第18話 その名は魔王ティンダロス
10/9 第8章全話一括公開!
時間は少し遡る。材木商への挨拶を終えたメロディとレクトがルトルバーグ邸に帰ってきた。
相談をするため、全員が調理場に集まって報告を始めた。
「ただいま戻りました、お嬢様」
「お帰りなさい、メロディ! 材木商はどうだった?」
「挨拶は滞りなく。我が家の規模くらいなら準備に問題はないそうです。レギンバース伯爵様の紹介状があったのも助かりました。レクトさん、ありがとうございます」
「いや、俺なんて」
「ホントね、助けてくれたのはレギンバース伯爵様だものね」
「もう、お嬢様!」
「つーん!」
相変わらずレクトには冷たいルシアナお嬢様である。小さくため息をつきつつ、メロディはセレーナの方を見た。
「セレーナ、必要な材木の数はどれくらいになりそう?」
「こちらに集計結果をまとめてあります」
報告書を確認すると、材木商から聞いていた数字と比べて大きな違いはないようだった。これならば今からでも雪囲いに間に合うだろう。
「ありがとう、セレーナ。これなら何とかなりそう……あれ? マイカちゃんとリュークは?」
今になってメロディはマイカとリュークが不在であることに気付いた。
「それが、マイカはお花を摘みに行くって言ったきり帰ってこないのよ。どこ行ったのかしら」
「リュークもその直後から姿が見えないんです。二人ともどこへ行ってしまったのか」
皆でマイカ達を心配している時だった。いきなりドンッ! という大きな音が聞こえ、地面が揺れたように感じた。
「な、何!? 地震!?」
「分かりませんが、一旦外に出た方がいいかもしれません」
メロディはグレイルを抱き上げると皆と一緒に正面玄関の方へ走った。もしも本当に地震なら建物からできるだけ離れた方がいい場合がある。特にこの屋敷は石造りなので、建物が倒壊すれば生き埋めになる可能性が高い。
正面玄関を抜けた先なら開けた空間が広がっているので安全だろうと考えた。
だが、玄関から外へ出たメロディ達は驚愕してポカンと空を見上げることしかできなかった。
「……なんでしょう、あれは」
セレーナは思わず呟いた。屋敷から少し離れたところから真っ黒な魔力の柱が立ち上っており、そこから魔力が半球状になって王都全体を包み込んでいた。それはあたかも結界のように。
(あの方角、レギンバース伯爵邸の近くじゃないのか。閣下達は大丈……うっ)
やがて黒い魔力の結界が王都全域に覆い被さる頃、メロディの隣に立っていたレクトが急に膝から崩れ落ちた。
「レクトさん!?」
「ぐっ……」
体がふらつき、レクトは今にも意識が奪われそうだった。何が起きたのかと不安がるメロディ達。その時、ルシアナが持つ扇子がひとりでにハリセンへと姿を変えた。
「いきなり何?」
なぜルシアナの魔力もなしにハリセンに変身したのか。訳が分からずにいると、何となく状況を察したメロディは瞳に魔力を集めてレクトを見た。そこには彼を押し潰そうとする黒い魔力の存在が確認できた。
「お嬢様、そのハリセンでレクトさんを叩いてください!」
「うん! くらえええええええ!」
「がはあああああっ!」
ルシアナのハリセンチョップがレクトの脳天に炸裂。『聖なるハリセン』の特性上、ダメージはないはずだがレクトはしばし頭を抱えていた。
だが、その甲斐もあってレクトを包み込んでいた黒い魔力は霧散したようだ。
「だ、大丈夫ですか、レクトさん」
「ああ、おかげで意識がはっきりした。助かった、ありがとう、ルシアナ嬢」
「べ、別にあなたのためにやったんじゃないから。勘違いしないでよね!」
「お嬢様、そんな変な言い方どこで覚えてきたんですか?」
ちなみに、ルシアナは嬉嬉としてレクトにハリセンチョップをお見舞いしていたので、これっぽっちもまったくツンデレではない模様。勘違いのしようもなかった。
「あと、私とセレーナにもハリセンをお願いします。お嬢様は私が叩きますね」
「メロディ達にも必要なの? 私達にはメロディの守りの魔法があるでしょう?」
「残念ながら守りの魔法はあまり精神攻撃には効果がないんです。そういう魔法は想定していなかったので、魔法が使えるように戻ったら次の課題ですね」
メロディの瞳はレクトだけでなく、メロディ達全員に黒い魔力が纏わり付いているのを把握していた。守りの魔法のおかげでレクトよりは多少の耐性はあるだろうが、それも時間の問題だろう。
というわけでルシアナのハリセンで全員から黒い魔力を払いのけることができた。
状況が落ち着いたので全員は改めて周囲の様子を窺う。まるで厚い雲に覆われたように辺りは薄暗い。王都全体を覆った黒い魔力の結界のせいだろう。
