叙の七 見捨てられた街に桜の便りを ②
’三六年〇五月〇五日(約束の日まで、あと一九〇日)
「世間じゃあ、異常気象だなんだって騒いでるっつーのに……ここはいつ来ても、ちーっとも変わらねーなぁ」
北の大地は東部の港町、『神威市』――その空の玄関口である『神威空港』に降り立つなり、男は開口一番でそうぼやいた。
(さすがは“亜瑠坐瑠
「真樹子か……? いや、なるほどな……もう、そんな年か」
どことなく、あいつに似てきたな……と、振り返る少女のシルエットに、影恣はある女性の“出会った頃の姿”を重ね合わせていく。
「そんな格好してると、あれだな……『娘』だったってことを思い出させるもんだな?」
「なにそれ? その『娘』に対してセクハラ発言とか? ほんと信じられないんだけど」
スカートの裾を抑えつつ恥じらう姿は、見紛うことなく“あの女性の面影”を受け継いでいた。
「ちげーよ、バーカ……着馴れねー服着させられて、恥ずかしいってんだろー? そんくらいのこと、俺にだってわかるっつーの」
「うー……、別に我慢するからもういいし……。けど、早いとこ母さん家に向かわない? いつまでもこんなとこにいたら、さすがに風邪引いちゃいそうなんだよね」
色々な意味で限界に達してきた唯姫は、困惑気味にそう訴える。
「だったらよー、逆にもっと恥かいてみりゃいいんじゃねーのか? その方が、ポッポ、ポッポと暖かくなって、ちょうどいいじゃねーか、なぁ? カッカカカ」
「バッ、バッ、バッ、バッカぢゃないかっ⁉ ほんと、最悪!」
顔を真っ赤に染めながら、“ぷいっ”とそっぽを向いて憤慨する唯姫。
「あれがまともな大人の言う台詞? ほんと信じられないんだよね! こんなことなら、厚手のストッキングかタイツくらいは買っとくべきだったし!」
無防備にもさらけ出された“生足”に一抹の不安を抱いた唯姫は、足元をスーツケースで隠しながら、そそくさと足早に歩き去っていく。
「周りにゃ人っ子ひとりいねーんだから、そんな気にするこたぁねーだろーが? カッカカカ」
「もう、大声出さないでって! かなり恥ずかしいんだよねっ‼」
言った本人も、つい大声で怒鳴り返してしまう。幸いにして、周囲に誰もいない状況では安っぽい父娘喧嘩など、特に悪目立ちすることはなかった。
(少しは感情が出せるようになったか? 一時はどーなるかと心配したもんだが……そもそも、あいつに似たら、もっと“アレ”だしな)
ヤレヤレと嘆息する影恣は、自意識過剰気味になった少女の後を、怠惰な歩調でふらふらとついていくのだった。
それは五年前のこと……父親と一緒に暮らし始めた頃の少女といったら、喜怒哀楽の一切を表情に出さない(出せない)子供であった。それが、『天巫女』として生まれた運命だというのだろうか……。“感情のすべて”を欠いた吾が子との再会を果たした時、父親は自分たちの罪深さを痛感した。
運命に抗うかの如く――それからというもの、彼は吾が子の感情を取り戻すことだけをひたすら模索する……そんな地獄のような毎日が、何年も続いた。結果、不器用過ぎる彼のやり方が功を奏したのかは不明だが、共に暮らしていく中で、唯姫は少しずつ変化を見せていった。
そんな一人娘と過ごした日々を、父親は決して忘れることはないだろう。
結局、“罪滅ぼしが成った”と感じるまでには至ることはなかったが……。
(親の気も知らねーで、図体ばっかでかくなりやがって)
先をゆく唯姫の背中が、“まだ見ぬ未来への希望”に満ちているようでやけに眩しく感じる。罪の意識を背負った影恣にしてみれば、それは『救い』にも似た感覚であった。
(まぁ、俺も『父親』だなんて胸張って言えた義理じゃねーが……んっ⁉ なんだ?)
