第9話 セレナとセレーナ
10/9 第8章全話一括公開!
王立学園から伸びる大通りを一台の馬車が走る。その座席にはメロディの姿があった。向かいに腰掛けるレクトは腕を組みながら難しそうな表情を浮かべている。
馬車は王立学園からレギンバース伯爵邸へ向かっていた。学生寮にレクトが来訪し、メロディはセレーナが倒れたという知らせを受け取ったのだ。
朦朧とする意識の中、数秒だけ目を覚ましたセレーナはメロディの名を呼んだという。そのためレギンバース伯爵はレクトに、彼女を連れてくるよう命じた。
胸のあたりでギュッと両手を組みながら、メロディは馬車の窓から見える景色を見つめ、そして思考する。
(セレーナが倒れた原因……考えるまでもない。魔力が切れたんだわ)
彼女は魔法の人形メイド。魔力がなければ動くことはできない。自分で生み出しておきながら、メロディはセレーナが人形である事実をあまり意識していなかった。
そのため、メロディが魔法を使えなくなることでセレーナの魔力供給が途絶えてしまうという至極簡単な可能性に、今この時までまったく思い至っていなかったのである。
セレーナがメロディを呼んだのは、魔力を供給してほしいからだろう。それが分かっているからメロディはレクトの馬車に乗った。
(でも、向こうに着いたらどうすればいいんだろう。今の私は魔法を使えないのに……)
トカゲ型の魔物に魔法を封じられて二週間以上経つ。その間、メロディは魔法を取り戻すために具体的な行動をとってこなかった。魔法が使えなくてもメイド業務に差し障りがなかったからだ。
しかし、今になってそれが浅はかであったことをメロディは実感していた。
(どうか無事でいて、セレーナ……)
組んだ両手を額に寄せると、メロディはセレーナの無事を祈るのだった。
◆◆◆
そこは、田舎の街ならばどこにでもありそうな、平民向けの小さな家の中だった。
二人用のテーブルセットに腰掛けるセレーナの前に暖かい紅茶が淹れられる。
「どうぞ、召し上がれ」
「ありがとうございます。いただきます」
ティーカップを手に取り、セレーナは美しい所作で紅茶を飲んだ。向かい合って腰掛ける、茶色の髪と瑠璃色の瞳の女性が優雅に微笑む。
その姿は、同じく茶色の髪と瑠璃色の瞳を持つセレーナが成長した姿と言われれば納得してしまうほど、二人はよく似ていた。
この場にメロディが、いや、セレスティがいればその女性をこう呼んだだろう。
――お母さん、と。
「美味しいです、セレナ様」
「そう、それはよかったわ、セレーナ」
二人は優しく微笑み合った。セレーナはそっと家の中を見回し、もう一度微笑む。
「……ここがお姉様が生まれ育った場所なのですね」
「生まれたのはルトルバーグ領だから、ここは育った場所ね」
「私、知識としては存じているのですが、思い出は引き継いでいないのでとても新鮮です。連れてきてくださってありがとうございます、セレナ様」
「あなたはセレスティが生み出した娘、つまりは孫のような……いえ、お姉様だから妹? ……ということは娘ね。そんな子なのだから、遠慮する必要はないのよ」
「はい……それにしても不思議です」
「まあ、何が?」
「既にお亡くなりになったセレナ様と私が、なぜか急にお姉様の故郷でお茶をしているというのに、私はこれを当然のように受け入れているのです。どうしてでしょう?」
普通ならばありえないことだ。驚いて、困惑して、思考が停止してもおかしくない異常事態だというのに、こうやって不思議がりはするもののセレーナは冷静だった。
頬に手を添えて首を傾げるセレーナに、セレナはクスリと微笑みかける。
「それは当たり前のことよ。だってここは、夢の世界なのだから」
「夢、ですか?」
「私達は皆、夢の世界で繋がっているの。だから本来のあなたが知らないことも、ここではまるで当然の常識のように全てを受け入れられるのよ。まったく知らない別人の人生を歩む夢を見ている人は、誰かの夢を追体験していたりするの。夢の世界とはとても自由な世界なのよ」
「そういうものなのですね」
「その代わり、夢の世界の記憶は多くの場合、現実世界に持ち出せなくて忘れてしまうわ。このお茶会もあなたが目を覚ました後でほとんどを忘れてしまうでしょうね」
「それは残念です。せっかくセレナ様とお話できましたのに。もしかして、今までもこのようにお茶会を開いたことがあったのでしょうか?」
「いいえ。人は誰しも多少なりとも心を魔力で守っているから、こんなふうに繋がるのは稀ね。特にあなたはセレスティの魔力に守られているから。だけど、今のあなたはとても無防備よ。何があったか思い出せる?」
「……はい。申し訳ありません。私、お姉様の助けとなるために生まれてきましたのに」
「私に謝る必要はないわ。それに、半分はセレスティが魔力供給を失念していたせいだもの。でも、そのおかげであなたと直接話ができているのだから、何が幸いかなんて分からないものね」
