第21話 クラウド・レギンバースの娘
10/9 第8章全話一括公開!
ティンダロスは目を覚ました。体を起こすと、周囲には美しい庭園が広がっており、自分は四阿のテーブルセットに突っ伏していたらしい。姿がセレディアであることに気付く。
そしてここは、まだ夢の世界なのだとティンダロスは理解した。
「紅茶でございます」
「あら、ありがとう」
(――って、我は何を言っているんだ)
令嬢生活の賜物か、ティンダロスはつい給仕してくれた者に礼を言ってしまった。思わずその人物を見上げてギョッと驚く。
白銀のメイド服に身を包む、銀の髪と瑠璃色の瞳を持つ麗しき少女。それはティンダロスがかつてレアから引き継いだ記憶にある少女そのものであった。
(……セシリア・レギンバース。本物の、聖女)
ティンダロスは思わず息を呑む。ヴァナルガンドと対峙した時に受けたあの力が本物であるなら、いかに王都から負の感情を集めて力を強めた身だとしても、おそらく一蹴されてしまうだろう。
そのくらい力の隔絶を感じる相手であった。
自分はどうなるのかと身構えていると、聖女はもう一つの席に紅茶を注ぎ終えると、一礼して四阿から姿を消してしまうのだった。
「……な、なんでだ?」
「そりゃあ、もう敵とも言えないからじゃないかな?」
「お前は……」
その声は、聖女が紅茶を淹れたもう一人のものだった。黒髪の女性が紅茶を口に付けていた。
「んー、美味しい! これがヒロインちゃんの紅茶の味。ああ、ファン冥利につきちゃう!」
初めて会った時より少々テンションが高い気がするが、ティンダロスは目の前の女性が何者であるかを理解していた。
「……レア」
「違うよ。私の名前は『白瀬怜愛』。やっぱり。レアと私を混同してると思ってたんだ」
「レアじゃない?」
「うん。レアはあっち」
怜愛は四阿の端を指差した。そこにはカウチが設置されており、セレディアと同じ姿をした少女が横にされて眠っていた。
「あなたがクリストファー様やシエスティーナ様を攻略するんだって騒いでいたのは私の記憶のせい。中途半端で使いにくい記憶だったでしょ? ごめんね」
「いや、別に……」
「ごめんね、私の憧れに巻き込んじゃって。別にあんなことしなくてよかったのに……あなたが好きな人は、あなた自身で決めればいいんだから。好きな人に好きになってもらうことを『攻略』なんて言うのは寂しいもの。ねぇ、ティンダロス。あなた、好きな人はいる?」
「……わからない。お前は?」
「ふふふ。実は、いるの」
「それは……あの男か?」
ティンダロスは思い出す。ルトルバーグ家でお茶会をした時に会った男のことを。怜愛はクスリと微笑むと、ティンダロスに言った。
「分かっちゃう?」
「まあ、見れば分かる。随分と振り回された」
「うん。でも、それは『怜愛』の気持ちであって『レア』が好きになるかはまだ分からないわ。この人生は『レア』のものだから」
「……そうか」
「だからね、ティンダロス。私、レアに人生を返してあげたいの」
「……好きにすればよい」
「やけにあっさり受け入れるのね。もっとごねるかと思ってたけど」
怜愛が首を傾げると、気が付けば容貌が狼へと姿が変わってしまったティンダロスが、彼女へジト目を向けた。
「どうもこうも、我にはもう大した力は残されていないではないか」
ティンダロスの言う通りだった。メロディの本気魔法を受けたティンダロスの負の魔力の大半は浄化されてしまい、最早人格を維持する分程度しか残っていないのが現状だった。
今はレアという器の中にいるから生き残れているだけで、外に出れば今のティンダロスなど存在を維持できずに霧散してしまうだろう。
「煮るなり焼くなり好きにするがいい」
「そう? じゃあ、お言葉に甘えて」