その時、影恣の背筋を“ゾクッ”とした悪寒が走った――同時に重厚なクラクションが鳴らされ、ハザードを明滅させた深紅のジャガーXEが彼らの脇を通り過ぎていく。
十メートルほど先の車寄せで停車したその車は、運転席側の窓をゆっくり下ろしていく……と、濃いサングラスをかけ、口元を真っ赤な口紅で彩った派手目な女性が、徐に車内から顔を覗かせた。
「げっ、やっべ!」
鮮やかな藤色のスーツに身を包んだその女性は、唯姫を見つけるや大きく手を挙げてみせる。
「あっ、もしかして母さんじゃない? 迎えに来てくれたんだ!」
声を弾ませながら唯姫が後ろを振り返ると、すでに影恣の姿はどこにもなかった。
☆
「ほんと、バカな男……」
少女を助手席へと招き入れた女性――唯姫の母親である御神真樹子は、ハンドルに突っ伏すとそうぼやいた。緩やかなウェーブのかかった栗色の髪を掻き上げ、サングラスを外すと、とても高校生の娘がいるとは思えない容姿……若さと美貌が露わとなった。
(まったく……こっちは、この日が来るのをどれだけ待ったと思っているのよ。あいつ、昔からなんにも変わってないんじゃないの?)
「あんなのとずっと一緒で、唯姫も随分と苦労したんじゃないの?」
「う……いつものことだから、もう馴れたかな? はははは……」
妖艶かつ、気だるそうな雰囲気を醸しながら話す真樹子に対して、唯姫は自嘲気味な笑みを浮かべながらそれに応えた。
「あらそう? 私……どれだけ一緒にいたところで、馴れることなんてなかったわ。もう、まったくっていいほどね」
深い溜息を吐いた真樹子は、唯姫に向き直ると彼女を優しく抱き寄せる。緊張の面持ちで身体を預けると、麝香の香りが唯姫の鼻腔をくすぐった。
「中学の卒業式の時以来? 久し振りね……元気してた?」
「あ……う、うん。元気、元気。ああーっと、これ。制服……送ってくれてありがとう」
その言葉にハグを解いた母親は、改めて成長した娘の制服姿をじっくりと眺める。それまで影恣の件で苛つきをみせていた真樹子は、ようやく表情を緩めるのだった。
「ふーん……案外似合ってるじゃない? やっぱり女の子ね。サイズもちょうどいいみたいだし、間に合ってよかったわ」
「――ぶっ!」
真樹子の台詞に思わず吹き出した唯姫は、やはり似た者夫婦なのだな……と、少しだけ安堵する。
「んっ? なんか可笑しなこと言った? 私」
「ううん、違くて……」
慌てて頭を横に振る唯姫は、父さんも同じようなこと言ってたから……と、そう言って伏し目がちに笑った。
「ヤダ、ちょっと勘弁してくれるー? もー……あんなのと一緒にしないでよねー」
あからさまに不機嫌な顔をする真樹子だったが、それがかえって照れ隠しのようにも見える。そんな真樹子に、唯姫は少しだけ嫌悪感を覚えた。若さからか……純真過ぎる少女の瞳には、母親の時折見せる『隙』や、素直になれない『女』の部分が、どうしても“ズルく”映ってしまうのだった。
「まあねぇ……あんな旦那でも、全然いないよりかちょっとはマシなんだけど、さ」
「……えっ?」
「…………」
短い沈黙の後、彼女たちは互いの顔を見合わせると、どちらともなく吹き出して笑い合う。数年振りとなる母娘の再会劇は、そんな微妙な空気の中で幕を開けた。
御神唯姫は母親と一緒に暮らすため、この街、神威市にやって来た。そして、娘と二人だけで暮らすことは、御神真樹子にとっても初めての経験である。これから共に過ごす時間は、きっと特別なものになるだろう……五年もの間、少女と離れて暮らした母親は、そんな淡い期待を抱きつつ今日の日を心待ちにしてきた。
「唯姫の髪、ちょっと短過ぎじゃない? もう『男の子』はしなくていいんだから、少しは伸ばしてみたら? 長い髪型もきっと似合うわよ」
「うーん……」
短く揃えられた襟足を弄りながら返ってきた答えは、期待を裏切るほど曖昧なものであった。
(あら、いきなり嫌われちゃった? 意外と父親想い《ファザコン》だったってことかしら? まぁ、それなりに覚悟はしてたけど……)
あまりに素っ気ない態度をとなりに感じつつ、表情を若干曇らせた真樹子は、エンジンを再始動させるとアクセルを深く踏み込むのだった。の街”……といったところか?)
