第19話 メロディの悪夢
10/9 第8章全話一括公開!
クラウドの手を引く少女が自らを白瀬怜愛と名乗ってからしばらくの時間が経過していた。それからもクラウドは怜愛に導かれるまま果てなき闇の世界を歩き続ける。
彼の瞳に映るのは怜愛の細い手首と、反対の手を握って連れ合う愛するセレナの姿だけだ。
「一体どこまで進むんだ?」
「……もう少しです」
端的に答えを返し、怜愛は無言でクラウドの手を引いた。
歩きながらクラウドは悪夢の世界を見回す。終わりがどこにあるのか全く見ることのできない闇の空間。自分達以外の音もなく、匂いもせず、こんなところに長く一人でいたら正気ではいられないかもしれない。
(たとえ怜愛やセレナがいたとしても、こうして自分自身を目にすることができなければ不安で狂っていてもおかしくない。セレナが見せてくれた夢が私を守ってくれているんだ)
改めて愛するセレナの偉大さが身に沁みるクラウドである。それだけに、今こうして手を繋いでいる彼女が夢の存在であるという事実が悲しくもある。だが、今はその話ではない。
(この悪夢の世界で私はセレナに守られている。では、怜愛は……)
彼女の姿は闇に呑まれている。手首が見えるのはクラウドに宿る光が当たっているからで、今の怜愛は暗闇の中を歩いているのだ。それはどれほどの恐怖だろうか。
「怜愛、君はこの悪夢の世界にいて平気なのか?」
「……ええ、ここはセレディアの悪夢の世界です。その一部である私は、この世界で迷ったりはしません。逃げることはできないんです……だから、大丈夫」
(それは大丈夫とは言えない気がするのだが……)
怜愛の言い分は、つまり彼女自身はこの悪夢に囚われているも同然という意味に聞こえた。良くも悪くもここは彼女の縄張りだから、道案内に困らないのだという……それは悲しいことだと、クラウドには思えた。
「怜愛さん、ずっと案内をしてくれているけれど、この世界に出口なんてあるのかしら。ここは、悪夢の中なのよね?」
セレナが不思議そうに尋ねた。クラウドもハッとする。言われてれば、悪夢に逃げ道など用意されているものだろうか。クラウドは手首の先にあるであろう、白瀬怜愛の姿を見つめた。そして、怜愛は小さくため息をついて話し始める。
「……ないですよ、出口なんて」
「「――っ!?」」
「全ての人の心は夢で繋がっています。だけど一度堕ちたが最後、もう戻ってこられなくなる場所もあるんです。そして、ここがそう。セレディアを構成する一人、ティンダロスの悪夢の世界」
「ティンダロス……?」
「あなたが初めて会った時から、セレディアとして表層に出ていたのはティンダロスです。ここはあの子の悪夢の世界。自分ではもうどうすることもできない袋小路の世界です」
「どうすることも……その、ティンダロスとやらの悪夢とは一体……」
「耳を澄ませてみれば聞こえますよ」
闇に包まれた無音の世界。クラウドとセレナは言われた通りに耳を澄ませてみた。
やがて、ざわざわと声が聞こえてくる。小さくか弱い声音がどこからか聞こえてきた。
『どうして、どうして……』
「クラウド……」
「……ああ」
それはまるで幼い子供のような声だった。男の子か女の子か、判別は難しい。
だが、その子供が何と言っているのかだけは理解できた。
『どうして……誰も愛してくれないの?』
クラウドの胸がギュッと締め付けられるようだった。まるで自分が問い掛けられているような、悲しい気持ちが溢れ出てくるような、そんな儚げな嘆き。
「怜愛、これは……」
「結局、あの子の叫びはこれだけなんです。どんなに外で悪態をついても、生まれた時から本当にほしいものはそれだけで、だけどずっと手に入れられなかったもの。セレディアとして生きても、それは手に入らなかった」
心臓を抉られるように心が痛んだ。クラウドには心当たりがあったから。出会った瞬間、自分の娘だと思えなくて素っ気ない態度を見せてしまった。歩み寄ろうと考えたこともあったが、セシリアのことが気になって、本当に彼女と向き合うことは今日まで一度もなかった。
それは、メロディ・ウェーブがセレナとの本当の娘だと分かってからも何も変わらない。変わらないから、セレディアが変わるしかなかったのかもしれない。
「ティンダロスの悪行を止めたかったけど、一部では私も共感していたから本気で止めることができませんでした。誰かに愛されたいって気持ちは、私にだってあるから」
「……怜愛さんにも好きな人がいるのね」
セレナの問いに怜愛は沈黙を返した。しかし、それがもう答えだったのだろう。
(誰かに愛されたい。ああ、そうだ。そんなことは誰もが願うことだ。私だってセレナに愛されたいし、娘のセレスティ、今はメロディか、彼女にだって愛されたい……そんな気持ちを、止められるわけがない)
「セレディアの肉体の本来の心、レアもまた誰かに愛された記憶を持たない孤児の少女でした」
「まあ」
「そこに私、怜愛が現われ、そしてティンダロスが宿った。ティンダロスは私達を奥に仕舞い込んで自分が肉体の主導権を握っているつもりかもしれませんが、実際には私達は三人で一人の人間です。でもだからこそ、愛を知らない二人の心は共鳴してしまった。私がその穴を埋めてあげられればよかったんですが、私の記憶は欠落だらけで二人を支えることができませんでした」
「記憶が欠落しているのか?」
「……これ、お宅の娘さんのせいなんですからね」
「セレスティの?」
「彼女の魔法が随分と中途半端に発動したせいで、私の記憶は断片的にしか残っていないんです。両親に愛された記憶はありますが、思い出がないせいで二人を説得できませんでした」
暗闇から大きなため息が聞こえた。クラウドとセレナは互いを見合わせる。自分達の娘は一体何をしてしまったのだろうかと。
そんなことを考えているうちに、怜愛の足が止まった。
「さっき言いましたよね、この悪夢に出口はないって」
「あ、ああ」
(それじゃあ、どうして私達はこんなにも歩き回ったんだ?)