ティンダロスはそっと目を閉じた。これから怜愛によって自分は断罪されるのだろう。最後の処刑を執行するために残されたのだ。
自身の天命は尽きた。ティンダロスはそう思い、処断の時を待った……のだが。
「えーいっ!」
「ぶふっ」
いきなり体を引っ張られたと思うと、ティンダロスは四阿からどこかの寝室のベッドに転がされていた。
「は? ここは?」
「レアの器の中に作った私の部屋。昔使ってた物を再現したの。ふふ、ちょっと狭いね」
二人が寝転がっているのはいわゆるシングルベッドだった。怜愛一人ならともかく、今のティンダロスでも全身をべろんと伸ばせば怜愛よりも長い体躯をしているため、かなりギリギリだった。
「どういうことだ。四阿は?」
「ここは夢の世界だもの。いきなり場所が切り替わるなんて造作もないことよ」
「それはそうだが……断罪は?」
「何のこと?」
「???」
ティンダロスが困惑した表情を浮かべるので、怜愛は可笑しくて笑った。
「そんな物騒なことしなくたって、少しお昼寝でもすればいいだけのことよ。私達、ちょっとだけ休みましょう。ね?」
「お前も休むのか?」
「私の記憶があったらレアが混乱するだけだもの。それに……」
「それに?」
怜愛はニコリと微笑むとティンダロスにギュッと抱き着いた。
「私、一度でいいからこんなに大きなもふもふを抱き枕にして眠ってみたかったの。ふふふ、私の夢を叶えてくれてありがとう、ティンダロス」
「……ふん、その程度で夢が叶うなど、お手軽な女だな、お前は」
「ふふふ、そうだね。ティンダロスがいてくれるだけで、幸せに眠れそう。ありがとね」
「……」
「……おやすみ、ティンダロス」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……おやすみ、怜愛」
◆◆◆
夢の世界でお茶を用意したメロディは、すぐに現実世界へ戻ってきた。
目を開けると、彼女はルトルバーグ家の門と正面玄関の真ん中辺りで腰を下ろし、セレディアに膝枕をしているところだった。今も『銀清結界』を身に纏っている。
周囲を見渡せば、正面玄関の近くで倒れ伏すルシアナとレクトの姿があった。二人とも意識はないが規則的に上下する胸を見て、ただ眠っているだけなのだと安心した。
メロディが安堵の息をつくと、眠っていたはずのセレディアの瞼がゆっくり開いた。
「……やあ」
「おはようございます……ガルムさん」
ガルムと呼ばれたセレディアはそれを否定することなくニコリと微笑んだ。
「あなたの声が聞こえた時は驚きました」
「生まれ変わる直前にティンダロスの中に少し僕の意識を潜ませておいたんだ。きっと面倒事になると思っていたからね。今、この体の主導権を持つ者が全て眠ってしまっているから、その間だけちょっと間借りしているんだよ」
メロディの膝から頭を起こし、ガルムは微笑む。
「我が儘を言ってごめんね」
「それは構いませんが……セレディア様の中にあなたの弟がいたんですね」
ガルムによれば今までのセレディアはその弟、ティンダロスが操っていたのだという。きっと次に目を覚ましたときには変化が起きているだろうと。
「じゃあ、次に目覚めるセレディア様は、私が知っているセレディア様じゃない?」
「少し違って見えるかもしれないけど、同じ人間さ。見える側面が少し変わるだけのことだよ」
「そうですか。よかったです」
(短い間だったけど、学園で過ごしたセレディア様の全てが嘘だったなんて思えないもの)
メロディがセレディアとの思い出に想いを馳せていると、ガルムが声を掛けてきた。
「さて、僕がまだ残っていられるうちに後処理を済ませてしまおうか」
「後処理ですか?」
メロディは首を傾げた。後処理って何だろう?