ここからでは屋敷の外の人達の様子は窺えないが、とても静かだった。先程のレクトの様子から察するに、自分達以外は皆、意識を失っているのではないだろうか。
メロディ、ルシアナ、セレーナが無事なのはおそらく身に着けている服にメロディの守りの魔法が付与されているおかげだろう。
メロディは抱っこしているグレイルを見た。ちょっと不機嫌そうに大人しくしているが、眠ってはいないようだ。犬は対象外なのかしらと、メロディは首を傾げる。
「メロディ、これって……」
「はい。王都全体が黒い魔力に包まれています」
(今まで王都で遭遇したどの魔物にもできることじゃない。こんなことができるのは……)
メロディの脳裏に、もうすでにいないはずの巨大な黒い狼の姿が思い浮かんだ。
「おい、あれ!」
レクトの言葉にハッとして、彼が指差した上空を見上げると、黒い結界の天井から黒い蜜のようなものがドロリと伸び、それはメロディ達の目の前に垂れ落ちてきた。
最後にはそれは弾け飛び、見覚えのある人物が姿を現した。白銀の髪と瑠璃色の瞳を持つ少女、セシリア・レギンバースである。真っ黒なドレスに身を包み、雨が降っているわけでもなければ太陽が燦々と照りつけているわけでもないのに日傘を差している姿は異様に感じられる。
こんな状況だからだろうか、普段のセレディアとは何もかも違う気がして、この場にいる全員が息を呑んだ。
「皆様、ごきげんよう」
「……セレディア様」
クラスメートの挨拶に、ルシアナは思わず彼女の名を呼んでいた。まるで確かめるかのように。
名を呼ばれたセレディアは、いつもの儚げな笑顔とは異なる妖艶で嗜虐的な笑みを浮かべた。
本能的な危機感を覚えたルシアナはサッとハリセンを構える。
「レクトさん、銀の武器を」
レクトも剣を構えようとしたが、メロディの助言で携帯していた銀製の剣に持ち替えた。
メロディは魔力を集めた瞳でセレディアを見た。全身が膨大な黒い魔力に包まれており、今は魔法が使えないせいだろうか、メロディでさえ恐怖で怖じ気づきそうなほどに強い力を感じる。
「わんっ!」
グレイルの鳴き声が聞こえて、メロディは我に返った気がした。少しだけグレイルを抱きしめる腕に力がこもり、さっきよりも冷静な瞳でセレディアの動きを観察できた。
「お嬢様っ」
「大丈夫よ、メロディ」
ルシアナは気負うことなくハリセンを構えていた。以前に領地でガルムと戦った経験のおかげか冷静にセレディアに対することができた。普段よりは緊張するものの、騎士のレクトも同様だ。臆して怯んだりはしない。
「皆様、勇敢ですのね」
「セレディア様、お体の方はもう大丈夫なんですか」
「ええ、もうすっかり。この程度のことができるくらいには回復しました」
彼女がそう言った瞬間、セレディアが差していた日傘の内側から黒い魔力でできた触手のような物がいくつも現われた。まったくの想定外の現象に、誰もが対処を遅れてしまう。
現われると同時に四本の触手がメロディに、正確には彼女の胸に抱かれたグレイルに向かって高速で撃ち出された。
「――っ!」
メロディの瞳には黒い魔力の動きがはっきりと見えていた。冷静に一歩後退し、最初の一本を回避するメロディ。彼女の行動はこれで十分だった。
一瞬生まれた隙をついて、レクトは魔力を籠めた銀剣を振り下ろし、触手の一本を破壊した。残りの三本を『聖なるハリセン』を持つルシアナがスパパパンッ! と打ち据え、四本の触手はメロディに辿り着くことなく消滅してしまうのだった。ちなみに、セレーナはいざという時に魔法を使うことも辞さない心構えで、メロディのそばに控えている。
「あら、皆様お見事ですこと」
「セレディア様! どういうおつもりですか!」
ルシアナが声を荒げて問い掛けても、セレディアはクスクスと笑うばかりで答えてはくれない。
だが、彼女の視線はずっと固定されたままだった。じっとメロディを見つめていた。実際にはグレイルを見つめているのだが、さすがのルシアナもその考えには至らなかった。
「本当に王都は人材の宝庫ですね。私の結界の中で意識を保っていられるどころか、私の魔法に抗う力さえ持っているなんて。一体その力はどこで手に入れたのかしら。ふふふ」
ルシアナはハリセンを持つ手の力を強めた。
(やっぱり、理由は分からないけどセレディア様はメロディを狙っている? メロディの魔法を封じた魔物も彼女の差し金だっていうなら、この状況は……)
「メロディ、私とヘタレ騎士でセレディア様を止めるから、その隙にメロディとセレーナはここから離脱してちょうだい」
「お嬢様っ!?」
「ルシアナ嬢の言う通りだ。ここは俺達に任せて二人は下がってくれ」
「レクトさんまで!?」
「セレーナ、メロディをお願い」
「……畏まりました」