セレナはそう言って微笑むと、紅茶を飲んだ。
「……セレナ様はずっと私の中にいらっしゃったのですね」
「ずっと見守っていると約束したから……でも、私は空の上からそうするつもりだったのよ。だけど気が付いたらあなたの目を通して見守っていたんだもの、びっくりしたわ」
この場にメロディがいれば『私を何だと思ってるの!?』とでも言ったかもしれない。だが、この場にはセレナとセレーナの二人しかおらず、家の中には楽しそうな笑い声が木霊するだけだった。
そうして、紅茶を飲み終えたセレーナは尋ねた。
「セレナ様、こうしてお茶会を開かれたのは私に何か御用があったからでは?」
セレナもまた紅茶を飲み終えたティーカップを置き、二人の視線が重なる。
「あなたにお願いがあって呼んだの……今なら、あなたの力を借りられれば、私がずっと焦がれていた夢を叶えることができると思ったから。ごめんなさいね、勝手なことを言って」
セレナは少し気まずいのかそっと瞳を伏せる。だが、セレーナは優しい笑みを浮かべていた。
室内にしばし静寂が訪れる。セレーナはテーブルの上にそっと両手を広げた。手と手の間に青白い魔力の光が灯る。どこか寂しげな雰囲気の光を二人はじっと見つめた。
「セレナ様、分かりますか? 私の中に流れる、あの方の魔力を」
「……ええ」
「お姉様の魔力が枯渇した私に、ほんの少しだけ似た波長の魔力が私に力を与えてくれました。だからこそ、今なのですね。お姉様の魔力という障害がなく、あの方の魔力が宿る今だからこそ」
セレナは言った。人の夢は繋がっていると。同時に、それぞれの魔力によって守られていると。
しかし、セレーナは思う。魔法とは願いを叶える力。その源である魔力とは、夢の繋がりを阻むための力ではないはずだ。
(心を守りたいと思うのは、人間の本能ですもの。魔力はそれに応えているだけ)
セレーナはセレナと視線を合わせると、魔力の光を灯す両手をそっと前に出した。
(だからきっと――)
「さあ、セレナ様」
差し出された青白い魔力の光をセレナはじっと見つめた。それはまるで、涙が光になったように寂しげで、セレナは放っておけないと思った。
セレナの指先がそっと青白い光に触れると、彼女は魔法の言葉を紡ぐ。
「……私の微々たる魔力よ、どうかお願い。あの人の心を優しく照らして……『灯火』(ルーチェ)」
それは生前のセレナが唯一使えた小さな魔法。暗闇に灯るささやかな明かり。小さな陽光のような輝きが青白い光を包み込むと、セレーナの手にあった魔力から糸のように細い光の柱が天へと伸びていった。
「この繋がりは必ず結んでみせます。このお茶会の記憶を全て失ったとしても、セレナ様の願いだけは絶対に現実世界に持ち出してみせますから」
「……ありがとう」
セレーナにはもうセレナの表情を見ることはできなかった。小さな家の全てが光に包まれ泡となって消えていく。
「大丈夫です、きっと――」
夢の世界は終わりを告げ、セレーナの意識は現実世界へ浮上するのだった。
◆◆◆
レクトがメロディを連れてくる間、クラウドと侍女長はセレーナが眠る客室にてその到着を静かに待っていた。
「侍女長、やはりセレーナはしばらくうちで預かった方がよいのではないだろうか」
「またそのようなことを仰って」
クラウドの提案に侍女長は呆れた表情を見せた。
「いや、確かルトルバーグ家は使用人が少ないと聞いた覚えがある。彼女を連れ帰ったところで看病できる者がいるとも思えない。先方にとっても当家で預かる方が安心じゃないだろうか」
「……そちらに関してはルトルバーグ伯爵様とお話をなさってください」
「そうか、うむ、そうだな」
その時、部屋の扉をノックする音が響いた。侍女長は扉に向かって歩き出し、クラウドは一瞬扉へ視線を向けたが、すぐにセレーナへ戻した。
そして、うっすら開いた瞼の奥に輝く、瑠璃色の瞳と視線が重なった。
(目が覚めたか? ……いや、これは)
その瞳はまだ虚ろな雰囲気があり、意識があるようには思えない。よく言って寝ぼけているような状態だろう。きちんと目が覚めるのはいつになるだろうか。そんなふうに考えていると、セレーナの細い腕が布団からそっと姿を見せた。
まるで手を繋いでほしいとでも告げているような仕草に、クラウドは思わず手を重ねる。それが嬉しかったのか、セレーナは口元を綻ばせて――。
「……どうか、繋いで……『よき夢を』」
――か細い声が、魔法の言葉を紡いだ。
一瞬、クラウドは全身を温かい魔力に包まれたように感じ、つかの間、呆然としてしまう。何が起きたのか分からずセレーナを見ると、彼女の手は力を失い、いつの間にか瞼も落ちていた。
先程目を覚ましたのは見間違いかとも思ったが、繋いでいる手が気のせいではないことを告げていた。では、さっきのは一体……?