「ルシアナお嬢様やレクトさんなら後で私がベッドへ運んでおきますけど」
「ふふふ。今、この王都で意識があるのは君だけだっていう事実、覚えているかな?」
「え? ……ああっ、そうでした! 皆、眠っているんですよね? どうすれば」
「それ自体は問題ないよ。ティンダロスの結界はそろそろ限界だからね。それが解ければ自ずと皆が目を覚ますさ。問題はその後だね」
「その後?」
「こんな昼間っから王都の住人全員が意識を失ったんだよ。皆、目が覚めたら大騒ぎになるんじゃないかな。余計な憶測が飛び交い、最悪暴動が起きて怪我人が出る可能性もあるかもね」
「ええええっ! どうするんですか!?」
「まあ、人間の法律で考えると少々問題だけど、何事もなく丸く治めたいなら、事件そのものをなかったことにするのが一番いいだろうね」
「……そんなこと、できるんですか?」
「多分ね。やるかい?」
ガルムに問われ、メロディはしばし考えた。
事件を隠蔽することは普通によくないことだとは理解できる。しかし、この事件が明るみになって責任を取るのは誰なのだろうか。
妥当なのはセレディアだろうが、実際の首謀者はガルムの弟であるティンダロスだ。しかし、彼の力の大半はメロディに浄化され、既に眠りについている。次に目覚めるセレディアは事件とは無関係な存在と言って差し支えないだろう。
そのセレディアが責任を取らなければならなくなるのは、さすがに違うのではないだろうか。
「……どうすればいいんですか?」
「簡単なことさ。ティンダロスの結界を、君の魔法で上書きしてやればいい」
「上書き?」
ガルムは天上を指差した。その先にあるのは、たくさんの亀裂が走り、今にも崩壊寸前の黒い魔力の結界である。これにメロディの魔法『よき夢を』を重ねがけして効果を上書きすることで、今回の事件をうやむやにできるだろうと、ガルムは告げた。
「あの魔法でそんなことができるんですか?」
「できなかったらセレディアが断罪されちゃうね」
「うう、分かりました。やってみます」
メロディは空に向かって魔法を発動させた。
「歌声に安らぎを添えて『よき夢を』」
マイカやセレーナは省略していた子守歌が周囲に響き渡る。『銀清結界』によって強化されたメロディの魔法が立ち上っていき、半球状の黒い結界が白銀に染められていく。
やがて結界全体が白銀の光を放ち、その効果は王都全域に解き放たれた。
「これはっ!?」
周囲の状況を確認しようと『天翼』で上空から王都を眺めていたメロディは驚愕した。
意識を失い倒れていた人々が動き出したのだ。彼は今も眠ったままで、夢心地のまま眠る前の行動を取り始めた。やがてゆっくりと意識が浮上し、彼らは自分達が眠っていた事実などなかったかのように、日常へと戻っていくのであった。
その光景を目にしたメロディは、喜ぶよりも前に少しばかり恐ろしいと感じていた。地面に降り立ち、ガルムに向き直る。
「上手くいっただろう」
「はい……でも……」
「そうだね。その気になれば人々を意のままに操ることも容易いほどの力を君は持っている」
メロディはガルムの言葉にドキリとした。『よき夢を』のおかげでセレディアが糾弾される可能性はほぼなくなったが、そのために使用した魔法の強制力に怖い物を感じたのだ。
「君は人々を助ける救世主になることもできれば、破壊神になることだってできるだろう。力の使い方にはより一層注意することだね」
「……はい」
緊張した様子で答えるメロディに、ガルムは笑いかける。
「あまり深刻に考える必要はないよ。君の周りには、君が間違えてもきちんと注意してくれる人がたくさんいる。一人で怖がらず、ちゃんと相談すれば大丈夫さ」
メロディは振り返った。今も眠り続けるルシアナとレクトの姿にほっとする。彼らなら自分が間違えたことをしてもきっと叱ってくれるだろう。
そんな信頼がこれまでの付き合いで培われていることがメロディはとても嬉しかった。
「あれ? そういえば、お嬢様とレクトさんはなぜ眠ったままなんでしょう?」
「たぶん、君が忘れてほしくないと思っているからじゃないかな。近しい人に秘密を抱えるのはつらいからね。まあ、しばらくすれば目が覚めるだろう」
ガルムの説明にメロディはホッと安堵の息をついた。
「それじゃあ、そろそろお別れの時間だね。メロディ、『通用口』の魔法を使ってもらえるかな。セレディアを寝室へ送りたいんだ」
「それは構いませんが、私、セレディア様の寝室の場所は分かりませんよ」