痩身で細面。冴えない風貌の中年男、御神影恣は暗褐色のトレンチコートに袖を通すと、辺りを見回した。その糸のように細い目は、視線の先を……そして感情すらも想像させない。
『中部国際空港』から『新千歳空港』を経由して、ようやく辿り着いた辺境の地。内地とを繋ぐ(貨物以外の)直行便も現在はなく、この日の空港利用者は彼のほか、一名きり。かつての北海道時代――その中でも有数の観光地であった頃の面影など、今はどこにも見当たらなかった。
(確かに、人目を避けるには打ってつけかもしれねーが……俺には、“見捨てられた街”にしか見えねーんだけどなぁ)
春の大型連休が終盤を迎える中、わざわざこんな僻地へと訪れる者など、皆無であっても当然か……男にそう、思わせるほどの閑散ぶり。
五年前の東北海道大震災を機に、かつて『道東』と呼ばれた地域は北海道から分離された。地名も『北の大地』と新たに命名され、それを皮切りに地方分権の先駆けとして『行政特区』に制定されてからというもの、人の往来は日を追うごとに減少の一途を辿っている。
国の委任から完全に独立、分離された『特定特区自治法』が施行されると、市内に入るだけでも多くの手続きを履まなければならなくなり、許可が下りるまで数日間を要する――そんな街の実状が、人の足を遠ざけている主な要因であろう。
だが、それらはすべて仕組まれた“仮の姿”……先住民族『亜瑠坐瑠』の保護を目的に再編されたこの地域は、日本の中にありながら、すでに日本とは呼べない場所になっていた。
街の中心部から車でおよそ四十分。神威市郊外の山間に建てられた簡素な空港は、間もなく初夏とは思えないほど冷たい空気で満たされていた。
「やっぱりよー、なんか一枚、上に羽織ってきた方がよかったんじゃねーのか?」
エントランスを出た中年男の背後では、あまりの寒さに身を縮めた制服姿の女子高生が一人、ブルブルと震えながら立ち竦んでいる。
その様子を鼻で笑う影恣は、それみたことか……と言わんばかりのドヤ顔を披露してやった。
「うー……」
「なんだよ……俺を睨んだってどーにもならねーだろーが? この季節にそんな格好で来るのが間違いなんだっつーの。北の大地ナメんなよ! カッカカカ」
「よ、よくもそんなことが言えるよね? ボクだってなにも好きこのんでこんな……こんな馴れない格好で来たわけじゃないし」
そう言ってむくれる少女の名は御神唯姫――両腕で自分自身を抱える彼女は、恨めし顔で影恣を睨むとその場で地団駄を踏んだ。そんな唯姫の服装といえば、臙脂色のセーラーブレザーにプリーツの利いたチェックの膝上スカート、といった出で立ちで……この時期の最高気温が、十度前後までしか上がらない土地柄にあっては、やはり“軽装”というより外ならない。
「だいたい、ボクの服なんて父さんが勝手に纏めて、無断で全部送っちゃったじゃないか!」
「ふん、そーだっけか? てんで覚えがねーなー」
“超”がつくほどの内弁慶――少女の性格など当然のように熟知している中年男は、いつものように適当な態度ではぐらかした。それは、影恣が唯姫を言いくるめる際の常套手段である。
「この制服が届かなかったら、今日だって着る服がなにもなかったんだよね! いい大人が子供じみた真似してさ、全然笑えないし……」
それは今朝方のこと……唯姫が起きた時には部屋中のあらゆる物が跡形もなく消えていて、彼女は呆然としたまま暫くは動くことができなかった。