「この世界は袋小路で出口はありませんが、入ることならできます。だから私はその誰かが誘い込まれるのを待っていたんです」
「つまり、歩く必要はなかったと?」
「こんな闇の中で突っ立ってるだけじゃ退屈でしょう?」
「う、うーむ」
言わんとすることは分からなくもないが、クラウドは微妙に納得しづらかった。
『うええええええええん、うええええええええんっ!』
「「――っ!?」」
突然暗闇の中で、幼い子供の泣き声が響き渡った。クラウドとセレナはギョッと驚く。
「……私、さっき言いましたよね。私の記憶が断片的でティンダロスを説得できなかったのは、お二人の娘さんが私を中途半端に覚醒させたせいだって。つまり、この状況の半分はその子にあるということです」
「そ、それは……そうなるのか?」
「もちろんです。そして、子供の責任は親の責任だと思いません?」
「……つまり?」
「あの子の両親であるお二人には、親の責任を果たしてほしいということです」
いつの間に移動していたのか、怜愛はクラウドとセレナの背中をポンと押した。されるがままに前に出る二人。二人は戸惑いながらも泣き声のする方へ歩いた。
やがて、闇の中で仄かに白銀の光を纏う小さな少女の姿が目に入る。クラウドはゆっくりと目を見開いて、その少女を見つめた。
「ああ……セレスティ」
口元を押さえ、涙目になったセレナは全力で泣きじゃくる幼子をそう呼ぶのであった。
◆◆◆
『それじゃあ、行ってきます、お父さん、お母さん』
『向こうで体を壊さないよう気を付けるんだよ』
『分かったわ、お父さん。英国に着いたら連絡するわね』
『もう、何を言っているの、律子。まずは空港に着いたら連絡なさい。日本の空港よ』
『お母さんたら心配しすぎよ。でも分かったわ。空港に着いたら連絡するね』
(……そうだ。快く見送ってくれた両親だけど、出発前はちょっとだけ騒がしかったっけ)
メロディは、自分の前世である瑞波律子とその両親のやりとりをどこか遠くから見つめているような心地でいた。
キャリーケースを引いて、律子が歩き出す。両親に手を振って、駅へと向かう。その後ろ姿を見た時、メロディは思わず叫んでしまった。
(行ってはダメ! 行っちゃダメよ、私! 戻ってきて! そうしないと、そうしないと……!)
『きゃああああああああああああああああ!』
(――っ!?)
場面は唐突に切り替わった。瑞波律子は飛行機に乗っていて、機内は大きく揺れていた。たくさんの悲鳴が響き渡り、隣の席に高校生カップルは互いの手を繋いで励まし合っていた。
だけど、律子は一人で蹲ることしかできない。
(あああっ! ダメ! こんなのダメ! 私には夢があったのに! お父さんやお母さんにもう会えなくなるなんて考えたこともなかったのに! こんな、こんなことで――)
瞬間、世界は真っ白に染まり、瑞波律子の人生は幕を下ろした。光に包まれるばかりで痛みを感じる暇もなかったことは不幸中の幸いだと言ってよいのだろうか……。
『あら、今日のセレスティはご機嫌ね。何かいいことでもあったのかしら?』
『うん! でも、ひみつなの! その時が来たら教えてあげるね!』
『あらあら。なら、楽しみにしているわね』
『うん!』
(ううん、今言うべきよ。そうしたらお母さんに私の夢を知ってもらえて、手紙なんかじゃなくて直接言ってもらえるはずなんだから。早く言った方がいいよ、私。メイドになるのが夢だって。急がないとダメだよ。だって、だって、お母さんは――)
『お母さん、お母さん!』
『セレスティ……ごめんね。手紙が……あるから、読んで……ちょうだ、い……――』
『お母さああああああああああん!』
(あああっ、お母さん! いやいやいや! 死なないでお母さん! 私を置いていかないで!)
「わたしを、おいていか……ないで……」
セレディアの黒い魔力の大波に呑み込まれたメロディは、悪夢の世界に取り込まれた。いくら守りの魔法が付与されたメイド服があるとはいえ、夢の中でまでメロディを守ることはできない。
魔法が使えないメロディは、その辺りにいる少女と何も変わらなかった。悪夢の力によってメロディは何度も過去の悲劇を体験させられているのだ。
つらい過去を再現され、嘆き、だけど何一つ変えられなくて、永遠にずっとそれの繰り返し。本来なら、セレナの守りがなかったクラウドも辿るはずだったものを今メロディは経験していた。
やがてメロディの心に限界がやってくる。つらい記憶と関わりたくないという思いが、メロディを護るためその心に蓋をしていく。
前世の記憶を閉じ込めて、母セレナとの別れも忘れて、そのためにメロディの心はどんどん幼くなっていった。前世の記憶を持たない、母セレナが健在だった頃まで心が逆行していく。
十五歳の少女メロディは……前世の記憶を思い出す前の六歳の幼女セレスティへと。
「うええええええええん、うええええええええんっ!」
全てを忘れてしまったセレスティは、子供らしく大声で泣き出した。突然真っ暗な空間に一人になれば泣きじゃくって当然である。前世の記憶も、十五歳まで生きた記憶も失った今、セレスティはただの少女だった。
「セレスティ」
後ろから優しい声が届いた。それはセレスティがよく知る声で、彼女は徐々に泣き止んでいく。
振り返れば、そこには愛する母セレナの姿があった。
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