「僕が知っているから大丈夫だよ」
言われるままに『通用口』の扉を出現させると、ガルムが扉を開けた。その先は確かにセレディアの寝室へと繋がっているようだ。
「本来、私しか使えない魔法なんですけど、ガルムさんって規格外ですね」
「君に言われると何だか変な気分だね」
ガルムは寝室に入り、ベッドに体を預けた。扉越しにメロディと目が合う。
「それじゃあ、今度こそ本当にお別れだね」
メロディの瞳に、セレディアの体から白い魔力の粒子が抜けていく光景が映った。白い魔力は空に溶け、世界へ『還って』いく。
確かにもうガルムはこの場から消えてなくなるだろう。しかし……。
「他の弟さんが現われた時にまたお会いしそうな気がしますけど」
メロディがそう言うと、ガルムは可笑しそうにクスリと微笑んだ。そして、セレディアの体から 全ての白い魔力が抜けきり、セレディアは夢の世界へと旅立っていった。
ティンダロスの魔力が消え、ガルムの力もなくなったセレディアの擬態が解けた。白銀の髪と瑠璃色の瞳は元の茶色に戻ってしまう。
だけど、不思議とそちらの方が彼女らしくて可愛らしいとメロディは思った。
「おやすみなさい、セレディア様」
そう告げると、メロディは『通用口』の扉を閉じるのだった。
◆◆◆
メロディが『通用口』を消し、セレーナと分離した。さすがに奥義というだけあって、消耗が激しいらしい。メロディとセレーナはその場で膝を突いてしまった。
その光景を、夢を通してセレナとクラウドが見守っている。
「……そろそろ夢は終わりね」
「君の夢も消えてしまうのかい?」
「忘れないで、クラウド。私はずっとあなた達を見守っているわ」
「……彼女の中で?」
クラウドはセレーナを見つめる。
セレナは言った。セレスティとセレナの約束は、メロディとセレーナの約束でもあると。
「あの子はあの子、私は私よ。セレーナが私の代わりになるとは思わないでね」
「分かっているよ。俺が愛したのは君だから」
「……だけど、あなたがどうしてもセレーナのことが好きになっちゃったっていうなら、私がどうこう言える問題じゃないけどね」
少し拗ねたように言うセレナに、クラウドは微笑む。
「あの子も俺達の娘のようなものだろう? 君の面影はあっても、彼女は君にはなれない」
「……もう一人の娘も、愛してあげられる?」
セレーナが少しだけ心配そうに見上げると、クラウドは優しく微笑み返した。
セレナは安心したように微笑み――クラウドは目を覚ました。
セレディアに襲われた時と同じ、執務室で目を覚ました彼はセレディアの寝室へ向かった。
ベッド脇に腰掛け、眠るセレディアを見つめる。やがて彼女は目を覚ました。
「おはよう、セレディア」
「……あっ、おはようございます、おと……」
途中で唇が動きを止めた。何と呼べばいいのか戸惑った様子だった。目の前の少女はティンダロスの行ったことを覚えていないはずだ。だが、どこかに断片のような物は残っているのかもしれない。セレディアはどこかつらそうに『お父様』と呼ぶことを躊躇っていた。
「いいんだ。今まで通り、私は、君の父親だから」
「でも……」
セレディアは知っている。自分がそうでないことを。なぜそんなことをしようと思ったのか今では不思議と思い出せないけれど、自分は彼の娘ではないのだ。
クラウドは首を横に振った。
「今まで不甲斐ない父親ですまない。だがようやく心が据わった。セレディア。君の名前はセレディア・レギンバースだ。私の娘になってくれるかい、セレディア」
セレディアは何と返せばいいのか分からなかった。だけど涙が止まらなかった。
「私はセレディア。セレディア・レギンバース……」
「今日から、私達は親子になろう。きっと最初はお互いぎこちないだろう。すれ違うことも多いだろう。だから少しずつ、私は君と親子になっていきたい。ダメだろうか、セレディア」
セレディアは何度も首を横に振った。
「……はいっ、お父様」
ああ、これだとセレディアは思った。初めて会った時、私はこの顔が見たかったのだと。
ギュッと胸が締め付けられる。だけど同時に、近くで誰かが「よかったね」と微笑んでくれている気がした。
◆◆◆
王都の空から白銀の結界が消えていく。それを見上げる老婆が一人。老婆は微笑み、小さな雑貨屋へ入っていく。
そして、その雑貨屋は蜃気楼のようにゆらめき、やがて消えてしまうのだった。
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