だが、熟考する時間はない。レクト達が入室してきたのだ。
「お待たせしました、閣下」
「ああ、よく来てくれ……」
クラウドは、レクトの隣に佇む黒髪のメイドを見つめて固まってしまった。そっとカーテシーをして、少女はクラウドへ挨拶をする。
「お初にお目に掛かります。ルトルバーグ家のメイド、メロディ・ウェーブと申します」
「……ああ、よく、来てくれた」
上手く言葉が出てこない。既視感のある感覚に心が揺れ動き、そして自己嫌悪に陥る。
(なぜだ、なぜ私は今この娘に心を動かされたのだ。実の娘のセレディアではくこの娘に……)
それは春の舞踏会でセシリアと初めて出会った時によく似た感覚だった。自分ともセレナとも異なる髪色の少女。クラウドは彼女の存在そのものに感情を揺さぶられていた。
「えっと、あの……」
固まるクラウドにメロディは困惑した。セシリアとして面識はあるが、メロディとしては初めて会うことになるので、メイドの立場から言えば勝手に話しかけるのは憚られるのだ。
ちらりと侍女長へ目を向けると、代わりに説明をしてくれた。
「医者によれば特に悪いところはないそうです。過労ではないかと言われましたが心当たりはありますか?」
「申し訳ありません。最近は学生寮にいたので体調の変化に気付けなくて。あの、近づいて声を掛けてみてもよろしいですか?」
「ええ、どうぞ」
侍女長はクラウドとは反対側に椅子を用意し、メロディを座らせた。
「セレーナ。起きてちょうだい、セレーナ」
メロディが声を掛けるが反応はなく、セレーナの寝息が聞こえるだけだった。
(やっぱり魔力を供給できないと目が覚めないのかも。どうすれば……ん?)
逡巡するメロディは反対側の席でクラウドがセレーナの手を握っていることに気が付いた。メロディの視線を感じたクラウドは、ハッと我に返ったように慌ててその手を放した。
「こ、これはその……」
「旦那様、眠る乙女の手を勝手に握るなど、何をされているのですか」
侍女長から叱責の声が飛び、クラウドは慌てて弁明を始めた。
「い、いやこれは違うのだ。さっき彼女が目を覚まして、手を出してきてだな」
「え? セレーナが目を覚ましたんですか?」
「あ、ああ」
クラウドは頷き、メロディは改めてセレーナを見つめた。
(目を覚ました? どうやって? 一度昏倒したなら魔力供給をしない限り無理だと思うけど)
メロディはクラウドから離れた彼女の手をもう一度見た。特に変わったところはないようだが、何かあるのだろうか。メロディは反対の手を自分で握ってみることにした。
すると――。
(これって……少しずつ、私の魔力が吸い出されている?)
それは思いも寄らない事態であった。魔法を封じられたメロディはてっきり何らかの方法で魔力を封印されたとばかり思っていたからだ。だが、魔力が動くとなると話は異なる。
もしかすると、今のメロディは体内の魔力の流れを乱されて魔法を使えないのかもしれない。
(でも、これなら魔法が使えない状況でもセレーナに魔力を与えられる!)
メロディから何かしなくともセレーナが無意識に魔力を吸い出してくれるなら、どうにかこの危機を乗り越えることができそうだ。
セレーナの手を取ったまま、メロディはしばらく真剣な様子でセレーナを見つめていた。やがてセレーナの体調管理ができる最低限のレベルまで魔力が回復すると、、セレーナの瞼が一気に身震いをし、彼女は目を開けた。
「おはよう、セレーナ。気分はどう?」
「……お姉様? えっと、おはようございます……?」
「セ、セレーナ……よかったぁ」
「お姉様?」
横たわるセレーナに抱き着いてメロディは喜ぶのであった。
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