第10話 待ち望んだ再会
10/9 第8章全話一括公開!
「レギンバース伯爵様、このたびは危ないところを助けていただきありがとうございました」
体調が戻ったセレーナはルトルバーグ邸へ帰ることになった。医者の見立て通り特に悪いところもなく、目が覚めたら体が軽くなったのだという。
「睡眠不足だったのかもしれませんね」
侍女長の推測にみんな頷くしかなかった。
メロディとセレーナは後日改めてお礼を言いに伺うと告げたが、それはクラウドが断った。宰相補佐まで務める伯爵が平民から礼品をもらったところでたかが知れているからというのが伝えられた理由だが、本当はこれ以上この二人に心を揺らされるのはよくないと感じたからだった。
ただでさえ、実の娘であるセレディアへの態度にまずさを感じているにもかかわらず、セシリアに続いてセレナによく似た女性や、よく分からないがセシリア同様に気になる少女が現われたとなると、クラウドとて罪悪感でどうにかなってしまいそうである。
だから、二人とは客室で挨拶を交わして、見送りはレクトと侍女長に任せることにした。
玄関が見える通路の窓から、クラウドはメロディとセレーナの背中を追う。
……寂しい。理性では二人を見送るしかないと理解しているのに、心はそれを拒んでいた。
(あの娘達に、私は何を感じているのだろうか。なぜ、彼女達なのだろうか。どうしてセレディアではないのだろうか。セレナがいてくれたらこんな思いはせずに済んだのだろうか……)
「君が隣で俺の名を呼んでくれたら、こんな気持ちにはきっとならないのだろうな……」
『……クラウド』
脳裏に響くその声に、クラウドは今日一番心を揺さぶられた。視線はメロディ達へ向けられたまま、クラウドの瞳がゆっくりと見開かれる。
そして彼は、声の聞こえた方へゆっくりと振り返った。
「……これは、夢か?」
『そう、これは夢。儚い幻よ。あなたは今、夢を見ているの』
クラウドの隣に一人の女性が立っていた。茶色の髪をふわりと下ろした、瑠璃色の瞳を持つ大人の女性だ。ちょうど、セレーナが年を重ねればこんな容姿になるのではないかと思わせる姿。
その人物をメロディが目にしたらこう呼んでいたことだろう。
――お母さん、と。
「……セレナ」
『お久しぶりね、クラウド。ちょっと見ない間に老けちゃったわね。でも、格好いいわ』
「……君は一層美しくなった。それとも、夢だから少し若くみせていたりするのか」
『あら失礼ね。ちゃんとこれが私の最期の頃の姿よ』
「最期の……」
(夢の中だというのに、それでも君は告げるのだな。君はもういないのだと……)
「……触れても、いいかい」
『ええ、どうぞ』
セレナはそっと右手を差し出した。クラウドはその手を取り、くしゃりと表情を歪ませる。
「温もりを感じる。君に触れられる……のに、君は幻だというのか?」
『これはあなたが見ている夢であると同時に、私が見ている夢でもあるの。二人が一つの夢を共有しているからこそ、私達だけはこうして触れあうことができる』
セレナはクラウドの手を自分の頬に寄せた。身を任せたクラウドは誘われるままにセレナの頬に手のひらを触れさせる。柔らかく、温かい感触が伝わってくる。そして、瞳から流れる雫の温もりが手のひらを塗らした。
『ずっと、あなたにこうしてほしかった……先に死んじゃって、ごめんなさい』
「セレナッ!」
クラウドはセレナを力強く抱きしめた。夢だと言われようと知ったことではない。他の者が目にすれば何もないところを抱きしめている不審者に見えるかもしれないが、そんなことはどうでもよかった。
セレナはクラウドに身を任せ、細い両の腕を彼の背に回した。クラウドの胸板に顔を埋め、十数年ぶりに愛する人の抱擁を堪能する。それはクラウドにとっても同じだった。
沈黙したまま、しばし二人はお互いを抱きしめ合うのだった……。
「いまだに君が幻だなんて信じられない……いつか君は消えてしまうのか」
