとへ戻ってきました。
「皇城に大神殿から使者が訪れたようです! 大神殿側はペトラお嬢様の返還を要求されているらしく、明日にも皇帝陛下と面会するそうです。ペトラお嬢様にもその場への同席を求められています」
「分かりました。お受けいたしますわ」
驚くくらいに早い訪れです。
ベリーったら、一体いつからわたくしの状況を把握していたのかしら。再会したら聞いてみましょう。
わたくしはすっかり安心して、大神殿のみなさんに会える明日を待ち遠しく思いました。
ーーーまさか、わたくしが長年知っていたはずの女友達が、まったく知らない青年になって迎えに来るとは、思いもせずに。