“ガラン……”とした六畳間に“ポツン……”と布団だけが敷かれた状態――そのことを思い返すたび、多分……いや、絶対にワザと起こさないよう、こっそりと運び出したであろう父親の手際のよさが、無性に腹立たしくなって仕方がない。
「それも、“女子の制服”だなんて、ボクはなんにも聞いてなかったし! 寒いし、恥ずいし……もう、ほんと信じられないんだよねっ!」
「あーそーですかい? それは大変スマンこって」
その返答に反省の色は感じられず、唯姫の抗議などまったく気にも留めていない。そんな影恣の態度が、余計に彼女の怒りを煽り立てた。
とある事情により、高校二年までを『男の子』として生活してきた唯姫にとって、こんなに短いスカートを穿く機会はこれまで殆どなかった。加えて、微風が吹いただけでもひるがえる裾が気になって、まともに歩くことさえ儘ならない……その動揺たるや、平常心でいられるレベルを遥かに超えるものであった。
それでもどうにか勇気を振り絞り、一歩ずつ足を踏み出していく。空っぽも同然となったスーツケースを引き連れた唯姫は、怒りを露わに影恣を追い抜くと、市内に向かうバス乗り場へと直行していくのだった。
「そもそもは、いつまでも荷造りしねーで、今日の今日まで放ったらかしにしていたお前が悪いんじゃねーか。俺に当たること自体、筋違いじゃねぇーのか?」
「うっ……」
影恣の台詞に動揺しつつも、怒りの冷めやらない唯姫はそれを無視して歩を進める。
「代わりに纏めてやれば逆ギレで、挙げ句の果てに文句まで言う始末ってか……? 自分の子供ながら、まったく恐れ入ったぜ」
少女の怯んだ隙を見逃さなかった父親は、ここぞとばかりに追い討ちを掛けていく。
「それにお前、出掛けに倉田の爺いから『餞別』だ、つって五万も……俺に内緒で、こっそり貰ってただろ? 陰でコソコソしてたって、こっちは全部お見通しなんだっつーの」
「うー……」
痛い所を次々と指摘された唯姫は、脳内をフル回転させて反論の糸口を探った。
「あ、あれは母さんへのお土産とか? お土産とか……後はほら、お土産とか、さ……」
「どんだけ土産好きだよ⁉」
先刻までの威勢のよさはどこへやら……形勢を逆転された途端に歯切れも悪くなり、唯姫はオロオロと視線を泳がせる。
「……ったく、そんな余裕があるんなら、途中でなんか買って着替えて来りゃあよかったじゃねーか。誰に似たんだか、マジでケチくせーヤツな?」
嫌みを含んだ影恣の説教が続く中、必死に言い返そうとするも何も思いつかず……結局、最後には口篭もって俯いてしまう。言い訳ひとつ満足にできない唯姫は、父さんほどじゃないし……と、負け惜しみを唱えるのがやっとであった。
(こいつ……こんなんで、ほんと大丈夫か?)
整理整頓や家事全般が大の苦手で、貯金だけが心の支え。コミュ力にも相当欠けた、“残念女子”としての将来像しか思い浮かばない――そんな吾が子の後ろ姿を、影恣は理由もなくなんとはなしに眺めていた。
彼の目に映る少女のシルエットは、ショートボブにスレンダーな体型が相俟って、実に快活そうな……そしてなにより、立派な『高校生』に見える。これまで、想像すらしたことのないひとり娘の“女子高生姿”を前に、御神影恣は意外にも感慨に耽っていた。
「ふん……案外似合ってるじゃねーか」
思いがけない父親の台詞に、え……? と足を止めて振り返る唯姫。それと同時に、ある女性の姿がフィードバックしていく。
その時――少女を見つめる影恣の脳内は、時間が巻き戻っていく感覚に捕らわれるのだった。