『元々それほど長く姿を維持することはできないわ。もう、いつ消えてもおかしくないのよ。夢ってそういうものでしょう?』
「そんな……」
ひとしきり抱擁を堪能した二人は、ようやく冷静さを取り戻していた。悲しむクラウドへセレナは優しく微笑みかける。
『大丈夫よ、姿は見えなくても私はずっとあなた達を見守っているから』
「あなた達……」
セレナの言葉にクラウドは表情を歪めた。
「すまない、セレナ。俺は、君との子を……」
『うん、だからね、さすがにちょっと可哀想に思えたから正してあげようと思ったの』
「正す? 何のことだ?」
訝しむクラウドの隣で、セレナは窓から見えるメロディ達の方へ顔を向けた。
『見ててね、クラウド。勘のいいあなたならきっと一瞬で理解できるわ』
「何を言って」
セレナはスッと息を吸うと――。
『セレスティ』
――窓の向こうの少女達の方へ向けて、その名を呼んだ。
「――っ!?」
クラウドの背筋がぞわりと総毛立つ。セレナが言う通り、彼はその光景で理解してしまった。
セレナが呼ぶ『セレスティ』という声にいち早く反応したのは黒髪のメイド、メロディだった。
それはまるで先程の自分を見ているようだった。声が聞こえた瞬間、信じられないとでも言いたげにそっと背後を振り返った少女の表情は、セレナを求めていた自分と同じに見えた。
「セレナ、まさか……」
『あの子こそが私とあなたの間に生まれた可愛い娘、セレスティよ』
メロディと名乗ったメイドの少女、本名セレスティは、周囲を何度か見回すが気のせいだったのかとでも言うようにあからさまにガックリと肩を落としていた。
「……あの子には君は見えていないのか」
『ええ、この夢を共有しているのは私とあなただけ。声だけなら空耳のように聞こえることもあるでしょうけど、それ以外は難しいわ』
その言葉に、やはりこれは夢、幻なのだとクラウドは理解した。
「私がずっとセレディアのことで悩んでいるのを知ったから、現われてくれたのかい?」
『……今回はたまたま巡り合わせがよかっただけよ』
照れ隠しだろうか。セレナは少しだけ顔を赤くして言った。そしてクラウドは思う。
(あの娘、メロディがセレスティだというのなら……セレディアは何者なんだ)
愛するセレナが言うのだからメロディがクラウドの娘で間違いないだろう。では、騎士セブレが見つけて連れてきたセレディアは何者だというのか。
(ここに来る前に故郷の街で挨拶をしてきたと聞いたはずだが、嘘だったのだろうか? だが、セブレはその手の策略を巡らせるタイプではない。ではまさか、セレディア自身が? しかし……)
真実を知った今、なぜ自分がセレディアに心動かされなかったのか理解した。だからこそ、クラウドの心にセレディアへの疑念が生まれ始める。
しかし、そんなクラウドの手をセレナはそっと握りしめた。
「セレナ?」
『どんな形であれ、あなたはセレディアちゃんを引き取った。その事実を忘れないで、クラウド。あなたはあの子の父親になったの。あの子のことをちゃんと見てあげて』
「だが、彼女は……」
『どのみち、セレスティがあなたの家に入る可能性は低いんだから、まずはセレディアちゃんとしっかり仲良くなる方法を考えた方がいいわ』
「え? それはどういう意味だ」
『あの子、理由は分からないけどメイドになることが夢だったみたいなの。メイドの仕事をするのに伯爵令嬢の地位は足枷にしかならない。だから容姿と名前を変えてルトルバーグ家でメイド人生を謳歌してるのよ』
セレナの説明にクラウドはショックを受けた。
『ちなみに、あなたが時々会っていたセシリアという娘もセレスティの変装よ』
クラウドはさらにショックを受けた。
「……彼女は自分の出自を知っているのか?」
『ええ、私が残した遺書に書いておいたから』
「……では、彼女は私が実の父親だと知りながら他人の振りをしていたと?」
セシリアの無垢な笑顔が思い出され、クラウドはさらにさらにショックを受けた。