「セレーナ!? 待って! お嬢様、レクトさん!」
グレイルを抱いているメロディの片腕を掴むと、セレーナはやや強引にメロディを屋敷の中へと引っ張っていく。グレイルを片手で抱いているせいでかなりバランスが悪く、混乱していることもあってメロディはセレーナに腕を引かれるまま屋敷の中へと姿を消してしまうのだった。
「あら、涙ぐましいこと。私、感動してしまいましたわ」
涙を拭うような仕草をしてみせるセレディア。もちろん実際に泣いてはいない。
「……セレディアお嬢様。旦那様やセブレはどうしたのですか」
王都に立ち上った黒い魔力の柱。あれはおそらくレギンバース伯爵家からだったのだろう。であれば、そこの住人はどうなったのか。レギンバース家に仕える騎士として気にならないはずがなかった。
「ふふふ、ご安心くださいませ。彼らは屋敷で私の帰りを待ってくれていますわ。王都を掌握したら私のよき駒として存分に働いてもらうつもりですの。無体は働いておりませんから安心してください。レクティアス様、あなたもすぐその列に並んでいただきますわ」
「――っ」
その話しぶりから、彼らはただ眠っているわけではないとレクトは察し、思わず銀剣を強く握りしめた。
こちらを見下すように微笑むセレディア。ルシアナは眉間にしわを寄せてセレディアに問うた。
「……あなた、誰? セレディア様じゃないでしょう」
セレディアの動きがピタリと止まった。そして再び笑い出す。
「ふふふ、私が別人に見えるのね、ルシアナ様……私は私、何も変わっていやしない。だけど、そう問い掛けるのなら答えてあげましょう……我の本当の名前を」
口調が変わった。身構えるルシアナとレクト。そしてゾクリと背筋に寒気が走る。
セレディアの周りを、ルシアナ達でさえ可視化できるほどに濃密な黒い魔力が纏わり付いていく。やがてそれは、狼の頭部を象ったような姿となり、セレディアは告げた。
「我が名はティンダロス。魔王ティンダロス! 覚えておくがいい、小娘。あれをこの場から逃がして機転を利かしたつもりだろうが、そのようなこと我にとっては些事に過ぎぬということを!」
セレディア、いや、ティンダロスは手にしていた日傘を勢いよく空に放り投げた。
向かってくるかと身構えるルシアナだったが、ティンダロスは一歩も動く気配がない。緊張しつつも訝しんだ彼女は、隣に立つ騎士が呆然と空を見上げていることに気が付いた。
「あんた、今目を離して何を……え?」
チラリと空を見た瞬間、ルシアナの思考は停止した。てっきり隙を作るために投げだしたかと思った日傘から、黒い魔力が濁流のように溢れ出ていたのだ。
「な、何あれ?」
「魔王の力は災害に等しきもの。人間の小手先で防げるなどと思わぬことだ」
◆◆◆
「セレーナ、待って!」
「待ちません! 今は一刻も早くこの場を離れなくては。そして、助けを呼びませんと」
「助け……」
そう言われてもこんな状況で誰に助けを求めればよいのだろうか。その時、ふっとメロディの脳裏に浮かんだ顔があった。
(……こんなこと、レギンバース伯爵様にお願いしたってどうにかなるはずないのに)
これまでセシリアとしてお世話になってきたからだろうか。セレーナを助けてもらった恩もあるのかもしれない。彼女が助けを求める相手として最初に思い浮かんだ人物は、確かにクラウド・レギンバース伯爵その人であった。
「裏口から屋敷を出て、どこかに助けを求めましょう。魔法が使えない状態の私達ではとても太刀打ちできません」
「でもそれはお嬢様だって」
「今の私達よりはずっとマシです」
メロディはグッと歯を食いしばった。もっと早く魔法の力を取り戻していれば、自分が戦ってルシアナを逃がすことだってできたはずなのに。そう思うと悔しくて仕方がなかった。
裏口に辿り着き、メロディとセレーナは屋敷の外へ出た。とはいえ二人もまだ考えがまとまっていない。どこへ行こうか思案しているとメロディはふと声を聞いた。
「……来たぞ、上だ」
「上?」
その声はどこから聞こえたのか。この場にいるのはセレーナだけだというのに、男性のような声が耳に届いた。言われるままに空を見上げると、メロディは無言のまま目を見張る。
「お姉様?」
それを訝しんだセレーナが同じく空を見上げると、やはり彼女も沈黙し、そして驚愕した。
黒い魔力の大津波が、ルトルバーグ邸を軽々と飛び越えて襲い掛かろうとしていた。
「――あっ」
「お姉様っ!」
セレーナは手を伸ばしたがもう遅かった。二人は黒い魔力の大波に呑まれ、悪夢の世界へと流されていくのであった。
よかったらブックマーク登録・☆評価・リアクションボタンなどで作品を応援していただけると嬉しいです。執筆の励みになります。