『それはないわ。えっと、悲しい事実だけど、あなたが父親だってことにあの子、全く気が付いていないみたいなの』
「は? 遺書に私のことも書いたんだよな?」
『ええ。だから魔法で髪色を変えたりして変装したんだもの。ただ……』
「ただ?」
『メイドになる夢が叶った時に、嬉しさのあまりあなたのことが完全に記憶から抜け落ちちゃったみたいなのよね……』
「……え?」
クラウドは胸を押さえて膝から崩れ落ちた。
『が、頑張れ、クラウド!』
「頑張れるわけないだろうっ!」
これは最早ショックどころの話ではなかった。好きの反対は嫌いではなく、無関心だとよく言われるが、自分はこれに当たるのではないかと、クラウドはかなりの衝撃を受けていた。
『……あっ、ごめんなさい。そろそろ時間だわ!』
「えっ!? さすがに唐突過ぎないか? もう少し感動的な余韻とか」
『またいつか会える日が来るといいわね。それじゃあ、見守ってるからしっかり生きてね!』
セレナは地面に膝を突くクラウドの額にキスをすると、笑顔を浮かべたまま空気に溶けて見えなくなってしまうのだった。
「……いつも唐突にいなくなるな。本当に、君らしい」
額に触れた唇の感触を心に刻み、クラウドは立ち上がった。窓を見るとメロディ達は馬車に乗り込んで帰るところのようだ。
そして、彼の視界にレクトの姿が映る。
「……レクティアス。お前、このことを知っていたな」
メロディとセシリア、そしてセレーナとも懇意にしているあの男は、状況的に知らなかったとは思えない。いや、知っているからこそ隠していたのだ。
(娘の希望を考えれば言えなかったのは理解できるが……)
感情が許せるかというと、それはまた別の話である。窓の向こうからクラウドはレクトを睨み付けた。その直後、レクトの背中に悪寒が走ったかどうかは、本人のみが知ることである。
◆◆◆
同じ頃。自室にて伏せっていたセレディアは何となく屋敷全体が騒がしいことに気が付いた。
(何だ? 何かあったのか……?)
無理をして魔物の配下を生み出す代償に、ベッドから起き上がれなくなっているセレディアには屋敷の動向など分かるはずもない。
だが、部屋に閉じ籠っていても伝わる雰囲気に何かを感じたセレディアは、さらに魔法を行使して扉の向こうの声を拾ってみることにした。
『旦那様がお嬢様と同じくらいの少女を屋敷に連れ込んだって聞いたけど、本当か?』
『いや、急病人を見つけて連れ帰ったらしいぞ。サイラス様が医者を手配していた』
『なんだ、じゃあ、変なことじゃなかったんだな』
『いや、だが、サイラス様や侍女長がかなり厳しい目で旦那様を見ていたって話だぞ』
『それって、急病人を助けたのは事実だけど、旦那様の好みの女性だったってこと? お嬢様と同じくらいの年齢なんでしょう?』
『なんでもその助けた娘、亡くなったセレディア様の母君によく似ているんだってさ』
『ええ? そういうことなの?』
『だが、体調が戻って家の者が連れ帰ったって聞いたぞ』
『目を覚ますまでずっとその子の部屋から出てこなかったとも聞いたわよ。おかげで侍女長様も客室から出られなくて大変だったって』
『そんなことが? 実の娘のセレディア様だってずっと伏せっているのにお見舞いなんて数えるほどしか来てないんじゃなかったか?』
『ちょっと、めったなことを言わないで。セレディア様に聞かれたらどうするの?』
『お、おお、すまん』
セレディアは魔法を解いた。大体何があったのか把握し、セレディアはため息をつく。
(……別にどうでもいい。あの人が私をどうとも思っていなかったことなんて、初めて会った時から分かっていたことだもの……我はただ、魔王として生きるのみ……)
セレディアは感情のない瞳で、見慣れた天井をじっと見つめていた。
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